6.イスタンブルから東京へ

4月29日(日)

 

 薄曇り。イスタンブル最後の日となり、街を歩いて写真を撮る。
 
 トルコの伝統的な家の形式だという2階以上が路上に張り出した形の民家。街頭でスィミットというゴマをまぶしたドーナツ型のパンを売る男や、焼き栗や焼きトウモロコシをを売る男たち。スカーフをかぶった女たち。


 ガラタ橋のたもとに出、イェニ・ジャミイを覗き、エジプシャンバザールを見て回る。バザールの外の商店街の一角に、リュステムパシャ・ジャミイへの入り口があったので、ここにも入ってみる。

   
   






 岩壁に浮かべた小舟の上で、サバを油で揚げパンにはさんだサバサンドを売っている。観光客が争うようにして買い、食べているので、われわれも買って簡単な昼食とする。

 昼食後に、サバサンドの小舟の近くの埠頭から出ているボスポラス・クルーズ船に乗る。船はアナドル・ヒサルとルメリ・ヒサルに近寄り、船客に眺めさせた後、もとの埠頭に引き返すコースで、1時間半ほどの行程だった。風がひどく冷たかった。

 夜はナイトクラブ・オリエントハウスでショーを見た。案内されたテーブルにはその客の国の小さな国旗が飾ってある。

 伝統的なトルコの軍楽隊の演奏や踊りのあと、
バンドが世界各国のポピュラーな音楽を奏ではじめた。それを聞いてその国の客が舞台にあがり、歌ったり踊ったりするという趣向である。司会の男は十数か国語を操りながら巧みに雰囲気を盛り上げ、客の方も仲間どおし声かけあって集団で舞台にあがる。





 バンドが「上を向いて歩こう」の演奏を始めた。司会は「ウエヲムウイテ アールコオオオ……」と歌い出し、「ジャパン!」と呼びかけたが、舞台に上がる者はいなかった。司会はすぐに次の曲を促し、曲は途切れることなく次に移った。

 司会の態度から、日本人の客が舞台に上がることはほとんどないらしいことが、見てとれた。他の国の客で舞台に上がらない人たちは、まずいないようだった。小さな苦い思いが、胸に残った。


 

 

4月30日(月)

 

 朝、6時にホテルに迎えに来たシャトルバスに乗る。夏時間なので、まだあたりは薄暗い。予約客のあるホテルをいくつか回ってさらに客を乗せ、いざ出発かと思ったら、バスはまた見覚えのある街路を通り、われわれのホテルの前に停まった。ホテルから見覚えのある男が、私の忘れ物を手に出て来たので、恐縮した。

 シャトルバスは正規のルートに戻り、スピードを上げた。明るくなった朝の高速道路を猛然と飛ばし、アタチュルク空港まで30分ほどで到着。

 

 空港でひとつだけ失敗をした。正確に言えば、失敗しかけたのだが、売店の職員の判断で失敗を未然に防ぐことができた。

 トルコにラクという蒸留酒がある。甘酸っぱい香りのする透明の酒だが、水を加えると途端に白く濁ごる。ギリシャ人も同じ酒を飲むが、こちらはウゾという名で呼んでいる。

 トルコリラを使い切るために、これを空港の免税品店で買おうとしたら、店の職員が航空券を見せるように言い、見せると、お前には売れない、と言ったのである。

 何故かと聞いたのだが、要領を得ない。すでに出国手続きも終え、ボディチェックも手荷物検査も済ませている。この先、液体の持ち込み検査などは、もうないはずである。

レジには列ができていたので、押し問答を続けるわけにもいかず、仕方なしにチョコレートを代わりに買った。

 搭乗ゲートの前で時間をつぶしているうちに、ラクを買えなかったわけが分かった。

 われわれの場合、イスタンブルからチューリヒに飛び、ここで航空機を乗り換える。だからわれわれは乗り換えの際、もう一度ボディチェックと手荷物検査を受けなければならない。液体はここで有無を言わせず撥ねられる。ラクを買って帰りたければ、事前に購入し、スーツケースに詰めて航空会社に預けなければならなかった。………

 ごく単純な理由だった。自分の無思慮が無性におかしかった。

 

 スイス航空機は時間どおり8時30分に出発、でチューリヒに2時間後に到着。13時出発の東京行きの便に乗り換え、成田に翌5月1日の8時前に到着した。

(終)



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