ハンナ・アーレント

             【ブログ掲載:2013年12月8日~12月22日】

 

▼先日、神保町の岩波ホールで映画「ハンナ・アーレント」(監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ)を観た。土曜日の昼間だったが、60歳以上とおぼしき客で場内は満席だった。年寄りが客の多くを占めるのは、この映画館に限らず昨今の一般的傾向だが、映画の内容もいくらか関係していたのかもしれない。
  ハンナ・アーレントは、20世紀前半のヨーロッパの激動の歴史を生きた政治哲学者である。しかしいかに激動の歴史を生きたといっても、彼女が有名になったその後半生は、外から見れば変化に乏しい文筆家・大学教師の生活であり、それをドラマとしてどう描くのか。その人生を安っぽい潤色を施すことなしに、どうドラマに仕立てるのだろうか。
  そういうドラマツルギーへの興味が、筆者の場合、ハンナ・アーレントへの関心とともに少なからずあった。

 

▼映画は、1960年のある夜、ブエノスアイレスの路上でモサドがアイヒマンを拉致したところから始まる。ニューヨークでアイヒマン逮捕のニュースを聞いたアーレントは、裁判の傍聴を強く希望する。そして「ニューヨーカー」編集部に手紙を送り、傍聴記を書くことを申し出る。 

アーレントは1906年にハノーヴァーで、裕福なユダヤ人の家庭に生まれた。マールブルク大学でハイデッガーから哲学を学び、ハイデルベルク大学でヤスパースに哲学の博士論文を提出した。1929年に結婚。1933年、ナチス政権下で非合法の仕事を引き受け、拘束されたのちにパリへ亡命し、ユダヤ人の青少年をパレスチナに移住させる仕事に携わった。
 1937年にスパルタクス団の生き残りハインリッヒ・ブリュッヒャーと出会い、前夫と離婚後に再婚する。1940年、フランス内のユダヤ人強制収容所に収容されるが脱出し、母や夫とともにアメリカへ亡命。難民援助団体の支援を受けながら英語を学び、ユダヤ系のドイツ語新聞に執筆したり、ヨーロッパ・ユダヤ文化復興機関で働いて、生計を立てた。
 1951年、『全体主義の起源』を出版し、アメリカ国籍を取得。1960年当時は「ニュー・スクール・フォウ・ソーシャル・リサーチ」で教鞭を取り、夫も大学で哲学を教えていた。
 そういった彼女の経歴の必要最小限が、登場人物の会話や主人公の回想を通してさりげなく知らされる。

 

▼エルサレムに飛んだアーレントは、クルト・ブルーメンフェルトと再会を喜び合う。クルトはかってのドイツのシオニスト連盟の代表者であり、アーレントは影響を受けるとともに父のように慕っていた。

裁判が始まり、アイヒマンは防弾ガラスで囲まれた被告席に座らされ、検事が起訴状を読み上げる。
 「……私は今、イスラエルの裁判官の前でアドルフ・アイヒマンを訴えます。私はひとりではなく、600万人の原告とともにおります。彼らは立ち上がることも、被告を指さすこともできません。……彼らの灰はアウシュビッツの丘や、トレブリンカやポーランドの川に捨てられました。彼らの墓はあちこちに散り散りです。血の叫びもわれわれの耳には届きません。……」
  アーレントは、「裁判ショーにしてはならない」と検事のやりかたを批判し、クルトは「派手な演説だが、辛抱してくれ」と言う。「裁判ショー」と言われようと、イスラエル国家とユダヤ民族には必要なプロセスなのだ、といった意味であろう。 

検事や裁判官の質問に答えてアイヒマンは言う。「……決まりにより現地の警察が私の部署に照会してきました。そのため私がその件を処理し、次の部署に送りました。私は命令に従ったまでです。……事務的に処理したんです。私は一端を担ったに過ぎません。……」
 アイヒマンの裁判の場面では当時の実写フィルムが使われており、アーレントが見つめるプレスルームのモニター画面にそれが映し出される。彼女はアイヒマンの言葉を聞きながら、考え続ける。
 「彼は想像と違っていた。」とアーレントはクルトに言う。「凶悪とは違う。ガラスケースの中の幽霊みたい。不気味とは程遠い、平凡な人間よ。」 

検事がアイヒマンに、もし父親が裏切り者だとしたら殺したか、と質問する。アイヒマンは、裏切りが証明されたなら遂行したでしょう、と答える。
  検事「では、ユダヤ人抹殺の必要性も証明済みだと?」
 アイヒマン「私は手を下していません。」
 裁判官「葛藤は感じましたか?義務と良心のあいだで迷ったことは?」
 アイヒマン「両極に分かれてました。つまり義務感と良心のあいだを行ったり来たりで……」
 裁判官「そして良心を捨てたと?」
 アイヒマン「そういえます。」
 裁判官「市民の勇気があれば違っていたのでは?」
 アイヒマン「ヒエラルヒーの内にあれば違ったでしょう。」 

アーレントはレストランでクルトに言う。「興味深くない?彼は殺人機関の命令を遂行した。しかも自分の任務について熱心に語った。でもユダヤ人に憎悪はないと主張しているの。」
 「奴が移送先を知らなかったとでも言うのか?」
 「移送先など関心がないのよ。人を死へと送り込んだけど責任はないと考えている。貨車が発車したら任務終了。」
 「奴によって移送された人間に、何が起きても無関係だと?」
 「そう、彼は役人なのよ。」

 

(つづく)

▼アーレントは、裁判が判決を残してひととおり終わったところで、ニューヨークに帰った。チェーンスモーカーである彼女は、法廷のプレスルームでモニター画面のアイヒマンを見つめながら煙草を指から離さなかったように、自宅の書斎でも煙草の煙を絶やさず考えにふけった。
 ようやく書き上げた原稿を見せられた親しいユダヤ人の大学教授・ハンス・ヨナスは、それを発表することに強く反対する。
 ハンス「アイヒマンは怪物だ。悪魔だとは言わないよ。でも平凡な人間だって怪物になりうる。」
 アーレント「そう単純じゃない。今回わかったの。彼はどこにでもいる人よ。怖いほど凡人なの。」
 ハンス「国家保安本部のユダヤ人課のトップが、ただの凡人に勤まるか?」
 アーレント「確かにね。でも彼は自分を国家の忠実な下僕と見ていたの。彼には罪の意識は全くない。法に従ったからよ。」
 ハンス「じゃ、誰にも責任がないってことか? 殺人が罪であることは明白だ。 ………この原稿は抽象的で誤解を招くよ。読者の関心はアイヒマンが何をしたかだ。」

「ニューヨーカー」の編集部は原稿の独創性に感銘を受けながらも、ユダヤ人指導者がユダヤ人被害者の死に手を貸したという指摘に、大きな危惧を抱いた。

 

▼アイヒマン裁判のレポートは、5回に分けて「ニューヨーカー」に連載された。発表されるとはたして、アイヒマンを擁護しユダヤ人を批判していると、猛烈な非難の嵐が湧き起こった。
 編集部にもアーレントの自宅にも、非難の手紙や電話が殺到した。

―――写真のあんたは北極の氷のように冷たく、唇には侮蔑が漂い、目は残忍だ。この写真のページが雑誌全体を汚した。素手では汚れるから、手袋をはめてそのページを破り取ったが、燃やす価値もないからゴミ箱へ……。

―――私には憎悪などなく、復讐も好まない。だが判る。あんたが冒瀆した600万人の魂が、昼夜群がるだろう。覚悟しておけ。

  彼女の連載を批判する記事や論文が相継いで発表され、大学からも教師の職を辞めてもらいたいと圧力がかかる。イスラエルから旧知の男が政府の使いとして来て、出版をやめるように「忠告」し、クルト・ブルーメンフェルトが死の床にあることを伝える。アーレントはエルサレムに飛び、クルトを見舞う。

  クルトはベッドで目を覚まし、傍らで微笑むアーレントに気づくと、「今回はやり過ぎだ」と言う。今日はやめましょう、というアーレントに構わず、クルトは「今回の君は冷酷で、思いやりに欠けている」と批判する。
 アーレント「全部読めばわかるわ。」
 クルト「読もうとした。」
 アーレント「私よりも他人の意見を信じるの?」
 クルト「イスラエルへの愛は? 同朋に愛はないのか? もう君とは笑いあえない。」
 アーレント「一つの民族を愛したことはないわ。ユダヤ人を愛せと言うの? 私が愛するのは友人。それが唯一の愛情よ。……クルト、愛してるわ。」
 クルトはアーレントに背を向ける。

 

▼何がアーレント非難の嵐を巻き起こしたのか。
 アーレントの連載レポートはやがて一冊の本として1963年に出版された(『イスラエルのアイヒマン』)が、これを日本語に翻訳した大久保和郎は「解説」で三つの論争点を挙げている。
 第1は、アーレントがすべてのドイツ人を同罪と見なしていることについての、ナチに批判的だったドイツ人たちからの抗議である。すべてのドイツ人がナチに忠実だったとしたら、なぜナチは4万人ものゲシュタポを必要としたのかと、その内のひとりは反問した。
 しかしこの問題はアーレントのレポートの主要な論点ではなく、映画でも触れられていないのでここでは省略する。

 第2の問題は、ユダヤ人の指導者が同朋の死に手を貸したというアーレントの断定である。
 《……アムステルダムでもヴァルシャヴァでも、ベルリンでもブダペストでも、ユダヤ人役員は名簿と財産目録を作成し、移送と絶滅の費用を移送させる者から徴収し、空家となった住居を見張り、ユダヤ人を捕えて列車に乗せるのを手伝う警察力を提供するという仕事を任されており、そうして一番最後に、最終的な没収のためにユダヤ人自治体の財産をきちんと引き渡したのだ。》
 《……SSがいくつかの一般的方針を与え、送られるものの人数、年齢、性別、職業ならびに出身国を定めた上で、ユダヤ人評議会がリストを作成したのである。死へ送られる人々を指名するのは、わずかの例外を除いてユダヤ人当局の仕事だった……》
 《自分の民族の滅亡に手を貸したユダヤ人指導者たちのこの役割は、ユダヤ人にとって疑いもなくこの暗澹たる物語のなかでも最も暗澹とした一章である。》
(以上、『イスラエルのアイヒマン』大久保和郎訳1969年 から引用)

 ユダヤ人の暮らしている所にはどこでも、一般に認められたユダヤ人指導者が存在し、彼らはほとんど例外なく何らかの形、何らかの理由でナチに協力した。もしユダヤ人たちが本当に未組織で指導者を持たなかったならば、非常な混乱と悲惨は存在しただろうが、犠牲者総数が450万人から600万人に上るようなことはなかっただろう、とアーレントは書く。
 そして比較的信用できる資料に基づき、オランダの例をあげる。ナチはオランダの「ユダヤ人評議会」の協力で103千人のユダヤ人を殺戮収容所に送ったが、収容所から帰ったのはわずか519人だった。これとは対照的に、ナチ(つまり「ユダヤ人評議会」を意味する)の手を逃れ地下に潜った2万から25千人のユダヤ人のうち、1万人が生き延びた、と。

 

(つづく)

▼アーレントへ向けられた批判の第3は、アイヒマンの「人物像」に関してである。はたして彼は、アーレントが言うように、ユダヤ人に対して特別の悪意も憎悪もない、組織の命令に忠実に従う平凡な小役人だったのだろうか。
 アイヒマン法廷の検事は、「ユダヤ人問題の最終的解決」(殺戮)という前代未聞の「事業」のなかで、もっとも重要な役割を果たした人間として彼を起訴したのである。数百人の希望者の中から選ばれた百人のイスラエル市民が、検察側の証人として証言台に立ち、自分の恐るべき体験を語った。彼らの期待は、法廷がユダヤ人被害者の報復感情を慰め、満足させてくれることにあった。
 だからアーレントのレポートが被害者の期待に水をかけ、犠牲者を冒涜するものと受け止められたとしても不思議ではなかっただろう。 

 アーレントが法廷での観察と陳述、提出された資料等から描き出したアイヒマンは、次のような人間である。

 1906年に刃物の生産で有名なゾーリンゲンで生まれる。高校を中退し、石油会社の販売員となったが数年後に解雇され、人生をもう一度やり直したいと考え、1932
年にナチに入党し親衛隊員となった。

 テオドール・ヘルツルの『ユダヤ人国家』を読み、シオニズムに心酔、以後、ユダヤ人を「追放」して住むべき土地を与える政策を、熱心に考えるようになる。やがてユダヤ人の移住問題の専門家として認められ、国家公安本部の課長となる。
 ヒットラーにとって遂行するべき主要目標のひとつが、ユーデンライン(ユダヤ人なきヨーロッパ)の実現だった。そのための手段は「追放」から「強制収容」、「最終的解決」へと「進化」したが、ユダヤ人の輸送を担当するアイヒマンの役割は「事業」の全体を結び付ける重要なものだった。輸送するユダヤ人の数は、常に彼と彼の部下の決定にゆだねられていた。
 しかしアイヒマン自身の意識では、自分は法と命令に従い、自分の義務を果たしただけであり、ユダヤ人であれ非ユダヤ人であれ一人も殺していないし、殺害を命じたこともない、ということになる。 

 アイヒマン法廷は1961年12月、この男に死刑の判決を下した。控訴審は1962年5月、同様に死刑の判決だった。判決の2日後、アイヒマンは絞首され、死体は焼却され、灰は地中海に撒かれた。

 

▼話を映画に戻す。

 映画は、アーレントが自分のレポートに浴びせられた非難に対して反論する場面を設定している。大学の広い階段教室でアーレントは、学生たちを前にアイヒマン裁判についての自分の考えを述べる。映画の山場である。 

―――彼のようなナチの犯罪者は、人間というものを否定したのです。……彼は検察に繰り返し反論しました。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけなのだ、と。
 こうした典型的なナチの弁解でわかります。世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そしてこの現象を、私は「悪の凡庸さ」と名づけました。
―――私はアイヒマンの擁護などしていません。私は彼の平凡さと残虐行為を結び付けて考えましたが、理解を試みるのと許しは別です。この裁判について書く者には、理解する責任があるのです。
―――ソクラテスやプラトン以来、私たちは「思考」をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐な行為に走るのです。……思考がもたらすのは知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように。 

 アーレントが話し終えると、学生たちは拍手で賛意を表した。学生たちが席を立った後、ハンス・ヨナスが教室に座っているのに気づき、アーレントは嬉しそうに歩み寄る。しかしハンスは言う。
 ハンス「期待してたんだ。君に分別が残っていることをね。だが君は変わってない。ハンナ、君は傲慢な人だ。……ユダヤのことを何もわかっていない。だから裁判も哲学論文にしてしまう。」
 アーレント「やめて。疲れているの」
 ハンス「われわれは大虐殺の共犯者なのか? 君も殺されていたかもしれない。移送の担当は、君の親友アイヒマンだ。キャンプから逃亡していなかったら、残った女性と同じ運命に……。」
 アーレント「やめて!」
 ハンス「今日でハイデッガーの愛弟子とはお別れだ。」

  アーレントが家で窓の外を見ながら、つぶやく。「みんな、過ちを認めろと迫るけど、何が過ちか言えないのよ。」
 ソファーに座る夫が、彼女に言う。「こうなると分かっていても書いたか?」  「ええ、書いたわ。……でも友達は選ぶべきだった。」
 「クルトは友だちだったろ?」
 「……クルトは家族よ」

 画面は、タイプを打ち煙草をふかし、寝椅子で横になって思索にふけるアーレントを映し、暗くなる。

 

▼主人公は苦心と苦闘の末に大きな仕事を成し遂げるが、社会に理解されず、予想外の逆境を招く。主人公は反論(反撃)し、理解は拡がるが、失ったものも小さくなかった―――。
  正統的なドラマツルギーにのっとって作られたこの映画は、主人公の造形の秀逸さによってバランスの良いものに仕上がっている。アーレントを友人たちに「冷酷、傲慢で、思いやりに欠ける」と非難させ、彼女の思考の徹底性を際立たせる一方、夫にキスや抱擁を求める「かわいい女」として描くことで、映画を膨らみのあるものにしているからだ。
 アーレントがアイヒマンに見出し名づけた「悪の凡庸さ(陳腐さ:Banality)」という観念は、映画の中で説得的に説明されているわけではない。しかしそれは彼女のレポートのなかでも、必ずしも明瞭に述べられているわけではなく、感覚的な問題提起の域を出ていないように見えるのだから、当然といえる。

 この映画はスリリングな思考のドラマとして成功している。

 

(おわり)


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