新しい背広
             【ブログ掲載:2012年12月16日】


▼先日、むかし親しかった人の子どもに会った。渋谷駅近くで落ち合い、いっしょに酒を飲んだ。
 初対面だが、がっちりした体格の明るい好青年だった。自分の子どもの年回りの若者といっしょに酒を飲み話をするという体験は、筆者にはない。初めての体験に軽くとまどいながら、自分のとまどいが心地よかった。
 彼は、企業のラグビー部に所属していると言った。平日は勤務のあと、夜8時から11時まで練習でグラウンドを駆け回る。しかし30代になり、これからはケガも多くなるので、そろそろ足を洗おうかと考えている、とも言った。
 彼は祖父母と母親との家庭に育ち、家族の愛情をいっぱいに受けて育ったが、父親を知らなかった。父親が息子にとってどういうものか、父親が息子にどう接するものなのか、よく知らないようだった。

 

▼筆者は自分と父親の関係を想う。ひとつ屋根の下に暮していても、離れて暮らしていても、会話というものはほとんどなかった。子どもから父親に話しをすることはなく、父親から話しかけることもなかった。それは子どもが自分を避けていることを、父親が知っていたからであろうし、話しかけたときに返される残酷な反応を、彼がひそかに怖れたからかもしれない。

 詩人・吉野弘に「父」という詩がある。 

《何故 生まれねばならなかったか。 

 子供が それを父に問うことをせず

 ひとり耐えつづけている間

 父は きびしく無視されるだろう。

 そうして 父は

 耐えねばならないだろう。

 

 子供が 彼の生を引き受けようと

 決意するときも なお

 父は やさしく避けられているだろう。

 父は そうして

 やさしさにも耐えねばならないだろう。》

  筆者が父親を避けたのは、けっして「自分の生を引き受けようと決意」したからではなく、やさしい心根からでもなかった。通常なら思春期の一過性で終わるべき感情が、いつまでも成熟しない精神によって、長く保持されたということなのだと思う。

 

▼筆者が就職する時のことだ。ある晩父親が、新しい背広を持って帰宅した。母がそのことを伝えに来て、袖を通してみるように、と言った。筆者はそっけない態度で、拒否の意思表示をした。
 夜中に、ふと思い出して、居間に懸けてある背広を見てみた。紺色の地にグレーのストライプの入った生地で、袖を通してみると不思議なことに、両肩があつらえたようにぴったり身体に合った。丈もちょうど良い長さのようだった。
 父親がどのような事情からその背広を家に持ち帰ることになったのか、何も聞かなかったから筆者は知らない。しかし彼が何を望んでいたかは、当時も今もよく分かる。
 だが息子は意地を張り、父親の期待を残酷に無視した。若さとはいつも残酷なものだが、いささか度が過ぎていたように思う。
 新しい背広はしばらく居間に懸っていたが、そのうち見えなくなった。

  数年前、父親が亡くなったあと、カレンダーの裏紙に記したメモが残されていた。自分の死後の葬儀の取り扱いなどを記したものだが、そのなかに「良い家族に恵まれ幸せだった」という一節があった。「良い家族に恵まれ」という言葉が驚きであり、信じられなかった。
 初めて、「悪いことをした」という思いが強く筆者の胸に迫った。 

世の中の父親と息子の関係が、一般に筆者の体験のようであるというつもりはない。しかしそれが、それほど特異な事例というわけではない、とも思う。

 

▼関川夏央が「青春」について書いた文章の終わりで、父親の死について語っている。「やれやれ、これでやっと青春というやつも終わったか」と、45歳の関川は思った。 

《親がいてこその不良行為である。過剰な自恃と過剰な自己嫌悪の反復、生意気で反抗的な気分と小心・泣き虫な精神の併存、そういうものが青春だとすれば、いつか終わらなくては身がもたない。ひとりもので勝手なことばかりしていたせいか、人並みはずれて永かったけれど、とにかくその呪縛から解かれたという安堵の思いを、父の骨の一片を小雨に濡れた地面に拾った瞬間、味わったのである。》  (『昭和時代回想』2002年 集英社文庫)

 多かれ少なかれ父親と息子の関係はややこしいものであり、シンプルなものではないのだ。

 

▼邱永漢が、自分は年上や同世代の人間と付き合うのは気が進まない、自分よりずっと年下の、頭の柔らかい人たちといっしょにいる方がはるかに面白い、とどこかで語っていた。子ども世代の若者と酒を飲みながら、その話を思い出した。若者たちといっしょにいることも、悪いものではないだろうと思った。
 われわれが若かった時、年上の世代に何も期待はしなかった。だから今の若者たちも、われわれに何かを期待しているとは思わないし、われわれにできることがあるとも思わない。得るものがあるとすれば、それは一方的に年寄りの側だ。
 われわれの世代に比べ、彼らはずっと厳しい環境、ずっと難しい条件のもとに置かれている。彼らの前途に幸多かれ、と心から祈りたいと思う。


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