「慰安婦虚報」の真実 前川恵司
【ブログ掲載:2015年1月11日~1月25日】
▼昨年、『「慰安婦虚報」の真実』(前川恵司)という本が出版された。この題名には「朝日新聞元ソウル特派員が見た」という惹句が付いているので、本当は『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』というのが、正式の長い題名なのかもしれない。題名を見て、朝日新聞の元記者が古巣を批判する本の一つだと思った。
奥付にある初版第1刷発行の日付が2014年9月1日、つまり8月初めの朝日新聞の「慰安婦」記事の取り消しと訂正を契機に始まった「朝日バッシング」の真っ最中だったことは、この本がキワモノではないかと疑わせるのに十分だった。「朝日バッシング」の程度の低さにはなんともうんざりしていたから、とても食欲の湧く書物ではなかった。
しかし図書館でたまたま目にして借り出してみたところ、筆者の予想はよい意味で大きく裏切られた。本書は、新聞記者としての自分の体験や判断を静かに語ったもので、声高な告発や「憂国」の口吻とはまるで無縁だった。「慰安婦問題」に関し批判や主張めいた言葉もないわけではないが、あまりにも穏やかな声なので、聞き耳を立てていないと聞き漏らしてしまうほどである。
考えてみれば、一冊の書物を作るには急いでも一か月以上の時間が必要なのであり、「朝日バッシング」の真っ最中に発行されたということは、逆にその企画と執筆がバッシングの大騒ぎとは無関係であることの証拠とも言える。(書名は「バッシング」騒ぎに大いに便乗しているが。)
筆者は「慰安婦」問題をこのブログで何度も議論してきたので、いくらか躊躇する気持ちもあったが、普通の人間の感覚から「問題」がどう見えるのかを確認するために、この本を取り上げることにした。
著者の前川恵司は1946年生まれ。1971年に朝日新聞社に入社し、川崎支局、週刊朝日編集部、外報部、ソウル特派員などを経験し、現在はジャーナリストとして活動、と著者紹介欄にある。著書に『夢見た祖国(北朝鮮)は地獄だった』、『韓国・朝鮮人――「在日」の生活の中で』などがあるというから、韓国・朝鮮人問題への関心には年季が入っている人のようだ。
▼本書は、著者の記者としての体験をいろいろ綴っているが、読みやすく整理されているとは言えない。また上に述べたように、著者の批判や主張は、「聞き耳を立てていないと聞き漏らしてしまうほど」穏やかな声で語られるので、筆者はかなり踏み込んで聞き取る努力をしなければならなかった。その聞き取ったところを筆者なりに整理すると、次のようになる。
第一に、慰安婦問題を提起し、日本政府を告発する運動を担ってきた活動家たちへの批判である。
前川記者は1992年の春にソウルに赴任したが、韓国の外務省にあたる組織の日本担当幹部は従軍慰安婦問題について、「これはねえ、日本にとって恥ずかしいことだろうが、韓国にとっても恥ずかしい話なのですよ」と、頭を抱えていたという。
《韓国メディアがどんなに口角泡を飛ばして非難しても、同朋の女性が日本軍の従軍慰安婦の中にいたことが、韓国の国家イメージ上昇につながるはずはないという、当たり前の感覚のようだった。
もちろん、この球を盛んに投げてくる日本の野党や、マスコミ、一部の知識人の目的は何なのだろうか、といろいろと考えているようだったが。》
日本と韓国の政府は協議を進め、案文を練り、日本側は宮沢総理、韓国側は金泳三大統領まで見せて最終了解をとった。案文は「河野談話」として93年8月4日に発表された。
「談話」発表後、韓国外務部は評価したい旨の論評を発表、韓国メディアの報道も事実を淡々と伝えた上で肯定的な評価をするものが多く、「朝鮮日報」は、慰安婦問題は恥ずかしい話だからこれで収めようではないか、と書いた。
「そうやって落着したはずの問題がここまで尾を引いているのは、慰安婦のおばあさんたちの問題ではなくなっているということだと思います」と、前川恵司は別の場所で語っている。(「月刊正論」2014年8月号)
「慰安婦のおばあさんたちの問題ではなくなっている」とは、どういうことなのか。
▼前川記者は93年11月、韓国の古都・慶州で細川首相と金泳三大統領の会談を取材した。すでに冬の季節を迎えた慶州は、「身を刺す氷雨が時おり降っては止み、また降り始める」天気だった。目抜き通りでは、従軍慰安婦問題を追及する韓国の支援団体が、「元慰安婦のおばあさんたち10数人を駆り出して」デモをしていた。
《分厚いジャンパーを着込んでいても耐えられないほどの寒さなのに、元慰安婦のおばあさんたちは、薄い白のチマチョゴリを着ただけで、傘もささず雨の中を歩かされていた。時おり、リーダーのハンドマイクに合わせ「日本は補償しろ」と叫んでいたが、顔は蒼白だった。
「いくら何でもカッパぐらい着せてあげなければ。おばあさんたちが風邪をひいてしまうだろうに」
と案じた目の前で、おばあさんたちの一人が倒れた。「これが人権団体のやることか」と思わざるを得なかった。おばあさんたちを思い出すごとに、忘れられない光景として浮かび上がるものの一つだ。》
前川恵司は本書の中で、韓国挺対協のリーダー・尹貞玉や「慰安婦問題」に熱心に関わった「大先輩の敏腕女性記者」松井やより、女性弁護士・福島瑞穂の名を挙げ、彼女たちと接した自分の体験を述べている。その口ぶりは穏やかで、少しの非難がましいところもないが、視点ははっきりしている。
彼女たちの運動や行為は、「おばあさんたちに寄り添って考えるのではなく、自分たちの主張を通すための」ものなのだ、ということである。
▼著者の二つ目の批判は、日本政府に向けられている。
韓国内で「慰安婦問題」が派手に燃え上がるきっかけを作ったものに、92年1月11日の朝日新聞の記事がある。
「慰安所設置や慰安婦の募集に軍が関与したことを示す資料が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていた」ことを報じた記事だが、第1面トップから社会面まで使ってのキャンペーンは、その5日後の宮沢首相の訪韓を意識したものだった。そのことは記事の中で、「政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる」と触れていることでも明らかである。
宮沢首相はソウルで猛烈な抗議デモに迎えられ、日韓首脳会談や韓国国会での演説で「謝罪」を繰り返し、「真相究明」を約束して帰国した。韓国の大統領補佐官は、宮沢首相は首脳会談で8回も謝罪と反省を繰りかえした、と韓国人記者たちに披露した。
この「真相究明」の約束が1年半後の「河野談話」となるのだから、この朝日の記事が「慰安婦問題」をめぐる日韓対立の歴史の中で、きわめて重要な位置にあることが分かる。
朝日新聞のこの記事は、「慰安婦問題」の中身をすっかり変えてしまった。
前川恵司はこの問題を、次のように考える。
《その時点までの世論の関心事は、朝鮮半島で日本軍や官憲が直接に暴力的な手段や甘言をもちいて、朝鮮人女性を集め、慰安婦にし、戦場の慰安所に送り込んだのかの狭い1点》だった。
《慰安所そのものは、軍のためにあるのだから、その管理に軍が関与しているのは当たり前だ。それを問題だと指摘されたからと気易く謝れば、それから先は、防衛線を突破されたと同じで、やられ放題になるのは、当たり前の話だろう。》
《元朝日として開き直りと批判されるかもしれないが、その大したことのない記事をたいそうなものにしたのは、報じられた後の政府側の愚妄に近い対応だ。》
▼「政府側の愚妄に近い対応」の結果、韓国の状況はどのようになったのか。宮沢訪韓を前に東亜日報が書きたてた「11歳の挺身隊」という社説(1月15日)を、著者が紹介しているので、そのまま引用する。
〈まことに天と人がともに憤怒する否定の蛮行だった。人面獣心とか、いくら軍国主義の国が戦争をするためだと言っても、これほどまでに非人道的な残虐行為をほしいままにできたのかと言いたい〉
〈11歳の小学生まで動員し、戦場の性のおもちゃにして踏みつぶしたとの報道に、再び煮えくり返る憤怒を抑えるのは難しい〉
〈何も知らずに親元を離れ、挺身隊に連れて行かれた少女たちは数知れず。泣き叫ぶ女達を殴りつけ、乳飲み子をその腕から奪って、母を連れ去ったこともあった。まるで奴隷狩りのようだった。このようにして動員された従軍慰安婦が8万から20万人と推定される〉
〈肉体的、精神的な苦痛に負け、『お母さん!』と泣き叫びながら死んだ少女もいた。病んで、死んだ人も多かった。戦地で殺されるとか、敗戦後、現地でそのまま捨て去られもした。生きて戻ってきた人の数は正確には分からない〉
〈私たちは、私たちの恥部である挺身隊問題を繰り返し考えたくはないのだ。日本が、日帝のこのような残酷行為を心から恥じ、人道主義によって問題を清算するように猛省を促すところだ〉
韓国のメディアが、事実を調査し客観的に報道することをおろそかにして、「高論卓説」に走りたがる性癖があることは、以前このブログで触れたことがある(2014年7月20日)。
それにしてもこのような講釈師でも顔を赤らめるような「社説」を書いて、よく恥ずかしくないものだと思うが、今はそのことは措く。
もともとこの「社説」のネタは、戦時中ソウルで小学校教師をしていた日本女性が、富山県の軍需工場に「女子挺身隊」として送り出した6人の教え子を尋ねて韓国を訪れ、彼女たちの無事を確認した、という「美談」だった。しかし韓国では「挺身隊」イコール「慰安婦」という誤解が広まっていたため、このニュースは「小学生まで慰安婦にされた」と受け止められ、それに悪乗りする上のような「社説」まで生み出してしまったのだ。
《それ(美談)がこんなとんでもないものに化けてしまったのは、「慰安所 軍関与示す資料」報道でうろたえる姿を、宮沢内閣が見せてしまったからだ。
日本当局は、直ちに駐韓日本公使などが韓国マスコミに寄稿するなどして、こうした「日本への挑戦状」に反論するべきだった。準備を整え、訪韓した際の記者会見などを通じて、外交的な批判を表現すべきだった。》(前川)
▼それでは著者は、朝日新聞の責任についてはどう考えているのか。
前川恵司は、問題のターニングポイントなった上記の朝日の記事については、何も述べていない。しかし個々の記事ではなく、朝日新聞の基本的姿勢について、疑問や批判を述べている。
たとえば「アジア女性基金」が発足する2日前の天声人語(95年8月13日)は、「物事の筋道をきちんと守らなければ信頼は得られない。政府は個人補償の問題にじっくりと向き合うほかない」と書いた。また、翌年の社説(96年7月21日)は、「政府はこの問題について国家補償しないという建前が維持できなくなったことを、正直に認めるべきではないだろうか」と書いた。いずれも、「アジア女性基金」を批判する側の主張に近い位置取りである。
前川は、このように主張することは、日韓条約の基本を無視することを主張するに等しいが、朝日新聞にその覚悟が本当にあったのか、と問う。
《黒白で物事を決めたがる人々の目には、アジア女性基金は、ものごとを誤魔化す「玉虫色の風呂敷」にしか見えなかったかもしれないが、日本がなんとかして日韓正常化への「筋道」は守り、かつ、おばあさんたちの辛い記憶を癒すためにやっと探り当てた知恵なのだと、ていねいな論議を韓国社会に呼びかける論調が、朝日新聞にもっとあって良かった気がするのだ。》
▼著者の、朝日新聞の基本的姿勢への疑問ないし批判を続ける。
昨年8月、朝日新聞は自社の過去の慰安婦報道を検証する特集を組み、吉田清治の証言に関する記事は取り消したが、同時に「慰安婦問題」は「女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」と主張した。この主張は「問題のすり替え」だとして、それから2か月近く続く「朝日バッシング」の標的になったのだが、前川恵司は次のように疑問を呈する。
《それ(女性としての尊厳を踏みにじられたこと)は現在の日本社会の価値観では、だれもが否定しないことだ。(読者の)関心は、朝日新聞の報道が深刻な日韓の亀裂と国際社会で日本が貶められる事態を導いたのかどうかだ。しかし、そのことの検証はない。》
この前川の指摘は、至極妥当だと思う。
朝日新聞がこの特集でやって見せたのは、吉田清治に関する記事を取り消しつつ、他社も吉田の記事を同じように載せていたではないか、という開き直りであり、慰安婦と「女子挺身隊」を同一視した記事を書いたのは、「当時は研究が乏しかったからだ」という弁解だった。吉田清治に関する記事の取り消しをもって、「慰安婦問題」はなかったと言いたがる論者に向けて主張したのが、「慰安婦問題の本質は強制連行の有無ではなく、女性の尊厳を踏みにじったことだ」という論理だった。
いかにも優等生の弁解らしく、主張の一つ一つは理屈が合っているようにも見える。しかし前川の言うように、現在の「深刻な日韓の亀裂」に対してお前の手は汚れていないのか、と問うならば、「朝日」には深い反省があるはずである。
日韓関係の悪化は、活動家たちにとってはともかく、「朝日」の意図や期待とは懸け離れた結果であるだろう。言論機関には政治と同様の「結果責任」が問われる、とは言わないが、現在の関係悪化と自分たちの報道との関係をきちんと総括し、説明する責任が、朝日新聞にはあると思う。
▼前川は90年代の初め、ソウル特派員の時代に、伝手を総動員して60歳を超えた人たちに、「慰安婦問題」について尋ねて回ったことがあるという。質問は、「身近な人で慰安婦にされた人はいるか。当時住んでいた村とか町で、日本兵や日本の警察官に無理やり連れていかれた娘がいたか。そんなうわさを聞いたことがあるか」という内容だった。
尋ねて回った先は、友人の母親から新聞社幹部、元軍人、大学教授などさまざまで、相当の人数になったが、彼の質問にうなずいた人は一人もいなかった。
ある人はこう言った。「無理やり娘を日本人がさらったりしたら、暴動が起きましたよ。」
別の人はこう言った。「酒一升のために娘を売る親はたくさんいました。街の女郎屋に売ったら、娘が稼ぎを渡されるか分からなかった。軍絡みの所なら、稼ぎはちゃんともらえる。だから軍隊の方に売ったのです。売った先が軍の慰安所というのは、せめてもの親心だったのです。」
筆者がこの本に期待したのは、上のような生の体験談だった。韓国の一般市民が「慰安婦問題」をどのように感じ、どうしようと考えているのか、それを知りたいと思っていた。
前川は、韓国市民の受け止め方が、近年変化してきたという。
《ソウルで会う韓国の知識人の最近の反応は、ちょっと前までは慰安婦問題を切り出すと
「あんまり関心がないから」と言う人が多かったが、このごろでは、
「日本人はあのおばあさんを売春婦だと言っている」
と怒る人も出てきた。特に朴槿恵政権がスタートしてからは、
「あれは、問題にする方がおかしい。昔のことだ」
と以前は言っていた人まで、
「被害者と加害者は違うから」
と口にするようになった。》
著者の筆はここで止まっている。著者のキャリアからすれば、もっと突っ込んだ質問をぶつけ、考えを引き出す取材ができたはずなのだが、残念なことだと思う。
20年前には市民が闊達に自分の見聞を話し、あるいは自分の意見を自由に述べていた韓国社会の空気が、繰り返し流されるマスメディアの日本批判の中で、より硬直したものに変わってきたことがうかがえる。
▼この本は、韓国と韓国人に取材で関わってきた一人の新聞記者が、自分の取材体験を中心に、「慰安婦問題」の捩じれた事情について思うところを語ったもので、目新しい情報がさほどあるわけではない。
出版社が「朝日バッシング」に間に合わせようと発行を急いだせいか、読みやすく整理されているとは言いがたく、「問題」の経緯や全体像などの予備知識なしに読むならば、かなり面食らうかもしれない。
まして「売らんかな」の書名に惹かれ、朝日新聞への内部告発や糾弾を期待したとすれば、まったくの期待外れに終わるだろう。
amazonのサイトを覗くと、この本の「カスタマーレヴュー」が載っている。22件の「レビュー」のうち12件が、5段階評価で「星一つ」という最低評価になっていた。
《買ってこんなに後悔した本は久しぶりです。》
《前川恵司なる人物は………日本は〈根拠もなく〉反省すべしと考える、お手本のような左を向いた考えの持ち主です》
《「自分は悪くない、しょうがない」といった内容です。今まで散々片棒担いでおいて、ヤバくなったら裏切って逃亡ですか?》
《加害者サイドにいた人物が自分の加害行為でさらに金儲けするという酷い本。金を与えてはいけない》
《金と時間も無駄!さっさと売国アサヒは潰れろ!》
こういう「読者」が「反韓本」「嫌韓本」のブームを支えているのだろうが、文科省は英語教育よりも、まず日本語を読む力の育成に力を入れるべきだと、あらためて思う。
▼たまたま東洋経済オンラインを覗いたら、黒田勝弘へのインタビュー記事が載っていた。
黒田は、韓国メディアによれば「日本を代表する極右言論人」だそうだが、韓国取材40年以上、そのうち30年以上は韓国に住み、70歳を超えた今でも「産経新聞ソウル駐在客員論説委員」として活動する現役の記者である。黒田は日本の「反韓本」ブームについて、次のように苦言を呈している。
《「反韓本」の著者の大部分は韓国の専門家やゆかりのある人ではない。専門家でもない人がなにゆえそれほど韓国に関心を持ち、韓国を批判するのか。読者を含め、その情熱がどこから出てくるのか。》
《韓国が日本を批判するたびに、……日本人が「また反日か」「けしからん」と反応する。そんな反韓ぶりを今度は、韓国メディアが本国に伝える。韓国メディアは反日メディアであり、そんなメディアが毎日のように垂れ流す情報がいかに日本人を刺激しているのかを、彼らは伝えようとはしない。これの堂々巡りであり、誤解が誤解を生みだしている。》
《……韓国のマイナス情報をせっせと集めて溜飲を下げているのは見苦しい。韓国人に対し、日本人はそこまで落ちぶれる必要はない。》
日本でも韓国でも、こういう良識の声を必要としなくなるのは、いつなのだろうか。
(おわり)
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