日韓首脳会談について

      【ブログ掲載: 2015年11月13日~12月4日】



▼安倍首相と韓国の朴クネ大統領の初の首脳会談が、11月2日ソウルで開かれた。前日の日中韓三か国の首脳会談に続いて行われたもので、日韓のトップ同士の会談は3年半ぶりになる。
 首脳会談が開かれなかった原因は、「慰安婦問題」である。朴大統領はこれまで、慰安婦問題で「納得できる前向きの措置」を要求して会談を拒否、対する安倍首相は前提条件なしの会談を求め、会談開催に至らなかったのである。
 日韓首脳会談終了後、安倍首相は「率直な意見交換を行うことができた」とし、「慰安婦問題は、未来志向の協力関係を構築していくうえで、将来世代に障害を残すことがあってはならない。国交正常化50年の年であることを念頭に、できるだけ早期の妥結を目指して交渉を加速させることで一致した」と述べた。

▼このブログは様々な話題を取り上げているが、その中で一番多くのページを割いているのは、「日韓関係」であり「慰安婦問題」である。3年前(2012年)の夏、李明博前大統領が竹島(独島)に上陸し、慰安婦や天皇に触れるコメントを出して以来、日韓関係は急激に悪化したが、筆者は並走して問題を調べ、機会あるごとに考えを述べてきた。
 そうした過程で理解したことのひとつは、韓国人にとって日本の存在は‘非対称的’に大きい、ということだった。
 日本人にとって米国は、政治、経済、文化、どの面をとっても大きく、常に意識せざるをえない存在だが、米国人にとって日本は世界の国々の中の一つ、相対的に小さな存在にすぎない。同様の関係が日本と韓国のあいだにもあり、日本人は韓国をほとんど意識せずにいるのに対し、韓国人はことあるごとに日本を意識し、反発したり比較優劣を論じたりしてきたのである。
 もう一つ理解したのは、韓国人の国民性が日本人に比べ、はるかに‘感情的’だという点である。感情を抑制するところに美を見出す日本人の文化に対し、彼らは率直な、あるいは過大なほどの感情表現を良しとする文化を創り出してきた。
 どちらの文化が優れている、というわけではない。しかし韓国の世論が理性的な議論に拠るよりも感情に流されやすく、彼らの政治が国民感情に左右されやすい面を持つことは、確かなようだ。
戦後の韓国人の日本への感情は、きわめて複雑なものだった。一方で植民地として支配された歴史に対する屈辱感や強い反発があり、「反日」の主張が社会の主流だったが、他方で経済的に先行する日本に対し憧れを懐き、ノウハウを学び取ろうとしてきた。
 しかし日本の経済力が「失われた20年」を経て相対的に小さくなり、韓国経済が相対的に大きくなるなかで、韓国人は屈折した日本への思いから解放されたが、韓国世論の反日色は依然として残った。一部の活動家のテーマだった「慰安婦問題」は、こうした流れの中で国民的課題に膨張し、韓国人が日本人に対して「道徳的優位」を覚えるホットなテーマとなったのである。

▼「反日」という韓国の国民感情の現在について、関係者は次のように語る。
 《日韓関係を支配しているのは国民感情です。現在は、以前と違って韓国の政治家が反日を唱えても支持率が上がるわけではありません。また、新聞社が反日記事を書いても発行部数が増えるわけでもありません。ただ、親日のレッテルを貼られると、政治家にとってダメージは大きく、新聞社のブログは炎上します。》(武藤正敏・前在韓国特命全権大使)

 また、「反日報道」を続ける韓国マスメディアの事情について、特派員たちは次のように語っている。(「週刊ダイヤモンド」が特派員経験者たちに、匿名を条件に「すべて本音でぶちまけてもらい」、編集部で「再構成」したという「特別レポート」が、11月1日のダイヤモンド・オンラインに載っている。)

《B記者: 私の場合は、毎朝、3~4本のネタをソウルの上司に報告するんですが、結局、会議で通るのは反日モノばかり。日本に対して好意的な内容はほとんど採用されません。デスクが見出しを過激に変えることもしばしば。だから読者の目に触れる記事はどうしても反日的なものが多くなるんです。
 C記者: デスクは日本についてあまり知らない人が多いよね。大手紙の国際部の‘本流’は米国や中国。米中の特派員経験者が出世する。だから日本への理解が浅いったらない。反日教育の延長線上でしか事象を切り取れないから、しきりに反日記事を求めてくる。現場も抵抗しろよと言われるかもしれないけど、韓国で上司に逆らうなんてありえないこと。泣く泣く反日ネタを探さざるを得ない。》

 韓国のマスメディアが韓国民の感情におもねる記事を日々流し、感情をさらに昂進する役割を果たし、政治家たちも韓国政府もその感情に拘束される。
 韓国政府や韓国メディアの主張には理解不能の事柄が多いが、国民感情による拘束という要素を加えることで見えてくる部分は大きい。


▼朴大統領がこだわり続けている「慰安婦問題」の「解決」だが、どのような事実、どのような根拠に基づき、何を要求するのか、韓国側から明瞭に語られることがない。
 今回の日韓首脳会談の前に、朝日新聞と毎日新聞は共同で大統領に「紙面インタビュー」を行い、「慰安婦問題の解決のために日本はどのような努力をすべきか」を端的に質問しているが、書面回答は以下のとおりである。
 「日本軍慰安婦の被害者の問題は、韓日両国間の問題を超え、普遍的な女性の人権の問題です。また、両国民の傷でもあり、胸が痛む事案です。
 被害者の方が90歳前後の高齢であるという点を考慮すれば、一刻も早く解決しなければならない喫緊の問題でもあります。(中略)
 そのために、日本政府が、被害者が受け入れ、我が国民が納得できる解決策をできるだけ早く示すことが重要です。この機会に、日本政府が、それに見合った癒しと解決策を示してくれることを願っています。」
 一刻も早く解決しなければならない喫緊の問題だと言いながら、具体的な解決策は何も示さず、「被害者が受け入れ、我が国民が納得できる解決策」を提示せよと迫る韓国政府。いささか不謹慎な例えだが、インネンをつけ、具体的な要求は示さず、「誠意を見せろ」と繰り返すやくざ者にも通じるやり口と言える。
 やくざ者の「誠意を見せろ」は、「ゆすり」の摘発を逃れ、被害者の自発的「誠意」として金品を出させる高等戦術だが、韓国政府のやり口も国民からの非難を避けつつ、日本に対する交渉の主導権を握ろうとする戦術である。

 韓国政府はこの「慰安婦問題」について、責任ある政府としての位置に立つことを避け続けてきたように見える。
 昨年6月、「河野談話」のつくられた過程を検証した政府の「検討チーム」が、「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯」という文書を発表したが、そのなかで韓国政府はややもすれば交渉当事者の位置から身をはずそうとしている様子がみてとれる。
 彼らは「日本側と決着を図り、韓国世論を指導するとか抑え込むということはなしえない」と言い、「要は日本政府の姿勢を韓国民がどう受け止めるかにつきる」と、見解を述べる。また、慰安婦関係団体に突きあげられ、日本政府との了解事項をたびたび反故にしてきた事実も見ることができる。(筆者はこれらの問題について、「『河野談話』検証は地味だが確実なヒットである」という記事を2014年6月30日から8月17日まで8回にわたって掲載したので、ここでは繰りかえさない。)

▼そもそも韓国政府あるいは韓国社会は、「慰安婦」や「慰安所」に関する事実をどのように理解しているのだろうか。「性奴隷」とか「女性の人権問題」という言葉はしきりに語られるが、それは一種の「解釈」であり、その元にある事実をどのように調査し、どのように把握しているのだろうか。
 前回引用した韓国人特派員の匿名座談会のなかに、ダイヤモンド編集部から「皆さんは慰安婦や竹島などの歴史・領土問題を本音ではどう考えられていますか」と質問され、答えた部分がある。

《D記者:非常にセンシティブな問題です。誤解を恐れずに言えば、私は独島(竹島)は、韓国の領土だと思っている。でも、慰安婦問題に関しては、挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)の主張には同意できない部分もある。20万人の強制連行というのはさすがになかったのではないかと………。
 E記者:僕もその意見に賛成だな。13年に発刊された書籍『帝国の慰安婦』によれば、20万という数字は誤りだということだ。国民も挺対協の主張を疑い始めた雰囲気がある。いざ記事を書くとなると、反日になってしまいますが。
 D記者:この前、この話をソウルで同期の記者にしたら、「お前は日本に魂を売ったのか」と散々諭されて後悔したよ。
 一同:そりゃあ当然ですね。(笑)》

 20万人ものいたいけな韓国人の少女が日本の国家権力により強制連行され、「性奴隷」として兵士たちの慰み物にされたのがもし事実だとしたら、韓国社会が憤るのは当然だろう。そして日本政府および日本人が、そうしたことは日韓基本関係条約(1965年)によって済んだ過去の問題だとして、何の反省も示さず謝罪の意も示さないとしたら、韓国社会が納得できないと思うのは当然だろう。
 国連人権委員会小委員会で1998年に受理された「マクドゥーガル報告書」の付属文書には、「1932年から第二次大戦終結までに、日本政府と日本帝国軍隊は、二十万人を超える女性たちを強制的に、アジア全域にわたるレイプ・センターで性奴隷にした」という記述があるという。その文書の結論は、「日本政府は、人権法と人道法に対する重大な違反に責任があり、その違反は、全体として人道に対する罪に相当する……」というものであるから、韓国挺対協の主張と国連報告書とは支え合いながら、慰安婦問題に関する韓国社会の「常識」を形成しているのかもしれない。
 しかし国際法の専門家であり、「アジア女性基金」の中心となって活動した大沼保昭によれば、「マクドゥーガル報告書」は「実証性を欠き、法的論理構成の荒い、低水準の研究」だという。たとえば「報告書」は、慰安所の「性的奴隷」は25パーセントしか生き残れなかったと主張したが、その根拠は放言癖で有名だった衆院議員・故荒船清十郎が選挙区の集会で行った放言であり、「完全なでたらめ」だった。
 また、「マクドゥーガル報告書」の前に、初めて国連の場で「慰安婦問題」を取り上げた「クマラスワミ報告書」(1996年)も、信頼性の低い文献に依拠し、引用方法自体にも問題のある、「総体的にみて学問的水準の低い報告といわざるを得ないもの」だったと、大沼は言う。

 《国連の特別報告者の報告がすべて水準が低いというわけではない。学問的研究としてみても優れた報告書もなくはない。ただ、たまたま二人の報告はレベルの低いものだった。「慰安婦」問題という、多くの人の関心を集めた問題に関する報告がお粗末なものだったことは、国連の権威と信頼性を傷つけるもので、残念なことだった。それをひたすら持ち上げた日韓の知識人、NGO、メディアの姿勢も、恥ずかしいものだったというほかない。》
(『「慰安婦」問題とは何だったのか』大沼保昭 2007年)

 そうした「実証性を欠き、法的論理構成の荒い、低水準の研究」に依拠した(あるいは依拠せざるを得なかった)主張やそれに影響された国民世論、そして世論におもねる政治家たちやマスメディア。それらが創りだした韓国社会の「常識」に対し、どのような問題の解決があるのだろうか。


▼前回のブログ記事をアップロードする前日、『帝国の慰安婦』の著者・朴裕河(パク・ユハ)教授が、元慰安婦に対する名誉毀損罪で在宅起訴されたというニュースが、新聞に出ていた。(朝日新聞11/18)
 その記事によれば、『帝国の慰安婦』は慰安婦問題の再検証を試みた書物で、朝鮮人慰安婦の生れた背景に帝国と植民地の関係があったと指摘し、貧しく権利の保護の不十分な植民地の朝鮮人女性が、慰安婦として日本の戦争に送り込まれた問題の構造を分析したものである。2013年に出版されると、元慰安婦らは出版差し止めの仮処分を請求し、地裁は一部削除の決定を下し、韓国内では現在、一部削除した修正版が出版されている。
 今回の検察の起訴は、慰安婦が「売春」の枠内の女性であり、「愛国心」を持って日本兵を慰安したという表現や、「慰安婦たちの《強制連行》が少なくとも朝鮮の領土では、公的には日本軍によるものではなかった」という記述を問題にしたものである。検察は、これらは「虚偽の事実」であり、元慰安婦の名誉を傷つけ学問の自由を逸脱したものだと主張し、その根拠として河野官房長官談話や国連の報告書などを挙げているらしい。

 歴史の研究に対する韓国政府あるいは韓国社会の「野蛮さ」に驚かされるが、これまでの彼らの態度から見て不思議はない、という気もする。
 しかし筆者から見て重要だと思うのは、この起訴と裁判により、慰安婦問題に関する韓国政府の考えとその根拠が、具体的に明らかになることである。裁きの場に晒されるのは、朴裕河教授の著書・『帝国の慰安婦』だけではない。韓国政府、韓国社会の練り上げた「慰安婦妄想」もまた、公けの場に晒され、確かめられることになるのである。
 もちろん裁判の結果、韓国政府、韓国社会の問題の認識が誤りであるという判断が下される、とは思わない。「慰安婦問題」を日本との政治課題とするよう焚きつけたのが韓国憲法裁判所だったのだから、この裁判でも韓国世論に異を唱えるような判決は、とうてい期待できないだろう。
 しかしそれでも、『帝国の慰安婦』を有罪とするための判断と根拠が具体的に示されるなら、それは理性的な対話を取り戻すひとつの契機になるかもしれない。

▼前回筆者は、「韓国政府あるいは韓国社会は、『慰安婦』や『慰安所』に関する事実をどのように理解しているのだろうか。『性奴隷』とか『女性の人権問題』という言葉はしきりに語られるが、それは一種の『解釈』であり、その元になる事実をどのように調査し、どのように把握しているのだろうか」と書いた。慰安婦問題で日本政府を告発する日本の活動家たちについても、筆者は同様の疑問を持っている。
 先日、『戦後責任論』(高橋哲哉 文庫版2005年)という書物を読んだ。加藤典洋の『敗戦後論』(1997年)をめぐる論争を考えるために読んだものの一つなのだが、その中に「慰安婦問題」に触れた文章も含まれていた。それをそのまま抜き書きしてみる。

・「従軍慰安婦」とは旧日本軍が軍用に作り出し維持した「性奴隷制」であり、「強制売春」のシステムです。
・「慰安婦」問題の本質は、それが日本軍による組織的な性暴力であったことにあるのであって、連行形態が狭義の強制連行であったかどうかにあるのではないのです。
・いわゆる従軍慰安婦問題………朝鮮半島出身者だけでも数万は下らないという被害者を出したこの戦争犯罪は、驚くべきことに、戦後半世紀近くにわたって「公的」歴史から消し去られていた。
・従軍慰安婦を性の奴隷とした兵士たち
・従軍慰安婦問題の全容解明や法的・政治的責任の追及については目をつぶりながら、現在たとえば旧ユーゴスラビアでの「集団レイプ」についてどんな責任ある態度を取り得るだろうか。
 
 高橋哲哉は哲学専攻の東大教授ということだが、言葉を厳密に吟味して取り扱うことを教えるべき哲学の教師が、「性奴隷」、「性暴力」などという曖昧な言葉を率先して使用して恥じない現実を、どうみるべきなのだろうか。
 先の大戦中、旧日本軍が設置し管理していた「慰安所」で、「管理売春」が行われていた歴史の事実がある。それは従来の常識では、胸を張って説明できる事柄ではなかったが、軍組織を維持していく上で必要な、やむを得ない仕組みと見なされていた。
 しかし女性の視点が歴史に導入され、慰安婦問題が「発見」されると、慰安所制度は女性の人権を踏みにじる戦争犯罪と指弾されるようになった。売春が「人としての尊厳を害」する行為(売春防止法第1条)である以上、管理売春施設である「慰安所」を組織的に導入した国家の行為が、指弾されれば黙って頭を下げざるを得ないことがらであることは、多くの人が認めるだろう。
 研究書によれば、日本人慰安婦は、内地の遊郭から移る経験者が多く、年齢も比較的高かったのに比べ、朝鮮人慰安婦は年齢が低く、未経験者が比較的多かったようである。元慰安婦の話から判断すると、親に売られたり、騙されて連れてこられたりという、「本人の意志に反して」慰安婦にされたケースも少なくなかったようである。また、慰安所での労働条件も、多くは過酷であった。―――
 以上のようなアウトラインによる「事実」の理解は、大方の了解を得られるだろうと筆者は考える。
 告発者たちは、ここに「性暴力」、「性奴隷」といった曖昧で挑発的な言葉を持ち込み、「慰安婦」は日本兵によって集団レイプされた「性奴隷」だったと繰り返した。それは自分たちの運動を有利に展開するための「誇張」ないし「歪曲」なのだが、誇張され歪曲された言葉はひとり歩きを始め、慰安所は「レイプ・センター」に昇格し(マクドゥーガル報告書)、韓国世論を憤激させ、硬化させた。そして現在、慰安婦問題に関する韓国社会の理解の誤りを指摘した研究者を許さず、名誉棄損で起訴する事態に至ったのである。


▼『帝国の慰安婦』の著者を韓国の検察が名誉棄損で起訴した、という先の新聞記事から窺えるのは、韓国国内では慰安婦問題の「事実」について、次のように考えられているということだ。
 まず、戦時中、韓国人女性が日本の国家権力に「強制連行」され、彼女たちはむりやり慰安婦にされた、という理解である。
 日本の告発者たちは、先ほどの高橋哲哉も含め、そのような無理な主張はさすがにできず、「慰安婦問題」の本質はそれが旧日本軍による組織的性暴力であったという点にあり、強制連行があったかどうかにあるのではない、などと言う。しかし韓国国内では、「強制連行」は疑いようのない歴史の「事実」とされているようだ。
 もうひとつの要点は、慰安婦たちが「性の売買をする女性」、「性の売買を強いられた女性」ではなく、「性奴隷」だったという理解である。日本の告発者たちは、自分たちの誇張や歪曲をごまかすために、慰安婦は「性暴力の被害者」だという表現法を編みだしたが、韓国社会にとって慰安婦たちが「売春」を行っていたという事実は、認めることができないことらしい。
 彼らは自分たちの主張の根拠として、「河野談話」や国連報告書を挙げているようだ。しかし「河野談話」は、政治的妥協のための文書であって歴史事実を証明するものではないし、クマラスワミやマクドゥーガルの報告書は、信頼性の低い資料に依拠した出来の悪いレポートであり、根拠とするには無理がある。
 にもかかわらず韓国政府は、自分たちの主張に不利な歴史研究を抑えつけてでも、従来の「歴史認識」を維持しようとする。問題の解決は容易ではない。

▼さて、今回の日韓首脳会談と今後の見通しをどう考えるべきか。
「このように考えてはいけない」悪い見本として、朝日新聞の社説(11月3日)を取り上げ、コメントを加えながら考えてみたい。社説は「本来の関係を取り戻せ」と題する短いもので、それを半分に縮めて以下に採録する。《カッコ》でくくった部分は社説の文章そのまま、その他の部分は筆者の要約である。

 安倍首相と朴大統領の初の首脳会談がきのう実現した。隣国でありながら異常な事態が続いたのは、元慰安婦たちの問題をめぐる駆け引きのためだ。会談の結果、「早期妥結を目指して交渉を加速させていく」ことで一致した。
 《こんなごく当たり前の意思確認がなぜ、いまに至るまでできなかったのか。互いの内向きなメンツや、狭量なナショナリズムにこだわっていたのだとしたら、残念である。》
 《双方が忘れてはならないことがある。慰安婦協議は国の威信をぶつけ合うのではなく、被害者らの気持ちをいかに癒せるのかを最優先に考える必要があるということだ。》
 慰安婦問題は、女性の尊厳を傷つけた普遍的人権の問題である。
 《日本政府は、50年前の日韓協定により、法的には解決済みだと主張する。これに対して韓国側には、日本の法的責任の認定と国家賠償を求める声がある。》どちらか一方の主張をすべて貫くことはできず、双方が一定の妥協をして「第3の道」を探る以外にない。
 《今回の首脳会談は米国の後押しで実現した》が、《隣国としての本来の姿を早く取り戻さねばならない。》

 日韓関係は日米関係や日中関係と同様、日本にとって影響の大きい重要な関係であるのに、この無内容な当たらず障らずの「主張」はどうしたものか。
 まず、日韓首脳会談が3年半ぶりになぜ実現したのか、「米国の後押し」をいうだけで、分析が全くできていない。もちろん米国は、中国の海洋進出や北朝鮮の軍事的冒険主義をにらみ、東アジアの政治的軍事的安定のために日韓関係の正常化を強く望んだ。そのことが会談実現の原因の一つであったことは、確かである。
 しかし韓国政府にとって首脳会談が、一つの挫折であったことも、また確かなことである。韓国政府は朴大統領就任以来、中国に接近し、米国と中国を共に味方に付ける「二股外交」を展開するとともに、日本を孤立させる外交戦術を取った。民主党政権時代に日米関係に隙間風が吹いたことに乗じ、安倍首相の「歴史修正主義」や「慰安婦問題」を問題にし、日米関係をさらに離間させる策を進めた。韓国の国内世論も、しばらくはこの政策を支持した。
 だが安倍首相が米国との関係を修復し、中国の習近平主席とも2度会談すると、韓国の世論は変わった。朴大統領の頑なな外交に批判の目を向け、日本との関係を修復して韓国経済を立て直すことを、求めるようになったのである。つまり日韓首脳会談実現の背後には、両国政府の真剣な利害と思惑の「つばぜり合い」があったのであり、そのことに触れずに両国の「内向きなメンツ」へのこだわりを云々するのは、外交を論ずる態度として救い難いと思う。

▼「慰安婦問題」をどのように解決するべきかについても、この社説は「双方が妥協して第3の道を探る」というような綺麗ごとしか言わない。だがポイントは、
20年前に日本で取り組まれ、日本や韓国の活動家たちによって批判され妨害された「アジア女性基金」をどう考えるか、というところに帰ってくるように見える。
 「請求権」の問題は「完全かつ最終的に解決された」と明記した1965年の協定を守りつつ、元慰安婦のおばあさんたちへの日本人のお詫びの気持ちも届けたいという趣旨で行われたのが、「アジア女性基金」の事業だった。趣旨に賛同して集まった国民からの寄金を「償い金」とし、彼女たちの医療・福祉事業に充てるという名目で国家予算から支出された資金を併せ、首相の「お詫びの手紙」を添えて、お金はおばあさんたちに手渡された。
 しかし活動家たちは、日本政府が法的責任を認め、国家補償することをあくまでも要求し、「アジア女性基金」の事業を非難した。韓国の「挺対協」の代表者は、女性基金の金をもらうことは、自分が売春婦であったと認めることだと言って、元慰安婦たちが受け取ることを妨害した。はじめは「誠意ある措置」と評価していた韓国政府も、「挺対協」などの反発を見て態度を変え、「関係団体と被害者の両方が満足する形」でなければ解決にならない、と言い出した。結局、女性基金からの「償い金」を受け取った韓国の元慰安婦は、61人にとどまった。
 こういう「アジア女性基金」の活動の経緯をどう考えるか、朝日新聞ははっきりした態度を示さない。当時「朝日」は、活動家たちの主張に近い位置に立っていたから、正確にいえば、態度を示すことが「できない」のかもしれない。
 だがこれから韓国政府との協議の中で、日本政府が提案する「解決策」は、おそらく「アジア女性基金」事業に類似のものとなるだろう。だから「女性基金」事業の経緯への評価をきちんとできないならば、これからの日韓交渉を論じることもできないのである。

▼この「朝日」の社説でもっとも問題なのは、次の箇所である。
「慰安婦協議は国の威信をぶつけ合うのではなく、被害者らの気持ちをいかに癒せるのかを最優先に考える必要がある」―――
 日本、韓国、どちらの側にも立たず、自分は「被害者」の側に立つという位置取りは、一見「公平中立」のように見えるが、この問題ではそう上手くはいかない。
 韓国政府が「アジア女性基金」に関し、「関係団体と被害者の両方が満足するような形」でなければ解決にならないと言い、「被害者たちが納得する措置」をとってほしいと言ったことを、思いださなければならない。「被害者らの気持ち」を持ち出すことは、活動家団体「挺対協」を満足させる措置を日本政府に要求することに等しいという事実に、盲目であってはならないのだ。
 「朝日」の論説子が、この事実に考え及んでいなかったとしたら、「限りなく無能」と言うほかなく、知っていて書いたとしたら「極めて悪質」と評するしかない。

 安倍首相は、この問題で合意したのち、再び韓国側が問題を蒸し返すことがないような保証を求め、またソウルの日本大使館前に設置されている「慰安婦の少女像」を撤去するように、朴大統領との会談で要求したと報じられている。
「問題」の解決の要点は、韓国政府が活動家たちの強硬な主張に怯えず、また「誤った歴史認識」のもとで盛り上がる「世論」に流されず、政治的意思決定を行うことができるかどうかにかかっているのだが、それはかなり難しいのではないかと、筆者は見ている。

(おわり)

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