「慰安婦問題」の日韓合意について
【ブログ掲載: 2016年1月1日~1月8日】
▼12月28日(月)の午後、たまたまTVをつけながらお茶を飲んでいると、まもなく日韓外相による共同記者会見がソウルで開かれるので中継する、という予告が入った。じきに共同記者会見の中継が始まり、岸田外務大臣が文書を読み上げ、続いて韓国の外交省長官が文書を読み上げた。
「慰安婦問題」を決着させる日韓合意が成立したということだったが、その内容を聞いて、よくこれで韓国側が呑んだな、と思った。日本側の「一方的勝利」ではないか、という感想だった。
が、日韓合意の評価は後に回して、とりあえず合意内容を見てみよう。
岸田外相の読み上げた内容は、次のようなものだった。
①「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。
安倍首相は、日本国の首相として改めて、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。」
②このため、日本政府の予算により、元慰安婦の心の傷をいやす措置を講じる。韓国政府が元慰安婦の支援を目的とした財団を設立し、日本政府はここに10億円の資金を拠出し、両政府が協力して慰安婦のための事業を行う。
③今回の発表により、「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。」また日韓両政府は、今後国連等国際社会において、この問題で互いに非難・批判することは控える。
韓国の外交部長官の読み上げた内容は、次のようなものだった。
①韓国政府は、日本政府の声明と今回の発表に至るまでの取り組みを評価し、「日本政府と共に、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。」
②韓国政府は、日本大使館前の少女像について、「関連団体と話し合いを行い、適切な形で解決するよう努力する。」
③韓国政府は日本政府と共に、今後国連等国際社会で、この問題で互いに批判することは控える。
▼この合意内容について韓国側では、「河野談話」を否定しようとする安倍首相に「心からのお詫びと反省の気持ちを表明」させた点や、「軍の関与」という表現で「強制性」を認めさせた点を、「一歩前進」(朝鮮日報)と受け止めているらしい。
「法的責任」を認めさせられなかった点は残念だが、「道義的責任」という表現にはせず、政府の「責任」を「痛感している」と表明させ、日本政府から10億円を「支援財団」へ出させることになったことも、成果ととらえているようだ。
日韓両国の今回の交渉の成果を評価するには、合意内容を過去の声明や事業、とくに「アジア女性基金」の事業と比較することが有意義である。
「アジア女性基金」は1995年に発足し、翌96年にはフィリッピンで、97年には韓国で事業を開始した。女性基金の人間が元慰安婦たちに面会し、「償い金」や「総理のお詫びの手紙」を手渡し、彼女たちの医療・福祉のための資金を支出した。「償い金」は国民からの寄金を原資としたが、医療・福祉のための資金は国庫からの支出だった。
しかし韓国の「挺対協」は、「償い金」が政府の資金ではなく国民の寄金から出されていることを「ごまかし」と非難し、日本政府が明確に「法的責任」を認め国家賠償するよう要求して、女性基金の事業を妨害した。当初、事業を評価していた韓国政府は、国内の反対世論を怖れ、自分を第三者的位置に置き、女性基金が元慰安婦や関係団体の理解を得て事業を進めるように主張した。結局、韓国国内で「償い金」を手渡すことができた元慰安婦は、61人にとどまった。
▼この「アジア女性基金」事業の顛末に今回の合意の内容を比較すると、次のことが見えてくる。
第一に、日本政府は元慰安婦の支援事業を行う財団に資金を支出することを約束したが、「償い金」を支払う約束はない。「償い金」とはつまり謝罪を形に表したものであるから、この肝心な部分がないということは韓国側にとって大きな「後退」だと思うのだが、そういう意味での反発はなぜか今のところ見られないようだ。
元慰安婦の支援事業へ日本政府が資金を出すことは、「アジア女性基金」のときも彼女たちの医療・福祉のために資金を出していたのだから、新しい項目ではない。
第二に、元慰安婦の支援事業は韓国政府が財団をつくり、そこに日本政府が出資する形をとるとされている。つまり韓国政府をこの慰安婦問題で、逃げ隠れできない「当事者」と位置付けている。このことは、「慰安婦問題」に関する韓国政府の「逃げ腰」「及び腰」に苦い思いをさせられてきた関係者にとって、大きな成果といえるだろう。
第三に、「軍の関与」という表現で安倍首相に「強制性」を認めさせた、一歩前進だと韓国側が「評価」している点だが、「アジア女性基金」が「償い金」とともに元慰安婦に手渡した「総理のお詫びの手紙」を見てみよう。
「……いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からのおわびと反省の気持ちを申し上げます。………」
このお詫びの手紙は、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜郎、小泉純一郎の歴代4人の総理大臣がそれぞれ署名し、元慰安婦たちに贈られた。
筆者は岸田外相が、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた………」と読み上げるのを聞きながら、「総理のお詫びの手紙」の表現の線で「おわび」は落ち着いたのだなと思い、また軍の管理する施設・慰安所での出来事であるから、この表現は妥当であると思った。
韓国世論の満足感に水を差すつもりはないが、この表現は日本軍が韓国の若い娘を「強制連行」したことを認める、いう意味ではない。
第四に、「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」という文言を、互いの声明の中に盛り込むことに成功したことである。今回の合意以降、二度と問題を蒸し返さないという約束は、韓国側の今後の行動への強い制約となるだろうし、日韓関係をこれ以上悪化させないために不可欠である。
第五に、両国はこの問題で、国際社会で互いに批判することを控える、と互いの声明の中で表明し、韓国政府は日本大使館前の少女像について、「関連団体と話し合いを行い、適切な形で解決するよう努力する」と約束した点である。
これは「努力義務」であって確実に撤去される保証はない、と問題にする人間も日本側にいるようだが、韓国政府に努力義務を課したことで、日本政府は大きなアドヴァンテージを得たことになる。
▼前回記した五つのポイントから、筆者は「日韓合意」の内容は日本側の「一方的勝利」だと評価したのだが、そのような受け止め方は日本でも韓国でも、(なぜか)ほとんど見られないようである。
だが、「アジア女性基金」の事業を批判し、日本が法的責任を公式に認め国家賠償するよう要求し続けた「告発者」たちにとって、この合意で得られたのは「女性基金」事業と類似のものでしかなく、納得できなくて当然だろう。その上、この決着が「最終的かつ不可逆的」なものだと一札入れさせられたのだから、元慰安婦関係団体とそれを支援してきた韓国国民が、大きな不満を抱いたとして不思議はないのである。
韓国の世論は、割れているように見える。元慰安婦たちも受け入れる者と反発する者に割れ、米国で「少女像」の設置運動を進めてきた韓国系在米団体も割れている、と報じられた。
また韓国での世論調査では、「最終的かつ不可逆的な解決」とすることに同意しない者が約6割、日本大使館前の「少女像」の撤去については、7割以上が反対という結果だった。
つまり、合意を懐疑的にみる空気がやや優勢、ということらしい。
一方日本では、合意が成立したこと自体を批判する声は聞かれない。
合意翌日の「朝日」、「毎日」はともに「歓迎したい」という社説を載せ、「読売」は、「日韓関係を改善する契機となるのか、見守りたい」と言い、「産経」は、「『妥結』の本当の評価を下すには、まだ時間がかかる」と書いた。「見守りたい」も「まだ時間がかかる」も、過去の韓国側の態度から見て、彼らが合意を守るかどうか懸念があるということだが、合意したこと自体は評価している。
日本の世論もまた、問題が「最終的かつ不可逆的に解決」したと確認された点を、高く評価しているように見える。
▼昨年11月に安倍首相と朴大統領の初めて日韓首脳会談がおこなわれ開かれ、「慰安婦問題の早期の解決」が約束されたあと、筆者はこのブログに次のような「見通し」を書いた。
《「問題」の解決の要点は、韓国政府が活動家たちの強硬な主張に怯えず、また「誤った歴史認識」のもとで盛り上がる「世論」に流されず、政治的意思決定を行うことができるかどうかにかかっているのだが、それはかなり難しいのではないかと、筆者は見ている。》
筆者の「見通し」は見事に外れたわけだが、なぜ外れたかを考えることは、なぜあのような内容で合意に至ったのか、を考えることと同じである。
韓国政府は、目新しい成果もないまま、問題が「最終的かつ不可逆的に」解決したと認めさせられ、日本大使館前の「少女像」も「適切な形で解決するよう努力する」と約束させられた。韓国政府はなぜそのような決着を受け入れたのか、あるいは受け入れざるを得ない状況に追い込まれたのか。
一言でいえば、韓国・朴政権の外交の破綻である。
朴政権は中国に急接近し、米国・中国に対する二股外交を試み、日本に対しては「慰安婦問題」や「歴史認識」を材料に、強く批判・非難する外交を展開した。米韓同盟の強化と日韓関係の改善を求める米国に対しては、日本の安倍政権への不信感を理由に要請の受け入れを拒んできた。
しかし安倍政権は、米国との緊密な信頼関係を取り戻すことに成功し、一方、米中関係が南シナ海などで緊張を高めると、韓国の二股外交は立つ瀬を失った。「北東アジアの安定」のために日本との関係改善を求める米国の要請を、断ることはもはや韓国にとって不可能だった。
韓国経済も低迷し、朴政権の頑なな外交を批判する声が国内で高まる中、韓国政府は「慰安婦問題」をどのような形であれ「解決」し、日本との関係を正常に戻さざるを得ない立場に追い込まれたのである。
これが韓国政府が、国内の活動家たちや一部世論の反対を覚悟の上で問題を決着させた理由であり、筆者の見通しが外れた理由である。
一昨年亡くなった元外交官・岡崎久彦は、「中国との関係改善を望むなら、米国との関係をより緊密にすることだ」という趣旨のことを、しきりに述べていたが、同じロジックが図らずも「日韓関係の改善」に働いたと言える。
▼日韓関係に刺さった「とげ」としての「慰安婦問題」は終わった。たとえ韓国国内に強い異論が残ったとしても、問題が「最終的かつ不可逆的に」解決したと公開の場で両政府が合意し、米国が同じ表現を使って「合意」に賛意を表した以上、その内容を反故にする勇気は朴政権後のどの政権も持たないだろう。
「慰安婦問題」が日本の「言論空間」に及ぼした影響を、少し考えてみたい。戦後の「言論空間」で支配的だった「進歩的言論」の有効性が、最終的に凋落したのがこの「慰安婦問題」ではなかったか、という感想が筆者にはある。
「進歩的言論」の一つの特徴は、憲法の「平和主義」を国際関係にも投影し、国際権力政治を極力否認し、善意の友好関係を築くように努力するなら、善意は必ず通じるとする「理想主義」である。また被害者や弱者の側に立ち、加害者である国家の悪を告発するというスタンスを好んでとるのも、特徴のひとつである。
冷戦終結以後の四半世紀は、「進歩的言論」にとって茨の時代だった。
1990年の夏、イラクのクウェート侵略を機に起こった湾岸戦争は、日本人の「平和主義」を大きく揺るがした。
2002年9月、金正日が訪朝した小泉総理に対し、北朝鮮政府機関による日本人の拉致を認めたことで、北朝鮮との友好を説いてきた人々は大きなダメージを受け、沈黙した。
2005年、中国各地で反日暴動が発生。さらに2010年、尖閣諸島付近で違法操業していた中国漁船を拿捕し、船長を送検した事件をきっかけに高まった日中間の緊張、2012年のいわゆる尖閣諸島「国有化」をきっかけに開始された中国の声高な日本非難と、中国公船による頻繁な領域侵犯。日本人の中国に対するイメージは凋落し、中国に「親しみを感じない」人の割合は、8割を超えるに至った。(内閣府調査)。中国への贖罪意識も踏まえながら日中友好を説いてきた「進歩的言論」は、ここでも沈黙せざるを得なかった。
そして「慰安婦問題」だが、これは90年代初めにもちあがり、93年の「河野談話」、90年代後半の「アジア女性基金」の活動などを織り込みながら、まさに四半世紀のあいだ延々と問題にされてきた。特に2012年に李明博大統領が竹島に上陸し、「慰安婦問題」の解決に取り組まない日本を非難して以来、日韓関係は極端に悪化し、互いの国民感情も最悪となった。
「慰安婦問題」の特徴は、上の他の出来事と異なり、もともと大きな国家対立を生み出すような問題ではなかった点にある。それを日本の告発者たちは、事実を誇張、歪曲して描きだすことにより、問題を複雑化し、無用に長引かせ、両国民をつよく反目させる結果を生み出したのである。
「被害者」に寄り添い、「加害者」である国家を告発する彼ら・彼女らの言動は、「進歩的言論」の最後のあだ花だった。
これらの事件を経過するなかで「進歩的言論」はすっかり信用を落とし、代わって舞台の中央に登場し、めきめき支持を集めたのは、「愛国」を看板に掲げた言説だった。「愛国」を看板にする言説の問題は、いずれあらためて取り上げることにしたい。
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