「昭和」は遠くなりにけり
【ブログ掲載:2011年10月20日】
▼「昭和の感じが出ている」、「いかにも昭和っぽい」……。
「昭和」が、レトロスペクティブ(懐古的)なニュアンスをこめて使われるようになるとは、思わなかった。
いつごろからだろうか?「三丁目の夕日」という映画が話題になったが、そのころからだろうか。
明治時代には「天保の老人」という言葉が流行ったそうだ。文明開化の世の中に適応できない年配者の頑迷さを、明治の青年たちが嗤ったのだが、いまでは明治人どころか大正生まれの老人さえ、街で見かけることはまれになった。
▼ NHKのBS放送で毎週日曜日、「山田洋次監督の選んだ日本の名作100本」として、映画を流している。先日の映画は、「おかあさん」。成瀬巳喜男監督、田中絹代主演、昭和27年の作品である。母親をテーマにした子供たちの作文をもとにして、水木洋子が脚本を書いた。
クリーニング店を営むある一家の、なんということもない暮らしの話だが、この映画が映し出す「昭和の暮らし」と日本の社会の貧しさには、正直、まいった。
岡田英次と香川京子がピクニックに行った場面に「向ケ丘遊園地」の看板があったから、東京のどこかの地域なのだろう。舗装していない石ころだらけの道路に沿って木製の電柱が立ち、安普請の家々が並んでいる。家の通りに面した側はクリーニング屋の店舗だが、店の後ろはすぐに暮らしのスペースである畳の間につづいている。
朝になると畳の上にちゃぶ台を置き、家族が周りに座り、「おかあさん」がお櫃や鍋を台所から運び、茶碗にご飯やみそ汁をよそう。部屋と部屋の間はふすまで仕切られているが、開け放つと裏庭から表の通りまで見える。
日本人のつい昨日の暮らしのはずなのに、そして私も含め団塊の世代の人間は、自分で体験した暮らし方であるはずなのに、すっかり忘れ去っていることに気づかされる。
満州から引き揚げてきた妹の息子を預かるとか、ハバロフスクで捕虜をしていたおじさんがクリーニング店を手伝いに来る、という話も出てくるから、国民体験としての「戦争」の記憶は、まだひとびとの日常生活の中に活きていた。
▼「隔世の感」、「一身にして二世を経るがごとし」、というが、文字どおり現在とは別世界である。どこがどう変わったというよりも、あらゆるものが激しく変わった。日本の街の風景も変わり、日本人の暮らしも激変した。
見えやすいところでは、石ころだらけの道が幅広い舗装路に変り、その上を無数の車が走り、路傍の安普請の木造家屋は高層マンションに変った。
映画には、広場で行われるのど自慢大会やお祭りの場面が出てくるが、人の多さ、子供の多さが目に付く。テレビ放送が開始される前は、ひとびとは楽しみを求めて、今よりもずっと街頭に出ることが多かったのかもしれない。
服装面の変化は小さいが、映画の中の女性は長いスカートか着物姿であり、男の社会では背広にネクタイと帽子いう服装コードが生きていた。しかし今ではカジュアルな服装や意識が、幅を利かせている。
そういう目に着きやすい社会の変化に並行して、ひとびとの生き方や価値観に関する変化も進行した。
▼2週間ほど前の「名作100本」は、市川昆監督の「私は二歳」だった。松田道雄の育児エッセイを映画化した昭和37年の作品で、山本富士子と船越英二が若い親の役で出演する。「おかあさん」の映画撮影からちょうど10年が経ち、世の中も落ち着き、団地に住むことが憧れの新生活を意味した時代である。
山本富士子が、思っていたよりもふくよかな、肉付きの良い体型であることに気付き、ある種の感慨があった。
主人公の幼児が2歳だから、当時の平均的ライフスタイルとして、彼女は20代後半の主婦という役どころであろう。また昭和6年生まれという彼女の実年齢も役どころにふさわしいものだったのだが、現在の同年代の女性に比べてずっと成熟した安定感が感じられたのである。そのかもし出す雰囲気は、現在ではもっとずっと年を重ねた人間のもののように見えた。
▼なぜ、現在の主婦あるいは女性たちは、成熟した女という雰囲気から遠くなったのだろうか。それはいつまでも若く見られたいという女性の願望とは、別の理由によるものであるように思う。つまり彼女たちの中に、成熟した女となることを拒むなんらかの心理が働いているのではないか。
この映画がつくられた昭和30年代は、まだ、20代前半に結婚し20代後半に子供を2、3人産むという女性のライフサイクルは、疑われていなかった。
主婦の座は、普通の女性ならばだれもが望む安定感のあるものであり、20代の独身女性は不安定な地位にあった。しかし現在、主婦の座はけっして安定した満足を保証するものではなく、「自己実現」の機会を奪われた、という不満や不安定な心理に脅かされる場所になった。
かわりに女性たちが憧れるのは、男と対等に仕事をし、男以上に仕事ができるかっこいい女であるらしい。背が高くスリムで颯爽と行動し、しかし女としての華もあるかっこいい女。
山本富士子の体型から米倉涼子や天海祐希の体型へ、ヒロインの体型の変化は社会の価値観の変化を映し出している。
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