フューリー
                
【ブログ掲載: 2015年1月4日】



▼先日、新宿に所用で出かけたついでに映画館に入り、「フューリー」(監督:デビッド・エアー)を見た。
 第2次世界大戦末期の、連合国とドイツの戦いを描いた戦争映画である。あと1か月もすれば戦争が終わる1945年4月、ドイツ軍の抵抗が続くドイツ国内の街や平原を舞台に、繰り広げられる戦闘の一日がリアルに描かれる。
 主人公は、米軍のシャーマン戦車に乗り込んだ5人の兵士である。戦死した副操縦手の代わりとして、まだ少年のような新兵が配属される。戦車の指揮者・ウォーダディー軍曹に新兵は、戦闘経験はなく、タイピストとして事務の仕事をしていたと申告する。5人の乗る戦車の砲身には、FURY(フューリー)という落書きが見える。
 フューリーは他の戦車と小隊を組み、東へ移動する本隊の側面援護にあたる。途中、難民となって黙々と歩く多数のドイツ市民や、おびただしい数の死体を眼にして、新兵は戦場の凄惨さに息を呑む。
 突然、道路沿いの茂みから対戦車砲が火を噴き、味方の戦車一両が破壊される。応戦し、銃声が静まったあとには、ドイツの軍服を着た子どもの死体が残されていた。ウォーダディー軍曹は、武器を持った敵を見かけたら子どもでもさっさと殺すんだ、と新兵を叱りつける。
 部隊は、ある町を市街戦のすえ確保する。広場に面した建物の上階の窓に人影を見た軍曹は、新兵を連れて中を捜索する。隠れていた女二人を見つけると軍曹は卵の入った缶を手渡し、怯える女に目玉焼きを作るように命ずる。新兵がピアノを弾いてみせると、若い女の顔がほころぶ。

▼戦車小隊は小休止ののち、味方部隊の安全な進軍のために、行く手の十字路を確保する任務を与えられた。十字路に向かう4台の戦車隊の前に、1台のドイツ軍ティーガー戦車が現われ、激しい戦闘となる。装甲、火力に勝るドイツの重戦車は、米軍の戦車3台をつぎつぎに破壊するが、残るフューリーはティーガー戦車の後ろに回り込み、急所に砲弾を撃ち込んで辛うじて敵を倒す。
 その日の夕方、さらに前方に進んだフューリーは地雷を踏んでキャタピラが壊れ、道路の中央で動けなくなる。修理の最中、斥候に出ていた新兵が、300人ほどのSSの部隊がやってくると報告する。勝ち目のない闘いだから、俺は残るがお前たちは退却しろという軍曹に、部下の4人は自分たちも残り闘う、と言う。
 暗闇の中、SSの歩兵部隊との激しい戦闘が行われる。動けない戦車にこもった5人は、戦車砲と機関銃で敵に大きな打撃を与えるが、多勢に無勢、弾が尽き、敵弾に倒れる。軍曹は倒れる前に新兵に、戦車の底の脱出口から逃げるように言う。
 翌朝、進軍してきた米軍部隊は、戦車の周りのおびただしい敵の死体と、泥にまみれて生きのびた新兵を発見した。

▼特別な一日ではない。連合軍とドイツ軍が戦った数限りない戦場の、無数にある一日の出来事に過ぎない。その一日の出来事を、監督デビッド・エアーはきわめてリアルに描いて見せた。
 映画に登場するシャーマン戦車やティーガー戦車は、イギリスの戦争博物館から借り出した本物であり、兵士たちの軍服は当時のものを探し出し、破れ方、擦り切れ方、繕い方まで参考にして何百着も作成したという。
 戦闘場面では、砲弾、銃弾を撃ち合う凄まじい音が劇場の音響設備を通して轟き、死体はむごたらしく血を流し、破損し、肉塊と化している。

 戦場の凄惨さをリアルに描いた映画としては、「プライベート・ライアン」(監督:スティーブン・スピルバーグ 1998年)のノルマンジー上陸作戦の場面がある。「史上最大の作戦」(1962年)の描く同じノルマンジー上陸の場面が、牧歌的なピクニックのように見えるほど、スピルバーグの描く戦場の惨状は凄まじいものだったが、「フューリー」のリアルさはそれ以上と言えるかもしれない。
 登場人物たちの台詞にも、声高な主張は何ひとつ見られない。ただひとつ、ウォーダディー軍曹が人を殺すことに抵抗感を見せる新兵に向かい、「平和は理想だ、しかし歴史は暴力に満ちている」と言う場面があるが、あとは兵士たちの日常的な会話でつづられている。
 兵士たちも「平和」や「歴史」や「正義」を思うことはあるだろう。しかしそれらの思いが、言葉になることはない。現実は言葉にするにはあまりにも複雑で重く、圧倒的に巨大であるからだ。兵士たちの思いは結局、敵を倒すことに行きつき、敵を殺すことにのみ集中する。
 兵士たちの思いをもし言葉にするなら、それは「恐怖」や「悲哀」や「望郷」とともに、「凶暴な怒り」(FURY)となるのではないか。それは仲間を殺した敵への憎悪かもしれず、また自分たちを過酷な状況に陥れた不条理な運命に対する憤りかもしれないが、「抑えようのない凶暴な怒り」が彼らを捉えていることは間違いない。

▼多数のドイツ市民が町を追われ、難民となって黙々と歩く道の傍らの電線に、男や女の死体がぶら下がっている場面がある。首からプラカードが吊り下げられ、そこには「私は祖国のために戦うことを拒んだ卑怯者です」と書かれている。
 同じように死体が電線からぶら下げられ、その下を市民が視線を向けないようにして歩く場面は、アンジェイ・ワイダの初期の作品「世代」(1954年)にも出てくるが、ポーランド市民の抵抗運動への報復として、ドイツ占領軍が吊るしたのである。
 このような異形の死体は、砲弾のために肉塊と化した死体同様、画面を見る者に強い衝撃を与える。戦争のリアルな描写に徹したこの戦争映画は、リアルであるがゆえに反戦映画でもあるのだ。
 兵士たちの「抑えようのない怒り」(FURY)は、戦争を始めてしまった政治の怠慢や、ヒトラーに権力を握らせてしまった政治の過誤について、告発しているように思う。

▼映画の題名について、一言しておきたい。
 外国映画を日本で公開する時、原題名を翻訳して邦題とするか、それが不適当な場合は内容にふさわしい題名を考えるのが、かっては一般的だった。「Pépé le Moko」(1937年) を「望郷」という題名にし、「Bonnie and Clyde」(1967年) に「俺たちに明日はない」という題名をつけたのは、後者の一例である。
 しかし近年は原題名を翻訳せず、内容にふさわしい題名を考える手間も省き、音をそのままカタカナにして済ませているものが多い。筆者の記憶では80年代の半ば、セルジオ・レオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」やジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」、「ダウン・バイ・ロー」あたりが、この不精なやり口の始まりだったように思う。それからあっという間に広がった。
 しかし「FURY」という題名から、英語を母国語とする者は自ずと感じ取るものがあるが、「フューリー」というカタカナは日本の観客に何のイメージも喚起しない。原題名の「Saving Private Rayan」なら、「ライアン二等兵の救出」という意味は明瞭だが、邦題の「プライベート・ライアン」は まるで意味を伝えない。
 独りよがりと猿股は、またにしてくれよ、と言うべきか。

 
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