極光のかげに
                  【ブログ掲載: 2016年3月18日】


▼前回取り上げた『収容所から来た遺書』に書かれた話の与える感動は、人間の「信頼」に関わるものだろう。何も信じられない、うかつに信じれば容易に裏切られる過酷な環境のなかで、なお存在しえた「信頼の物語」が読者を安堵させるのである。
 もう一つこの話から読者が読み取るのは、人々が俳句を作ることによって人としての感情を取り戻すという体験、つまり人がコトバによって救われる体験についてである。空気や水のように、存在することを日常意識しないコトバというものが、人を支え人を甦らせる光景を見て、読者はその事実に心を打たれるのだ。

▼『極光のかげに』という本がある。著者・高杉一郎はやはりシベリアに抑留され、1949年9月に復員した。自分の体験を平明かつ明晰な筆づかいで文章にまとめ、翌年末に出版した本はベストセラーになった。日本人のシベリア抑留体験を記録した、最も早い例のひとつであろう。その中に次のような挿話がある。

 高杉とともに抑留された戦友の一人が、シベリアでの最初の冬にひどい栄養失調にかかった。彼は家庭の事情で中学を卒業するとすぐ小さな銀行に勤め、本を読むことを唯一の生きがいのようにして生きてきた男だった。高杉は大隊の指揮官に頼んで戦友を軽作業に回してもらったが、気力というものがまったくなく、目に光がなかった。
 高杉は男の気力を奮い立たせようと、当時ロシア人のあいだでも貴重品だった紙と鉛筆を事務所からもらい、愛唱する歌を書くようにと手渡した。しかし男にはその気力がなく、紙はいく日も白いままだった。
 そのころ、別の兵舎にいた栄養失調の兵隊が、上段の寝台に昇ろうとして手を滑らせ、床に落ち、後頭部を打って即死する事件が起きた。高杉はそれを聞き、戦友を怒鳴りつけるようにして歌を催促した。
 ようやく男は書きはじめた。書きはじめると興味も気力も湧き出るものと見え、書くことが楽しみになったようだった。「アメニモマケズ」を初めに、よくもこれほどそらんじていた、とびっくりするほどたくさんの歌を戦友は書きつけた。そうやって宮沢賢治や石川啄木の詩歌集が生まれ、高杉は糸で綴じて本の体裁に仕上げた。
 所持品検査で書物は刃物といっしょに取り上げられていたので、収容所にはほとんど本というものがなく、兵隊は読み物に飢えていた。まず同室の者がこの詩歌集をひっぱりだこで読み、他の兵舎からも聞きつけて借り出しに来る者が絶えなかった。
 戦友はこの療法が功を奏したのか、それとも冬が遠く去った季節のためか、目にみえて元気を回復した。―――

▼高杉一郎は明治41年(山本幡男と同年)の生れ、東京文理科大学英文科を卒業し、改造社に勤務した。昭和19年、36歳の時に徴兵され、ハルビンでソ連軍の捕虜となり、シベリアに送られた。英語、ドイツ語が堪能で、ロシア語は初等文法を学んだことしかなかったが、収容所で通訳として使われた。
 収容所の日本人捕虜は、バイカル湖とアムール河を結ぶ鉄道(バアム鉄道)の建設の労働力として使役されたが、高杉は建設本部の事務所でロシア人将校や女性事務員と事務をとるのが日常の仕事だった。彼は仕事を能率的に処理し、ロシア人たちは彼を重宝する以上に、人間的な親愛感を示すようになった。貴重な紙や鉛筆を入手できたのも、そういう事情からだろう。
 
 しかし高杉はやがてソ連内務省の政治部員から目を付けられ、呼び出される。まず姓名、生年、学歴、職歴、父の職業などから尋問がはじまった。父が田舎に住んでいるとわかると、所有地は何ヘクタールか、牛は何頭か、使用人は何人か、と聞く。牛も使用人もいないと答えると、偽証すると罪になるぞと脅された。
 ロシア語はどこで習ったのか、という質問に、学生のときに初等文法を独習したが、すぐやめた、こんどシベリアに来てから覚えたのです、と答えると、立て!と政治部員は叫んだ。《鋭い眼である。が、その鋭さはものごとを深く洞察する高い精神に属する鋭さではなく、人間の善意を信じない、感傷からは自由だが、冷酷で卑小な人間に属する鋭さである。》
 「どこの学校で習ったのか?」
 「私は真実を述べています。私のロシア語をお聞きになれば、私が文法を全く知らないことがおわかりのはずです」
 「君は本当は将校だろう?」
 「いいえ、兵隊です」
 「なにがいいえ、なものか」
 「私は応召兵です。日本では中学以上の学校教育を受けた応召兵は、もし希望し、試験に通れば、将校になることができます。しかし希望しなければ、そのまま兵隊です。私は希望しませんでした。」
 「なぜ?」
 「軍人が好きでなかったからです。」
 政治委員はふん、という不信の表情を肩で示して聞いた。
 「ミヤザーワ・キンジを君は知っているか?」
 高杉はいろいろ思い浮かべてみたが、宮沢という知人はいなかった。「知りません。」
 「嘘をつけ!君のためによくないことになるぞ。イシカーワ・タクボークは?」
 高杉ははっとして、この質問の意味を悟った。宮沢賢治に石川啄木。政治部員はあの詩歌集のことを問題にしている。誰かが高杉のことを密告し、中傷したのだ。
 「石川啄木は日本の詩人です。宮沢賢治――キンジではありません――も詩人で、児童文学の作家です。」
 「彼らはアナーキストだろう?」
 「アナーキスト?広い意味ではそう呼ぶこともできるかも知れません。が、彼らは政治的な意味でのアナーキストではありません。」
 「君の政党は?」
 「私はどんな政党の党員でもありません」
 「高等教育を終わった者が政党に無関係ということはありえない。言いたまえ」
 「私は嘘を言いません。どんな政党の党員でもありません」
 「あくまでもごまかそうというんだな。よし、3カ月後にはお前の政党を知ってみせる。帰れ!」
 3時間余りの取り調べを終え、高杉は魂の底からの恐怖感と孤立無援の無力感に襲われ、立ち上がれなかった。

 やがて高杉は、それまでの収容所からさらに奥地の密林の中の収容所へと送られ、過酷な建設労働をさせられることになった。
 
 (「石原吉郎」へつづく)

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