ひ弱な社会の子供たち
                 
        
【ブログ掲載: 2013年1月5日~1月20日】



▼先日、といっても一か月近く前のことだが、地域に「プレイパーク」を創る運動をしている女性や、フリースクールを主宰し、多くの不登校児や「ひきこもり」の子どもと関わっている女性と、話をする機会があった。

 「プレイパーク」は世田谷区羽根木にあるものが有名だが、子どもたちが「自分たちの責任で」自由に遊べる場所、やってみたいことをやれる場所である。乳幼児から小学校6年生までを対象として、市内のあちこちで何回か試みたが、常設の場所を創るために市と検討しているという。
 のこぎりや金槌を使ったり、火を使ったりして遊べるようにしたい。五感をフルに使って遊ぶという体験が子どもたちに必要だ。そういう場所があれば、乳幼児を連れた若い母親もリフレッシュできるし、近所のお年寄りも見に来られる。自然に、世代を超えたコミュニケーションも生まれるだろう。
 「プレイパーク」運動の女性は、さらに言葉を続けた。小学校の運動会を見に行ったが、雨がすこし降ると、すぐにやめてしまった。去年苦情が出たから、という話だった。
 大人が過度に安全を求め、あれもダメ、これも危険ということで、子どもたちからものごとに挑戦する機会や場所を奪っている。冒険に挑戦し、達成する中でこそ、子どもたちの自信は育つ。危険といっても、せいぜい足を折るぐらいのことではないか。
 現在、小学校全校にチラシを撒き、大人に向けての広報に力を入れ、協力者を募っている。火を使って遊べる場をなかなか確保できないのが、悩みの種だ、というような話だった。

▼フリースクールには現在、下は小学1年生から上は30歳の大人まで、32人が通っているという。(小中学生12人、高校生以上20人)
 一応、登校時間は10時、下校時間は4時としているが、それはあくまでも目安であり、通学の時間や回数、1日のスケジュールなどは、スタッフと話し合いながら自分で決め、自分で管理することになっている。
 フリースクールのパンフレットを見ると、1日の内容が次のように紹介されている。

10:00 開始(登校目標時間)
 ポツリポツリと仲間が集まってきます/のんびり静かな時間の中で/君は何をする?/おしゃべり?ゲーム?パソコン?/それとも勉強?/自分のペースで午前はゆったりと教室で

11:45 スタッフとお昼の買い物へ
 コンビニ、マック、ミスド、弁当屋・・・?
 予算、好み、栄養、・・・さあ何を買おうかな

12:00~13:00 ワイワイと昼食
 お弁当派?コンビニ派?ファーストフード派?/みんなで食べるのが苦手な人は/この時間をパスしても大丈夫!

 午後の時間の過ごし方については、次のように書かれている。
「集まった友達と/一人では出来ないことをしたいね/
みんなでゲーム?散歩?公園で遊ぶ?/体育館でバドミントン?野球?サッカー?卓球?/お料理?お菓子作り?カラオケ?ギター?」

▼パンフレットの記述は、真綿で包むように恐る恐る「生徒」に触れているという印象を与えるが、傷つきやすい、すでに十分傷ついている生徒が通って来られるように、できるだけハードルを低くしているのだという。
 スクールの狙いは、生徒が一人で過ごしている「快適な」空間から外に連れ出し、「社会」を体験させることにある。「不快な」空間も体験させることで、生徒が自分の五感をフル稼働させ、エネルギーを取り戻すのを助け、成長を促すことができる。
 どの生徒も、プライドとコンプレックスが、持てる力に比べアンバランスに大きい。とくに男の場合、「プライド損傷」は大人になっても引きずるようだ。
 フリースクールを経て、学校に戻れる子どももあれば、そのままスクールに居続ける者もいる。10年前は女の生徒の方が多かったが、最近は男の方が多い。女性は自信がつくと次のステップに進めるが、男の子は就労のハードルが高すぎて、社会に出て行くのが難しいという理由があるのだろう、とスクールの主宰者の女性は言った。

▼フリースクールの話はときどき耳にするが、それにしてもこのように弱い、傷つきやすい子供たちが、どうして生まれてしまったのだろうか。
 むかしは不登校や「ひきこもり」の子どもの話など聞かなかった、と筆者が言うと、いや、病欠という名目で学校を休む子どもはいたでしょう、とスクールの主宰者の女性は言った。むかしは学校に行かなくても、社会の側がそれほど問題にしなかった、だから不登校問題には社会の側の変化も一枚かんでいる、というのが彼女の考えであるらしい。
 筆者は、小学校を休みがちだった色白の女の子の顔を思い浮かべながら、あの子も今風に言えば「不登校」だったのかしら、と思った。たしかに社会の変化は、子どもの変化以上に大きいのかもしれない。
「ひきこもり」については彼女も、むかしから存在したとは言わなかった。

 彼女の話で一番印象的だったのは、ゲーム機の話である。
いまの子どもたちは皆ゲーム機で遊ぶ。しかしフリースクールに通ってくるような子どもたちは、「ゲームに負けそうになると、リセットしてしまう」のだという。
 筆者はゲーム機に触ったこともないのでよく分からないのだが、子どもたちはゲーム機に組み込まれたプログラム上で、問題を解いたり、敵と闘ったり、お姫様を助け出したりするのだろう。だからゲームに勝っても負けても、ゲームの開発者の構想の上で踊らされている(あるいは楽しませてもらっている)点では変わらないと思うのだが、彼らにとってはたいへんな違いであるらしい。
 子どもたちがフリースクールに来て、他の子どもたちと一緒にゲームを楽しめるようになるまで、何か月か時間がかかるんです、と彼女は言った。「子どもたちは(負けるという)ストレスに対して、極めて脆弱なんです。」 

▼フリースクール開設の草分け・奥地圭子は、不登校の子どもを擁護して次のように言う。
 さまざまな個性を持ち、さまざまな育ち方をしてきた子どもたちが、画一的な学校教育に適応できずに苦しみ、彼らの身体は登校する朝になると、頭痛や腹痛、吐き気や微熱などの症状を呈するようになる。それは生きものが自己を守るための、自然な危機回避の反応である。
 学校に通うのが当たり前、という価値基準から見れば問題行動のようでも、「個々の子どもの視点に立てば、不登校は、必要なこと、大切なことであり、自然なこと」でもある。

《学校に行かない生き方もあるのです。その子にとってそれが最善であれば、なんの格差も差別もなく、社会的に認められるべきなのです。「不登校」を治すとか、立ち直らせるとか、克服させるとか、そういうまなざしでなく、学校を活用して育つ以外のあり方もまた認められる社会になってほしいと切に思います。すなわち「不登校へのまなざしを転換してほしい」と主張したいのです。》

《不登校の生き方を子どもの権利として認め、不登校によって不利益を被ることなく、学校以外の成長の仕方も選び取れる多様な教育システムと価値観の変革が今必要だと思います。》(以上、奥地圭子『不登校という生き方』2005年 日本放送出版協会 から)
 
 奥地は、ひきこもりやニートについても、同様の考え方をとる。

 《引きこもりの苦しさの根源は、こんな自分はダメだ、と自己否定しているところだと思います。自信がなく、不安定な精神状態で、すぐ死にたくなる…これらは「ひきこもりはあってはならない」という価値観を社会も家庭も本人ももっているからこそ生じます。
 生き方はいろいろあってよく、本人が望む、望まないに関係なく、そうでしか生きられないときもあります。今、その人が生きやすい形なら、それも否定せず、包み込んでともに暮らし合っていける社会こそ作っていきたいものです。》

《具体的には、親が面倒みられるうちは親が、親が面倒みられなければ、社会が支えるシステムを考えていくことが課題と思っています。》(同上)

▼不登校を見る人々のまなざしや学校制度が変わるべきだ、と精力的に主張する奥地が、語らないことがある。それは、なぜ子どもたちは脆弱になったのか、という問題である。
 彼女がその問題に気づいていないはずはなく、ただ戦術的にそういう姿勢をとっているのだろう。次のように語っているからだ。

《単に怠けや弱さや育てそこなったもの、という個人病理的見方は、かって登校拒否・不登校を個人病理として、あるいは親が悪いという家庭問題として対応し、当事者個人や家庭を治す対象にしていじくりまわした挙げ句、解決しなかったというのと同じ誤りをもたらすでしょう。》(同上)

 しかしその戦術的な姿勢は、彼女の活動や主張の説得力を、大いに損なっているように思う。子どもの生育過程に、人間関係のストレスに対する耐性を身につける機会が欠けているなら、それを課題として率直に認めるべきであり、その指摘を個人や家庭への批判と受け止めるべきではない。
 不登校となり「ひきこもり」となった子どもたちに、その居場所を用意し、肯定的な声をかけるという彼女の長年の活動は、もちろん有意義である。しかし子どもたちが不登校や「ひきこもり」に陥る前に、陥らないような基礎体力をつけてやること、傷ついても立ち直れるような経験を十分積ませてやることは、もっと大切なことではないのか。
 筆者はフリースクールの主宰者の女性に、そう聞いた。彼女はうなずき、「プライマリーな段階」が大切だと言った。不登校の子どもたちに、管理された快適な空間だけでなく社会という不快な空間も体験させ、自分の五感をフルに使う経験をさせるという彼女のスクールの運営方針は、そのことを示している。


▼前回、不登校や「ひきこもり」の子どもたちに居場所を用意する活動は、有意義だと書いた。しかしその活動体験から奥地圭子が導き出した主張は、かなり危ういところに立っているように見える。
 「学校に行かない生き方もある。その子にとってそれが最善であれば、なんの差別もなく、社会的に認められるべきだ」、「不登校は問題行動ではなく、問題なのは、不登校は問題だと見る人々のまなざしの方だ」と奥地は語る。しかし、その子にとって何が「最善」であるか、誰がいつの時点で判断するのだろうか。
 社会関係から切り離されれば、おおくの人間は不健康な状態に陥って不思議はない。学校制度からドロップアウトし、なおかつ健全に一人前に成長するということは、強い個性と高い能力に恵まれた者にのみ許された特権だろう。
 だから普通の子どもたちについては、たとえ現在の学校が息苦しい空間だとしても、「不登校」に陥らせないような育て方、言い換えれば「社会という不快な空間」に対して耐性をつけるような育て方の大切さに、より重点を置いて語るべきなのだ。

奥地は「ひきこもり」の子どもの将来について、「親が面倒みられるうちは親が、親が面倒みられなければ、社会が支えるシステムを考えていくことが課題」という。しかしこのような主張が社会の共感を得ることは困難だろう。また「ひきこもり」に陥った子どもたちが、そのように他人に面倒を見てもらう生活を続けながら、「プライド」を修復し、自信を回復させることも考えられない。

▼ここまで不登校や「ひきこもり」の問題を取り上げ、なぜ子どもたちは「ひ弱」になったのかと考えてきた。しかし子どもの変化は社会の変化を映し出す鏡として、受け止めるべきなのかもしれない。子どもが「ひ弱」になったとすれば、親や大人一般が「ひ弱」になり、社会が「ひ弱」になったのかもしれない。
 現代の日本社会の変化について、藤田省三が「〈安楽〉への全体主義」というエッセー(1985年)を書いている。(藤田省三『全体主義の時代経験』1994年所収)
 藤田が感じ取った社会の微妙な変化を言葉で表現するべく苦心した文章は、けっして読みやすいものではないが、不登校や「ひきこもり」の問題にも通じる問題をあぶりだしているように見える。

 藤田省三は、現在の日本の社会で支配的な心理として、「少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃して了いたい」とする心の動きを取り上げる。これは不快を避け、不愉快を回避する自然な態度とは別のもので、「不快を避ける行動を必要としないで済むように、反応としての不快を呼び起こす元の物(刺激)そのものを除去」しようとする心理のことである。
 不愉快なものを一掃して得られる〈安楽〉は、いわゆる快楽や安らぎとは全く異なった「不快の欠如態」であり、それが最優先の価値とされ、「〈安楽〉への隷属」状態が生じると、われわれの精神から多くのものが失われる。失われる最大のものは、〈喜び〉という感情だと、藤田は言う。
 一般に必要なものを手に入れ、課題や目標を達成するためには、避けることのできない道筋があり、多少なりとも不快なことや苦しいことが伴うものだ。それらの不快や苦痛を乗り越えて道筋を歩みきったとき、得られるものは「単なる物それ自体だけではなくて、成就の〈喜び〉を伴った物」だ、と藤田は考える。
 しかし高度に産業技術の発展した現代日本の社会では、必要なものは即座に完成品が提供され、苦労のすえに手に入れる〈喜び〉を体験することは、「何らかの意識的努力がない限り」難しくなっている。
 困難を克服して手にする〈喜び〉の体験が失われるということは、「克服の過程が否応なく含む一定の〈忍耐〉、さまざまな〈工夫〉、そして曲折を越えていく〈持続〉などの幾つもの徳が同時にまとめて喪われ」ることを意味する。

 〈安楽への隷属〉が生活を貫くとき、人生の歩みはどのようになるか。
 《人生の歩みは、山や谷を失った平板な時間の経過となる。そうして山や谷の起伏を失った時、その人生にはリズムが無くなるのだ。》
 藤田は以上のようなペシミスティックな観察と考察の末に、かろうじて次のように提案する。

《私たちは、一日一日の生き方の選択に際して、また他人との交渉に際して、油断なく、これら一連の損失を少量ずつなりと取り戻すように努めなければならないのである。そうする時、………一定の忍耐を含んだ平静や自己克服の喜びやその結果生まれる生活のリズム感を、小規模な範囲においてでも、再び我が物とすることが出来るであろう。それらの物こそは、どんな仕事であろうとどんな労働であろうとどんな遊戯であろうと凡そすべての行為の中にそれが在る時、その行為に充実をもたらす物である。そうして、その充実の存在こそが、「安楽への隷属」に対する最も根本的な抵抗………である。》

▼藤田省三が語る「困難を克服して何かを達成した喜び」や、そうした行動が行為者に与える「充実感」は、なによりも不登校や「ひきこもり」の子どもたち、さらにはニートの若者たちが失った体験であるように思える。
 言い直すなら、現代日本社会の「病い」を先取りしているのが、不登校や「ひきこもり」の子どもたち、ニートの若者たちだ、ということも可能だろう。

 子どもたちはどのような育ち方、育てられ方をするべきなのか?
 この問いに対し、筆者が話をしたプレイパーク運動を進める女性とフリースクールを主宰する女性が、同じ言葉を使って答えていたのが印象的だった。
 「子どもたちが自分の五感をいっぱいに働かせて遊ぶようにさせたい。」

 最近は子どもの喧嘩を、それが幼児の喧嘩であっても、親や大人たちはすぐ止めてしまう。とにかく「人に迷惑をかけてはいけない」という考えが社会の主流になり、親たちの頭も支配しているからだろう、とプレイパーク女史は言う。
 フリースクール女史も、同感の意を表して話を引き取る。「人に迷惑をかけない」という考えが、「呪い」のように親たちの頭に棲みついている。迷惑をかけ、迷惑をかけられながら、ひとは「加減」というものを覚えていくのに。この「呪い」から解き放たれるなら、子育てはずいぶん楽になるし、子どもたちも楽になる………。

 むかしは空気のように自然にいくらでも存在したのに、今では意識的に努めなければ手に入れにくくなった人生の「喜び」や「充実感」。その捕えがたい問題に藤田省三のエッセーは正面から挑み、成功しているように思う。

▼奥地圭子の発言が、ニートやひきこもりの若者についても触れているので、すこし考えてみたい。
ニート(Neet)という言葉は、もとは英国で、16歳から19歳までの教育も受けず職もない少年を指すために造られたのだが、日本に入ってくると20代から30代前半の、職もなければ学生でもない、働く意欲もない青年を指すようになった。
 この言葉を日本で広めた玄田有史は、著作(『ニート』玄田有史・曲沼美恵 2004年)の中で、「ニート」が自分自身について語る言葉を採録している。
 あれこれ考えすぎてしまう/やりたいことがない/自分の気持ちを大事にしたい/納得したい/ほかに何かあるんじゃないかと思ってしまう……等々。
 要するに、自分は本当は何をやりたいのか「自分探し」をしている状態であり、そういう状態から早く抜け出さなければいけないと焦りつつ、抜け出せないでいるという自己認識である。
 世の大人が、彼らの「考え違い」を指摘することは容易だろう。

▼学校に行かない生き方も社会的に認められるべきだという主張は、一歩進めば、学校制度自体を疑問視する「ラディカルな」考え方に通じる。

 《登校拒否の問題は、一般に登校が正常であたりまえな行為であり、登校拒否は異常な出来事で、時には精神的な欠陥として論じられている。だが、すべての同年の子供たちが同じ場所に集められ、同じ規律に従い、同じことを教えられ、同じように振る舞うことを求められるというのは、実に恐るべき情景ではないだろうか》(西川長夫『国民国家論の射程 あるいは〈国民〉という怪物について』増補版 2012年)

西川長夫は京都大学大学院博士課程を修了し、長年大学教師を続けてきた人間であり、主観的にはともかく客観的には日本の学校制度に十分適応してきたといえる。そういう人間の発言に自分の主張が似てくることは、実践家としての奥地にとってけっして名誉なことではないのではないか。



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