テオ・アンゲロプロス
【ブログ掲載:2012年1月7日〜2月4日】
1.
年末年始に、テオ・アンゲロプロスの映画をまとめて4本見た。制作順に並べると、「シテール島への船出」(1984年)、「霧の中の風景」(1988年)、「永遠と一日」(1998年)、「エレニの旅」(2004年)である。
アンゲロプロスの作品を最初に見たのは30年ほど前、「旅芸人の記録」だった。内容的によく分からないところ、冗長に思われるところを含みつつ、全体として「圧倒された」という思いが残っている。
今年はギリシアに行ってみようか、とふと思い立ち、いくつか資料を集めてみたなかに、アンゲロプロスの映画もあった。もちろん私が出かけるのは、彼が好んで描く曇天の荒涼とした風景の北ギリシアではなく、観光パンフレットによくある南の陽光と青々とした海に代表されるギリシアである。
しかし、彼の荒涼とした寒々しい風景に触れることで、どこまでも明るく明晰な「地中海的な偏向」を緩和し、ある種のバランスをとることを期待する気持ちもどこかにあった。
2.
アンゲロプロスの映画の特徴のひとつは、説明の極端な少なさにある。
多くのTVドラマが、理屈のつじつまを合わせようと言葉による過剰な説明に追われ、結果としてウソくさいものになるのに対し、彼の映画ではストーリーは読み取りにくく、意味不明なシーンが説明のないまま随所に放置されている。登場人物の台詞も少なく、状況の理解に役立つこともあるが、説明的な台詞は注意深く避けられている場合が多い。
その代わり、画面の美しい構図や色彩と哀愁を帯びた旋律が、「アンゲロプロスの世界」を雄弁にもの語る。そしてギリシアの過酷な現代史が「世界」の背景にあることが暗示あるいは明示され、その悲調はいちだんと彫りを深くする。
4本の映画は、予期した以上に楽しめた。それは私が、映画を「理解」しようという意思をはじめから欠いていたことと、無関係ではないように思う。
「意味」を求めたがる頭の武装を解き、広い浴槽に身体を沈めるように「アンゲロプロスの世界」に浸かり、身をゆだねた。美しい映像は、意味以上の意味、理解以上の理解を提供しているようだった。
3.
アンゲロプロスの映画を味わう上で、ストーリーの理解は必ずしも必須のものではないが、「シテール島への船出」のあらすじは次のようなものである。
【シテール島への船出】
無人の朝の街を歩く5、6歳の少年。ゲートの前に立つ歩哨の後ろにそっと近づき、驚かす。歩哨は追いかけ、少年は逃げ、家の陰に隠れる。
映画監督らしい中年の男が朝、高台にある自宅でコーヒーをすすりながら外の景色を眺めている。男はやがて撮影所を訪れる。映画の老人役のオーディションが行われており、老人役はひとりひとり前に出てきては、「わたしだよ」と決められた台詞をひとこと言う。しかし男の気にいる役者はいない。男はふと、通りかかった花売りの老人に目を止め、その後をつけていく。老人は地下鉄に乗り、港に行き、姿が消える。
中年の女が男に近寄り、「遅いじゃない」と言う。男の姉(あるいは妹)らしい。ロシア船籍の船から一人の老人が降りてくる。男が後をつけてきた花売りそっくりの顔立ちである。老人は姉弟の前に立ち、「わたしだよ」と言う。亡命していたソ連から、32年ぶりに故国に帰ってきた父親であることが、彼らの少ない会話から伝えられる。
姉弟は老人(スピロ)を母の家に連れてくる。しかし老人を迎えた妻は、なぜか部屋に閉じこもり、老人はその夜は安ホテルにひとりで泊まる。
翌日、老人夫妻と姉弟は車で田舎の家に行く。曇り空の下、山村に近づくと、どこからか鳥の鳴き声に似せた口笛が聞こえる。老人も同様の口笛で応える。やがて古い友人が姿を現し、二人は抱きあう。
友人の案内で丘を登る老人。あちこちに老人の知り合いの墓がある。そこへ丘のふもとから村人たちの一団が来る。丘の土地を売る契約が開発業者とのあいだでまとまり、現地で調印するためである。名前を呼ばれた村人が一人ひとり前に出て署名をする。
それを見た老人は、近くの小屋から鍬を持ち出し、丘を耕し始める。開発業者は村長に、村人全員が賛成だといったではないか、全員一致でなければこの契約は無しだ、と言う。
その夜、田舎の家で夕食のテーブルに、老人と妻、その子どもの姉弟と友人がつく。姉は老人をなじる。
「反対するの?母さんの笑いを知らない。代理で入獄、私たちを育て、父さんを待ち続けて。父さんの世代はわがままよ。革命気取りで山にこもって、逃げて、今度は何を?」
家の外の暗闇から、村長の叫び声が聞こえた。
「スピロ、お前は死んだ。存在しない。鉄砲を持って山を駆け巡った時代は終わった。お前は軍事法廷で4度死刑を宣告された。また村を騒がせる気か?消え失せろ。」
その夜、老人はひとりごとのようにつぶやく。妻と息子が横になって聞いている。
「最初の年はなんとかなった。それから2年たち3年たつと支えが必要になる。はじめはギリシアのことや残してきたものを考える。だんだん病気になる。そのうち向こうの女が一人、縫い物や料理をしてくれるようになった。そんなわけで向こうに子供が3人いる。」
翌日、妻と姉弟は老人を残して村を去るが、老人が行方不明になったという連絡で、また村に戻る。友人が鳥の鳴き声に似せた口笛を吹くと、やがて無人と思われた家から口笛が聞こえた。妻が家に近づき、「わたしよ」と呼びかける。老人が姿を現す。「昔と同じね。怖いとすぐ隠れるのね」と妻が言う。警察の捜索隊の隊長は、老人が無国籍だということを忘れるな、と家族に向かって言う。
監督の男は、劇場で愛人の女優に会ってから自宅の部屋に戻り、留守電を聞く。「ロケハンに行く。シテール島行きの船に乗る。着くのは日没。」と声が流れる。
老人とその妻が駅の待合室の長椅子に座っている。
妻が老人に言う。
「待ちすぎて、疲れたわ……」
「すまん……。発とう」
港に二人が着いた時、ロシアの船はすでに錨を上げていた。警察は老人を国外に追放するため、雨の中をランチでロシア船に近づき、連れて行くように要求するが、断られる。そこで警察は老人を海に浮かぶ浮桟橋に降ろし、置き去りにする。雨のなか、揺れる浮桟橋に傘を持って立つ老人。
波止場のカフェで、何かの祭の歌と踊り、楽器演奏が繰り広げられている。隣の部屋で姉が水兵と抱き合い、性行為に及んでいるのを弟は見る。
雨が上がり、外の祭りの会場に人々が移動する。司会者が開会のあいさつをお願いしたい、と妻に声をかける。妻はおずおずと舞台に上がり、マイクの前で「……そばに行きたい……」と一言言う。
警察の指揮官の指示で、妻はランチに乗せられ、沖に向かう。
揺れる浮桟橋の上で、老人と妻が横すわりに座り、抱き合っている。
老人が立ち上がる。「……夜明けだ」
妻「……いいですよ」
老人が浮桟橋のともづなをほどく。沖に向かってゆっくり流される浮桟橋。ふたりの姿が遠く小さくなる。―――
4.
地図を見ると、ギリシアのペロポネソス半島の南20キロメートルほどの所に、キスィラ、あるいはキティラという名の島がある。この島の名のフランス語読みがシテールである。
シテール島は、愛と美の女神・アプロディテ(ヴィーナス)が生まれた海の近くに位置するとされ、ここに巡礼した独身者は必ず伴侶が見つかる至福の愛の島だ、という観念が西欧社会に伝承された。18世紀の初めにフランスのヴァトーは、この島にまつわる主題を「シテール島への船出」という題名の絵画に描いている。
映画の中でこの島の名前は、ロケ地探しに出かける先として、留守電のなかで一度語られるだけである。しかし映画に「キスィラ島への旅」の題名を与えたアンゲロプロスも、これを「シテール島への船出」と日本語に訳した字幕制作者・池澤夏樹も、当然、「至福の愛の島・シテール島」の観念を下敷きにしているわけである。
それでは映画の最終場面、老人とその妻を乗せた浮桟橋が沖に向かって流されていく場面は、至福や愛を表現しているのだろうか。
前回、「予期した以上に楽しめた」と私は書いたが、その体験の意味をとらえようとして、いまこれを書いている。
アンゲロプロスの映画は、全体のストーリーが読み取りにくいものが少なくないし、また、意味の分からない不思議なシーンがよく現れる。
次の「霧の中の風景」でも不思議なシーンが多用されるが、分からないままに妙に納得させられるのは、映像の力によるのだろう。まず、あらすじを見ておこう。
5.
【霧の中の風景】
5〜6歳の弟(アレクサンドロス)と11〜12歳の姉(ヴーラ)が夜の駅に来る。ドイツ行き国際列車が到着し、走り出すのをじっと見ている。物売りの老人が、おまえたち、また来たのか、と声をかける。
家のベッド。弟がお話をねだり、姉は「はじめに混沌があった。……それから光が来た。光と闇がわかれ……」と話を聞かせる。廊下に足音がし、寝たふりをする姉弟。ドアが細く開けられ、子どもがベッドに寝ているのを確認して、ドアは閉められる。(この間、母親の姿は現れない。)
団地の造成地の見える泥道を歩く姉弟。土手の上に、両手を広げ、鳥の翼のように動かしている男がいる。弟は近づき、「カモメさん」と呼びかける。男は両手を動かしながら、「……雨になる……翼が濡れてしまう」とつぶやく。「お別れだよ、ドイツに行くの」。
夜の駅でドイツ行きの国際列車に乗り込む姉弟。ついに乗ってしまった、という達成感の笑みが、ふたりの顔にこぼれる。手紙を読み上げるヴーラの声が画面にかぶる。「探しに行くと決めたので手紙を書きます。……私たちはお父さんの顔を知りません。アレクサンドロスは夢でお父さんを見たといいます。とても会いたいです。……」
しかし車掌に無賃乗車を見つかり、ふたりは途中の駅で降ろされる。問いかける駅長に、ヴーラは「伯父さんに会うの」とだけ言う。
警官がふたりを、とある工場に連れて行く。姉弟に会った男は警官に、確かにこれは妹の子だが、預かるわけにはいかない、父親は生まれたときからいない、という。姉はそれを聞き、伯父さんの嘘、となじる。
ふたりは警察署に連れて行かれるが、部屋の前で待たされるあいだに雪が降り出し、署内にいた警官たちは皆口々に、「雪だ」「雪だ」と言いながら外に出てしまう。姉弟ががらんとした警察署から外に出ると、広場では時間が止まったように警官たちが空を見上げたまま動きを止め、通行人たちも動きを止め、ただ雪だけが舞い落ちている。姉弟はその中を、手をつないで歩く。
雪が地面を覆う夜の道を、姉弟が歩いている。雪はやんでいる。広場に来かかると、明かりのついた建物から花嫁衣装を着た花嫁が泣きながら外に駆けだしてくる。その後を若い男が追いかけ、花嫁をつかまえ、いっしょに建物へ戻っていく。
トラクターが現れ、ロープで足を縛り引きずってきた瀕死の馬を残して、どこかに消える。その馬の死ぬ姿に、弟は声をあげて泣く。
山の道路を歩く姉弟。古いボンネットバスを運転する青年オレステスが、ふたりを乗せる。青年は、自分は役者をやっていると言い、バスを村はずれの広場に停める。村の奥から旅芸人の一団が姿を現し、だめだ、劇場がなかった、と青年に告げる。
「彼らは時代に迫害されながら、ひとつの劇をもって国中を回っているのだ」と青年は姉弟に教え、自分も心当たりの劇場をあたってみる、と旅芸人たちに言って、バイクで去る。
バスの中で姉弟が目を覚ますと、浜辺だった。旅芸人たちが思い思いに台詞の稽古をしている。
――44年の秋、ドイツ軍が撤退した直後……
――イギリス軍が進駐してきた。国民統一政府が結成され、イギリス軍を熱狂的に歓迎した。ファッショ派が武器供与を受け……
――裏切られたわれわれは、デモ行進を計画した。47年暮れに逮捕された……
劇場支配人が車でやってきて、ダンスパーティに劇場が使われるので、申し訳ないが貸せない、時代が悪すぎる、という。
雨の降る夜の街道を歩く姉弟。通り過ぎる車に手を上げるが、車は止まらずに通り過ぎる。やっとトラックが止まり、ふたりを乗せる。
翌日、雨は上がっている。運転手は街道脇の荒れ地でトラックを止める。弟が寝ているすきに、姉は荷台で運転手に犯される。
また汽車の旅が続く。車掌から逃げ、鉱山町を走り、人だかりのなかで姉弟は青年オレステスに再会する。青年のバイクで波止場に行くと、旅芸人の一座が芝居の衣装をロープにつるして並べ、売っている。青年は、誰が決めたのだと非難するが、誰も答えない。青年は彼らと別れる。
ホテルで一泊した翌朝、海岸で青年が海を見つめている。潮が引き、海の中から異様な物体が出てくる。それは石でできた巨大な手首であり、人差し指が欠けている。遠くからヘリコプターが近づき、青年と姉弟が見守る中、巨大な手首を吊り上げ、どこかに運んで行った。
夜のハイウエーで青年と別れる姉弟。駅でヴーラは若い兵士に金をねだり、切符を買って列車に乗る。国境近くで下車し、ふたりは警備の兵士の目を盗んでボートに乗り、川を渡る。
濃い霧が漂っている。姉が「怖いわ」というと、弟は「怖くない。お話してあげる。……はじめに混沌があった。それから光が来た……」と言う。ふたりが歩いていくと、行く手の霧の中に、一本の木がおぼろに見える。姉弟は木にたどり着いた。霧は少しずつ晴れていく。
6.
「霧の中の風景」には「意味の判らない不思議なシーン」がよく現れる、と前回書いた。作者の「謎かけ遊び」が多い、と言い換えてもよい。
まず、土手の上で、鳥の翼のように両手を上下に動かしている男の登場するシーン。アレクサンドロス少年が「カモメさん」と呼びかけると、男は「……雨になる……私の翼が濡れてしまう」とつぶやく。少年と「カモメさん」の会話から、観客は姉弟が父親に会いにドイツへ行くことを知らされるが、その説明のためだけなら、不思議な「カモメさん」を登場させる必要もなかったはずである。
姉弟が連れて行かれた警察署の場面も、作者の「謎かけ遊び」が満開である。雪が降り出すと警官たちが皆外に出て行き、後から外に出た姉弟の前に、時間が止まったように警官たちが空を見上げたまま動きを止め、通行人たちも動きを止めた世界がある。動きの止まった人々の上に雪が舞い降り、姉弟はその中を手をつないで歩く。
雪の降り止んだ夜の広場で、トラクターが瀕死の馬を引きずってきて、姉弟の前にそれを置き去るシーンや、海の中から巨大な手首の像が現れ、それをヘリコプターが吊り下げて運んでいくシーンも、アレゴリーの「謎解き」を観客に求めているようにみえる。
巨大な手首の像をヘリコプターが吊り下げて運ぶ画面は、ただちにF.フェリーニの「甘い生活」(1960年)の同様の場面を思い起こさせる。巨大なキリスト像がヘリコプターで吊り下げられ、ローマの上空を移動する有名な場面は、何の説明もなく唐突に挿入されていた。
監督は当然そのシーンを下敷きにして、「霧の中の風景」のシーンを撮っているのだが、私にその寓意はわからないし、また謎解きをしようという気持ちもない。ただアンゲロプロスの映画が、見慣れない未知のものを無理なく呑みこみ、呑みこむことでより豊饒な世界を生み出していることは、強調されるべきだろうと思う。
「シテール島への船出」も「霧の中の風景」も、そのストーリーは観客の通常の理解を拒むものだ。しかし登場人物の様式的な演技と磨き上げた短い台詞、哀愁を帯びた旋律、青灰色を基調とした画面の色彩と構図が、一瞬一瞬が絵になるアンゲロプロスの壮大な世界を創りだしている。私は映画を思い起こしながらあらすじを書き留め、書き留めることにより作品を反芻する幸せな時間を味わっている。
次の「永遠と一日」は、世界が少し小ぶりになったともいえるが、ストーリーは理解しやすく、まとまりのある作品である。
7.
【永遠と一日】
海辺の大きな屋敷。
少年アレクサンドレに友人が語る声が聞こえる。
―――古代都市を見に行こう。おじいさんが、むかし幸福な街が地震で海底に沈んだと言ってた。明け方の星が地球と別れを惜しむ朝、一瞬海の上に出てくるんだって。そのときすべてが、時が止まる。
―――時って?
―――砂浜でお手玉遊びをする子ども、それが時だってさ。来るだろ?
朝、口笛を聞いて起き上がる少年。ベッドを抜け出し砂浜に行く。3人の少年が水着になり、海のなかへ走っていく。
海岸近くにあるアパートの一室。老人のアレクサンドレが揺り椅子に寝ている。
世話をしてきた中年の家政婦が、老人にいとまを告げにくる。
―――3年間ありがとう。私一人ではどうなったことか。
―――明日、病院へお供させてください。
―――つらく考えるのはよそう。終わりはいつも、こんな風だよ。
家政婦は、犬のエサは済んでます、と言って出ていく。
老人はレコードをかける。哀愁を帯びたピアノ曲が流れる。
しばらく聞いた後、レコードを止める。すると向かいのアパートの部屋から、同じ曲が流れてくる。老人のモノローグ。
―――最近私と世界を結ぶ唯一の、向かいの見知らぬ人。同じ曲で応えてくれる。
会おうかと思ったが、気が変わった。
知らぬまま、想像している方がいい。―――
画面は、黒犬を連れて岸壁を歩く老人アレクサンドレに変わるが、モノローグは続く。
―――私の心残りはアンナ……君はわかるよね。
私は何ひとつ完成させていない。
言葉をまき散らしただけ……。
車に犬を乗せ、運転している老人。信号で止まった車に駆け寄り、窓ガラスを拭き始める少年たち。サイレンが鳴り響き、警官隊が少年たちを捕まえ始める。老人は少年一人を車に乗せて救い、少し離れた場所で降ろす。
娘のアパートに来た老人は、娘に、旅に出る、犬を預かってほしい、という。
―――旅に出るってどこへ?仕事の方は?
―――仕事?
―――ソロモスの未完の詩集の第3稿。あれやめたの?
―――さあ、言葉が見つからないとね。
老人は、これは母さんのむかしの手紙だ、と言って、一束の手紙を手渡す。娘はソファーに座り、手紙のひとつを読み始める。画面は、1966年の海辺の屋敷に変わる。
親戚一同が、娘の誕生を祝って集まる。幸せな、夏の日の海辺のテラスの思い出。――
娘婿がバスローブ姿で、浴室から出てきて老人に、あの海辺の家は売ることにしました、と告げる。ショックを受ける老人に娘は、地震で壊れているし、あんな大きな家には住めないし、と弁解する。老人は犬を連れてアパートを出る。
身体の痛みに襲われ、薬屋に立ち寄り、薬を呑む。そのとき少年が二人、若い男たちに捕まえられ、幌をかぶせたトラックに積み込まれるのを目撃する。そのうちの一人は、先ほど警官から救った少年だった。車であとをつけると、トラックは郊外の廃屋に入っていった。不法入国した子どもたちが何人も集められ、人身売買されようとしていた。老人は金を払ってその少年を請け出す。
老人は少年をバスで家へ送り返そうとするが、少年は同意しない。車に乗せ、アルバニア国境の近くまで連れてくる。雪の多い山道を歩いて行くと、霧の立ち込める行く手に、金網が張られたゲートが現れる。赤旗を掲げるポールが立ち、やぐらの上に、銃を構えた兵の姿がある。ゲートの向こうの雪と霧のなかに、両手を挙げた人影か、吊り下げられた死体か、どちらとも判らぬたくさんの黒い影が、おぼろに揺れている。
ゲートを開け、帽子にマント姿の将校がゆっくりと出てくる。老人は少年の手を引いて急いで逃げる。
川のほとりで、老人は少年に19世紀の詩人(ソロモス)の話をする。彼はギリシア人だが、イタリアで育った。オスマントルコに対してギリシアが蜂起し、彼の中に忘れていた祖国の記憶がよみがえる。彼は祖国に帰ることを決意する。
しかし生まれ故郷の島に戻ったものの、言葉を知らない。革命賛歌を書こうにも母の言葉が喋れない。そこで彼は近所を歩きまわり、聞いた言葉を書き留めて、知らない言葉には金を払った。「詩人が言葉を買う」という噂に、貧しい人々が彼の周りに集まり、言葉を売ろうとした。
彼は「自由の賛歌」を書いた。未完の長い詩も書いた。詩人は完成に生涯をかけたが、時間と言葉が足りなかった。――
海岸のベンチに腰掛ける老人と少年。少年が「言葉を買ってこよう」と微笑し、ベンチを離れ、人だかりに近づき、戻ってくる。
―――クセニティス。
―――亡命者か?
―――どこにいても、よそ者。
―――今聞いた言葉か?
―――いや、村のおばさんたちが使ってた。
老詩人はいくらかの金を少年に手渡す。
夏の日の思い出。島に向かう船の上で、親戚の若者たちが踊っている。アレクサンドレは船の後部に一人すわる母の肩を抱き、額にキスをする。アンナが現れ、義母に日除けの帽子を手渡す。アレクサンドレとアンナ、肩を寄せ合い海風に吹かれる。
アンナの手紙の一節が流れる。「……仕事の合間のあなたを盗む。私や娘と、いっしょに暮していても、あなたはいない人。いつでもいなくなる人。……でも今日だけは、私にちょうだい。最後の一日と思って。この一日を、私に」
夜の病院。年老いた母の病室で、老人は母の手に手を重ね、「お別れに来ました。明日立ちます」という。しかし母の意識ははっきりしない。母をベッドに寝かせ、毛布を掛ける。
―――なぜ私は、一生よそ者なのだ。ここがわが家だと思えるのは、まれに自分の言葉が話せたときだけ。……
老人は母の枕元の明かりを消す。
病院を出た老人の脇に少年が近寄り、お別れだ、仲間と一緒に出発する、という。老人は、出発の船が出るまで、いっしょにいてくれ、と頼む。
夜のバス停で老人と少年はバスに乗りこみ、いっしょの時を過ごす。乗客たちが降り、赤旗をもった若い男が乗る。フルートやヴァイオリンを手にした3人組が乗り込み、演奏を始める。シルクハットに黒いコートを着た詩人ソロモスが現れ、老人と少年の前に座る。詩人は「……人生は美しい……」と詩を口ずさみ、バスを降りる。
深夜の岸壁で老人は少年と別れる。少年と仲間を乗せた船が、岸壁を離れる。
早朝の海辺の屋敷に立つ老人。屋敷は荒れて閑散としている。どこからかアンナの声が聞こえてくる。
―――踊りましょう。今日は私の日。
渚に、親戚の若者たちと一緒にアンナもいる。ふたりは踊る。
―――アンナ、病院へ行くのはやめるよ。明日の計画を立てよう。……いつか君に聞いた明日の時の長さ。君の答えは?
―――永遠と一日。
―――聞こえない……。何といった?
―――永遠と一日。
8.
「永遠と一日」は老詩人アレクサンドレの、入院を翌日に控えた朝から入院をやめる決心をした翌朝までの1日間を取り上げた映画である。
彼は不治の病を患い、薬で痛みを抑えてはいるが、余命はいくらもないことを知っている。彼を苦しめるのは、自分が詩人としての力を失い、やりかけたソロモスの未定稿をまとめる仕事も、未完成のまま終わらざるを得ないことである。「言葉が見つからない」、と彼は苦悩する。
彼を苦しめるものはもう一つ、妻アンナの期待を裏切り続け、苦しめたことへの悔恨である。アンナや親族の若々しかった時代の思い出が、アンゲロプロスの映画には珍しく、明るい太陽光の下に映し出されるが、自分の方を見てほしいと願う妻の期待に背を向け、彼は自分の世界にこもっていた。
老詩人は残された最後の日に、偶然、アルバニアから不法入国してきた子どもと出会い、ともに時間を過ごす。この現実体験が彼の世界を微妙に変え、妻アンナへの悔恨の思いを強める役割を果たしたのだろう。若く美しいアンナと老詩人が思い出の中で踊るシーンは、哀切である。
それにしても、アンゲロプロスの映画で音楽を担当するエレニ・カラインドルーの作曲は素晴らしい。彼女は「シテール島への船出」(1984)からアンゲロプロスのチームに加わるが、この「永遠と一日」と「エレニの旅」のテーマ曲はことのほか成功している。
前回あらすじを示したように、「永遠と一日」のテーマはよくあるものだし、そのストーリーは、アンゲロプロス流の重層的で複雑なものではない。しかしそれをアンゲロプロス特有の世界につくりあげているのは、長回しやロングショットを多用したカメラワークであり、美しい画面の構図や色彩であり、カラインドルーの哀切な音楽なのである。
なお、詩人ソロモスとはディオニシウス・ソロモス。映画の中で語られているように、24歳の時にギリシアが独立し、祖国に帰り「自由の讃歌」を書いた。この長詩の第一連と第二連がそのままギリシアの国歌になっているという。
9.
【エレニの旅】
1919年頃のこと。テッサロニキ近くの海と河に挟まれた広い低地帯を歩く、一群の人々の姿が画面に映し出される。彼らは行李やトランクを手に提げ、一行のなかには5歳ぐらいの男の子と、それよりも小さい女の子もいた。河岸で人々が足を止めたとき、対岸から「お前たちは何者だ、どこから来た」と声がかかった。
先頭を歩くリーダー格の男が答えた。
「われわれはギリシア人だ。オデッサから船でテッサロニキに着き、入国の許可をひと月待った。許可が下り、東に向かって歩き、古代の柱と河が見えたら、そこがおまえたちの土地だ、と言われた。
ロシアはいたるところ革命で、外国人は皆逃げた。オデッサ最後の日、赤軍が街に入り、ギリシア人は命からがら船に乗った。この女の子も、死んだ母親にすがって泣いていたので連れてきた……」
地平線もかすむ広大な土地につくられた開拓村に、貧しい家々が並んでいる。小舟が村の船着き場に着き、横たわっていた少女が家のベッドに寝かされる。付き添う女たちの会話などから、少女エレニが町の病院で双子を生み、双子は子どものいない裕福な夫婦に預けられたこと、そのことは育ての親のスピロスに知られてはならないこと、双子の父親はスピロスの息子の少年アレクシスであることが知らされる。
スピロスの妻が病気で死に、スピロスは育てた娘エレニに恋して結婚しようとしたが、式の最中、エレニは逃げ出す。エレニはアレクシスとともに、テッサロニキに逃げる。
アレクシスのアコーデオンの腕を見込んだ男が、ふたりを劇場に連れてくる。そこには家をもたぬ人々が住みついていた。
「テッサロニキは難民都市さ。22年のスミルナの敗戦で、難民をこの劇場に押し込んだ。85家族がここで暮らしている。君たちは好きなだけいて良い。自分はヴァイオリン弾きのニコス。スミルナの音楽院の出身だ。」
しかしやがて、場所を嗅ぎつけたスピロスが劇場に来て、大声で叫ぶ。
「エレニ!いるのは判っている。許さんぞ。息子よ、その女は私の妻だ。エレニ!」
ふたりはニコスによって裏口から逃がされ、家の脇を汽車が通る貧民街に身をひそめる。近くの浜辺にはシーツ状の白布が無数に干されている。
ニコスはアレクシスを楽士仲間に紹介し、いっしょに仕事をしよう、と誘う。酒場や結婚式をまわる生活が始まる。
またエレニは、子どもの育ての親の計らいで、双子の子どもと会う時間も持つ。
そうしたある日、楽士仲間の一人が、アメリカへ渡るバンドがアコーデオン奏者を1人探している、という知らせを持ってくる。アレクシスはバンドのリーダーに技量を高く評価されるが、エレニを残してアメリカに渡るべきかどうか、悩む。
工場前で、左翼政党の活動家が演説を行っている。「党と組合は、人民戦線を結成した。今こそ民衆の権利を奪還しよう。ファシズムと対決しよう。」
憲兵隊が駆けつけ、活動家たちは逃げる。アレクシスやエレニと一緒に逃げたニコスは、「将軍と王が結託し、それを怖れてだれもが沈黙している」という。
組合主催のパーティが、元酒場のあった建物で開かれる。ニコスたちが音楽を奏で、人々がダンスを踊っているところへ、スピロスが現れる。アコーデオンを弾くアレクシスを指さし、「こいつが弾くと木も踊り出すという……。弾いてくれないか、あの曲を」という。
アレクシスは了承して物悲しいテーマ曲を奏で、スピロスはエレニとしばし踊る。エレニが踊りを止め、スピロスはおとなしくホールを去るが、出口で崩れるように倒れる。
スピロスの棺を乗せたいかだが河をさかのぼり、村へ帰ってくる。いかだにはアレクシスとエレニ、数人の親族が立ち、一人がアコーデオンを奏でている。村人は幾十艘もの小舟に弔意の黒旗を掲げ、村長の棺を迎える。
アレクシスとエレニが陸に上がり、かって暮らした父親の家に向かう。村は以前よりもずっと貧しく、荒れている。家の斜め前に立つ大きな樹の枝に、父親の二十頭ほどの羊が殺されて吊り下げられ、地面に血の池ができている。父親を裏切ったふたりへ、村人たちが無言の強い非難の視線を向けることに、ふたりはショックを受ける。エレニが子どもと再会し抱きしめる部屋の窓ガラスが、投石で割られた。
その夜、村は(急に河の水位が上がったのか)水に沈む。翌朝、村人たちは小舟で村を脱出し、エレニたちも小舟で助けられる。しかし村人たちは、「忌まわしい呪いは、どこまで広がるのか」とつぶやく。
アレクシスとエレニが子供を連れて街に帰ってきた夜、組合幹部が根こそぎ逮捕される。
翌朝、白いシーツが無数に干された浜辺で、楽士たちが演奏していると銃声が聞こえ、人々は建物に避難する。腹を血に染めたニコスが現れ、シーツを血で汚しながら倒れる。駆け寄るアレクシスに、君の出発にサヨナラが言いたかった、と言って息を引き取る。
波止場からバンドの一員として、アメリカに向け出発するアレクシス。やがて、やっとのことでニューヨークに到着したという1937年3月の日付の手紙が、エレニのもとに届く。
ある夜エレニは連行され、投獄される。
1940年、ギリシアは第2次世界大戦に参戦。カメラは焼けただれた貧民街を映しながら、アレクシスの手紙の声が流れる。
「……参戦のニュースを聞いて、泣いた。ギリシアは負けるに決まっている。………ぼくはアメリカの兵士になる。市民権をもらって、君たちを呼び寄せる。アメリカの参戦も間近だろう。……」
エレニが牢から出るように言われる。
「今度はどこの刑務所に?」
「釈放だ。……司令部に行って消息を聞きなさい。太平洋戦争で戦死した遺体から手紙が出てきたそうだ……。」
エレニは牢を出てカバンを手に歩くが、崩れるように倒れる。
汽車が河辺に停まり、喪服を着た多数の女性を降ろす。引率の将校が、ここが皆さんのご親族が戦死した場所です、と説明すると、喪服の女たちはあちこちに横たわる死体に駆け寄り、声を上げ号泣する。エレニも死んだわが子を見出だし、倒れる。
医療マークを付けた軍の車が、気絶しているエレニを小屋の前で降ろす。偶然エレニを見かけた同じ開拓村の老婆が、エレニの看護をする。エレニはうわ言を繰り返しつぶやく。
「……看守さん、水がありません。石鹸がありません。子どもに手紙を書く紙がありません。……反逆者をかくまった罪です。名前はエレニです。……今度はどこの牢獄ですか?……看守さん、水がありません。石鹸がありません。……」
翌日、意識を回復したエレニに老婆が尋ねる。
「息子が二人いたね?」
「……なんのこと?」
「……息子が二人いたね?」
「……なんのこと?……」
老婆はエレニを立ち入り禁止区域に連れてくる。
「ここは戦場だった。土手のこちら側が政府軍。向こう側が反乱軍。」
ここで双子の兄弟は再会し、政府軍の兄は反乱軍の弟に、「ママが死んだ、牢獄でボロボロになって」と伝える。兄弟はしばし抱き合い、それから別れ、戦闘は続いた。
息子さんはあそこの廃屋に眠っている、と老婆は河のなかの建物を教えた。
エレニは廃屋めざして小舟をこいだ。アレクシスの手紙の声が流れる。
「1945年3月31日、ケラマ島から手紙を書いている。1944年12月1日付のきみの手紙が届いた。世界中転々とした手紙が届いたのは奇跡だ。嬉しくて一人で乾杯をした。……もうすぐオキナワの戦闘が始まる。オキナワは地獄だ……」
河のなかの廃屋に上がると、斃れている息子の死体が見える。ゆっくりにじり寄りながら、エレニはつぶやく。
「……わたしのヨルゴス、起きて、ヨルゴス、……もう誰もいない、夜も一人昼も一人、愛する相手が誰も……」
画面はエレニの号泣で終わる。
10.
「エレニの旅」を語ることは、ギリシアの現代史を振り返ることである。
ギリシアは19世紀前半に、トルコの支配から独立した。しかし貧しい小国は国際政治の動きに大きく影響され、さらに西欧列強が送り込んだ国王と反国王派の国内対立をかかえていた。政争をくりかえす貧しい政治の下、民衆は政治の保護を期待することはできない。ギリシア現代史は、戦争と革命と政治に翻弄された民衆の受難の歴史である。
映画の冒頭、テッサロニキ郊外の海と河のあいだの低地帯を歩く一団の人びとは、ロシア革命に追われ、黒海沿岸のオデッサから命からがら逃げてきたと語る。
成人したエレニとアレクシスが駆け落ちした先の「劇場」には、スミルナからの難民が住みついている。
現在トルコ領イズミールとなっているスミルナには、古代からギリシア人が定住していた。第一次世界大戦後、ギリシアはトルコの混乱に乗じて小アジアに進軍するが、ケマル・アタチュルク率いるトルコ軍に敗れ、敗走。スミルナの市街は炎上し、3万人以上のギリシア人が虐殺され、25万人以上の人びとが難民となって流出した。
人民戦線結成の動きが西ヨーロッパに広がった1936年、ギリシアでは国王の支持の下、メタクサスの全体主義的独裁政権がつくられた。メタクサス政権は第2次世界大戦に際しては中立を標榜し、ドイツ・イタリアに国土を軍事占領される。ギリシア国民は各地に自発的な抵抗運動を組織し、共産党の主導する「民族解放戦線」に合流した。
1944年に民族解放戦線の一斉蜂起とイギリス軍の上陸によりドイツ軍を撤退させたが、戦後の政治支配をめぐってイギリス軍の推す亡命政権と民族解放戦線が衝突、内戦に発展した。内戦は1949年に、共産党系の部隊が北部の国境から東側諸国に亡命するまで続いた。
このようなギリシア現代史は、「シテール島への船出」や「霧の中の風景」の背景にも織り込まれているが、「エレニの旅」では正面から主題とされた。
アンゲロプロスの映画は、人間を描くものではない。そう言い切ることが言い過ぎだとすれば、人間はそれを超えた巨大なもの、運命や歴史に操られ、翻弄されるものとして描かれる、と言い直してもよい。
彼のゆったりとした息の長い演出と、クローズアップやモンタージュを使わず、ロングショットや長回しを多用するカメラワークは、人間を超えた運命や歴史を描くのにふさわしい。登場人物の演技は、舞台劇のそれに近い。状況説明や舞台回し役で登場する旅芸人たちは、ギリシア悲劇のコロスである。
アンゲロプロスは「エレニの旅」において、酷薄な政治の抑圧と戦争に翻弄され続けたギリシア民衆の受難の体験を、正面から主題としたが、これを様式美に昇華して表現した。
彼は映画の完成後、日本を訪れ、この映画は20世紀を生きた自分の母へのオマージュだと語ったという。
11.
先週1月25日に、テオ・アンゲロプロスの突然の訃報に接して驚いた。「エレニの旅」に始まる「20世紀をふりかえる3部作」の3作目を撮影中に、道路でバイクにはねられ、亡くなったという。
昨年6月、アンゲロプロスにインタビューした毎日新聞の記者が、その内容を文章にまとめ、彼の言葉を伝えている。(藤原章生「地中海から時代は変わるか」『世界』2011年12月号)
インタビューのテーマは、主としてギリシアの財政危機についてである。
―――今は、私がこれまで生きてきた中で最も悲劇的な時代だと思う。すでに老いた私は、ギリシャでいくつかの戦争を経験してきた。だがいまは、戦争と比べても最悪の時代だ。なぜなら、まったく将来が見通せず、未来がないからだ。人々は昨日、今日のことは語るが、そこには歴史的な目がない。つまり、私たちがどんな時間の流れの中にいるのか、彼らは語ることができない。軍事政権下(1967〜1974)でも私たちは、ある日物語は終わり、いずれ良い時代が来ると知っていた。でもいまはそれがない。
―――問題は経済ではない。経済ならことは簡単だ。問題はいまの政治にある。人々に未来の方向を示すはずの政治が、ギリシャに限らず世界中、どこを見てもない。行き先を示す政治があれば、財政上の問題など解決できるが、政治家も学者もこのアテネの広場に集まる人々も、自分たちがどこに向かっているのかがわからない。票を求める政治家と、その見返りを求める有権者たち。この国は長い時間をかけて借金を増やしてきたが、その金を誰が得たのか、とも、なぜそうなったとも問おうとしない。我々はいま大きな収容所にいる。その収容所の待合室にみなで固まり、ただ扉が開くのを待っている。
―――問題はファイナンスが政治にも倫理にも美学にも、我々のすべてに影響を与えていることだ。これを取り払わなくてはならない。扉を開こう。それが唯一の解決策だ。今の世代で始め、次の世代へと。金融上の取引、市場が全てではなく、人間同士の関係の方がより大きな問題なのではないかと、私たちは想像することができるだろうか。
「扉」とは何か、「扉を開く」とは何か、と記者は尋ねたが、アンゲロプロスは具体的な回答はしなかった。記者は、「国家と市場への過剰な依存をやめ、共同体自治に基づく相互扶助のおこなわれるような社会」をイメージしているのだろうか、と想像する。
その問いに答える彼の映画を見る機会は、永遠に失われた。きわめて残念なことと言わねばならない。
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