反日種族主義    李栄薫

               【ブログ掲載:2020年3月6日~3月20日】

 

▼昨年暮れに本屋へ立ち寄ったら、『反日種族主義――日韓危機の根源』という本が大量に平積みされていた。「韓国論」や「慰安婦問題」はこれまでこのブログで食傷するほど論じてきたので、関連の書物もしばらくは手にしたくない気分だったが、編著者の李栄薫の名前に記憶があったので、いちおう購入することにした。
 先日、書架を整理しながらこの本をパラパラとめくってみたら、思いのほか内容が面白い。筆者が、他の書物を参照して論じてきたことがらを、別の面から裏付けてくれるし、これまで知らなかった事実を教えてくれる。どうにも理解しがたい韓国政府や韓国人の行動や発言について、それが誤りであることを明瞭に説き、その誤りが生じてくる原因にも言及している。きちんと読むことにした。

編著者の李栄薫(イ・ヨンフン)は韓国経済史の専門家で元ソウル大学教授。定年退職後、李承晩学堂の校長として活動している。李承晩学堂とは、「李承晩の一生を再評価し、その理念と業績を広く知らしめるために設立された機関」ということだが、その活動の一環としてユーチューブYouTubeで動画を配信している。2018年から19年にかけて「危機の根源:反日種族主義」と「日本軍慰安婦問題の真実」という二つのテーマで連続講義を配信し、その際の講義ノートを整理してこの書物が生まれた。執筆者は李栄薫のほかに、李承晩学堂の教師、大学や研究所の教授や研究員など5人である。
  2019年は、徴用工判決など一連の出来事をきっかけに韓国と日本の関係が悪化し、両国関係は1965年の国交樹立以来最悪と言われるほど、先の見えない袋小路に迷い込んだ年である。文在寅政権は日本政府を大声で非難し、団結して危機を乗り越えようと国民に檄を飛ばしていた。
 そういう時期に、20世紀前半の日本が韓国を支配した歴史に関し、「今日の韓国人が持っている通念」が、「実証的にどれほど脆弱なものであるかを論証しようと試み」た書物が、政権やそれを支持する人びとからどれほどの反発を招くか、想像に難くない。李栄薫自身、そのことは十分承知している、と言う。しかし国益のためといって、誤った主張に固執したり擁護したりするのは、「結局は国益さえも大きく損ねる結果を招くでしょう」。
 《私たちがひたすら期待してやまないのは、われわれが犯したかも知れない錯誤に対する厳正な学術的批判です。間違っていたと判明したら、私たちはためらわずにミスを認め、直していくつもりです。この本の編集と出版に臨む私たちの姿勢は、これ以上のものでもこれ以下のものでもありません。》(「はじめに」)

▼読者はまず、「反日種族主義」という題名に、引っかかることだろう。それは、「種族主義」という言葉が熟していないからだけでなく、歴史の事実を“学術的”態度で検討し、韓国人の通念の誤りを正すこの本の中で、韓国人の行動や態度の根源を論じる部分が異質であるからだ。この「反日種族主義」という題名あるいは観念の問題については、本の内容をひととおり見たあと、あらためて立ち戻ることにしたい。 

 1910年に日本は朝鮮を併合すると、その後8年間にわたり全国の土地面積、地目、等級、地価の調査を実施した。韓国の中・高等学校の歴史教科書では、この「朝鮮土地調査事業」の目的は朝鮮農民の土地を収奪することにあった、と教えている。1960年に歴史教育学会が作った教科書は、農地全体の半分が国有地として収奪されたと書き、1974年から2010年までの国定の歴史教科書では、土地調査事業によって全国の土地の40%が、総督府の所有地として収奪されたと記述している。
 総督府は、土地を申告するように農民たちに申告用紙を配布したが、農民たちは所有権の意識が薄く、申告が何であるかわからず、申告の期間が過ぎても気に留めなかった。すると総督府は、待ってましたとばかりそれを国有地として没収し、東洋拓殖会社や日本からの移民に払い下げた、というのである。東洋拓殖会社とは、日本の農民を韓国に移住させることを主要目的に設立された国策会社で、しだいに土地を朝鮮人小作農に貸し付ける地主経営に移行し、終戦時には朝鮮最大の地主となっていた企業である。

 しかしこれは真っ赤なウソだと、李栄薫は言う。朝鮮王朝の五百年間、朝鮮の民は三年に一度ずつ戸籍を申告した。中国の明では十年に一度ずつ戸籍を申告し、清では初めのうちは申告していたがやがてやらなくなったのに、朝鮮王朝では初めから終わりまで三年に一度、きちんと戸籍を申告した。世界で一番申告について訓練された民族が、申告が何かわからなかったなどというのは、「本当にナンセンスな話です」。
 また、土地の40%が収奪されたという学説は、少しでも深く考えれば誰でも気づくウソだと、李栄薫は言う。大事な土地が理不尽に奪われ、妻子が飢え、家族が乞食になるというとき、誰が黙っていられただろうか。誰もが死ぬ思いで抵抗し、侵略者の軍事力に歯が立たなかったとしても、怒りと悔しさを忘れず、取り返す機会を狙ったことだろう。しかし1945年、解放の時を向かえたのに、「自分の土地を帰せ」と叫んだ者はいなかった。土地台帳を保管している全国の郡庁や裁判所のどこにおいても、そのような騒動や請願は起こらなかった。土地の40%が収奪されたという事実など、もともとなかったからだ。
 「朝鮮土地調査事業」当時、紛争がなかったわけではない。そういう紛争をとらえて、「片手にピストルを、もう片方に測量器を」という言葉を作り出し、土地調査事業を暴力で抵抗を排除して進める過程として描く有名学者もいた。しかし李栄薫は言う。
 《日帝の朝鮮併合は、いくばくかの土地を収奪することが目的ではありませんでした。総面積が2300万ヘクタールになる朝鮮半島全体を、彼らの付属領土として永久に支配するための併合でした。この地に暮らす朝鮮人全体を日本人として完全に同化させる、という巨大プロジェクトでした。それで彼らは、彼らの法と制度をこの地に移植したのです。》
 李のこの理解は、視点の高さと視野の広さにおいて、「片手にピストル、もう片方に測量器」という見方を、はるかにしのいでいると筆者は思う。

▼日本の植民地支配に対する批判のなかで最も多く耳にするのは、日本が朝鮮を食糧供給基地とし、朝鮮の米を収奪したということだという。そして米を収奪された結果、朝鮮人の米の消費量は大きく減少し、人びとは雑穀を食べなければならず、生活水準は下落したと教科書には記載されているらしい。著者の一人・金洛年は、この問題の真偽を検討する。金は植民地時代の朝鮮経済の専門家で、韓国の長期統計を整備する事業にたずさわっている。
 彼は、「当時の資料や新聞を少しでも読んだことがある人なら、米は通常の取引を通して日本に輸出された」ことが、すぐに理解できるという。「教科書の記述が想定しているように、もし誰かが、汗水流して生産した米を強制的に奪っていったのなら、バカでない限り黙って我慢する農民はいないだろうし、それはすぐさま新聞に報道されるニュースの種になったと思います」。
 朝鮮から日本に米がたくさん輸出されると、二つの地域のコメ市場は一つに結ばれ、はじめは安く取引された朝鮮米の値段も日本の米の値段に接近する。朝鮮から大量の米が流入することは、日本の市場の米価を押し下げる効果を持ち、日本の農民は不満を懐くようになる。
 1931年(昭和6年)は二つの地域の米がともに豊作で、米価が急落した。このとき朝鮮米の日本への「移入」(輸入)に反対する主張が、日本で起こったらしい。金洛年は、当時の「東亜日報」の記事を紹介する。朝鮮では、日本の食糧問題を解決するために協力して増産に励んだのに、今になって朝鮮米の移入を止め、米価急落の損害を朝鮮の農民にだけ転化することには絶対に反対する、という趣旨の記事である。
  もしも教科書の論理で行くなら、朝鮮米の日本移入を制限しようという動きは、朝鮮人にとって大歓迎のはずだが、事実は正反対だった。《このような矛盾に陥ったのは、当時の資料に一度でも目を通していたならすぐに分かるはずの米の「輸出」を、「収奪」と強弁しているためです。》
  当時の朝鮮の農民、とくに小作農が貧しいままであったのは、農業生産性が低く、土地に比べて人口が過剰で、小作農に不利な地主制が強固に存続していたからである。全農家のうち地主は3.6%に過ぎなかったが、米の生産量全体の37%を取得していた。米が輸出商品になり、朝鮮の農民に有利になったが、その恩恵は米の販売量が多い地主や自作農に集中し、小作農はほとんど恩恵にあずかれなかった。
 地主制は解放後になされた農地改革をとおして解体され、農村の低い生産性と過剰人口の問題は、高度成長期の急激な人口移動と機械化を経て解決された。

 

(つづく)

▼次に『反日種族主義』の中から、「強制動員」と「賃金差別」の問題を見てみたい。
  1939年9月から1945年8月15日までの6年間に、73万人の朝鮮人労務者が日本に渡ったが、彼らは日本の官憲によって強制的に日本へ連れて行かれたのだと、韓国の研究者たちは主張したらしい。夜寝ているところや田で働いているところに憲兵や巡査が来て、無理やり日本に連れて行かれ、奴隷のように酷使され、1銭ももらえず帰って来たという主張である。
  著者の一人、イ・ウヨンによれば、朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』(1965年)によって初めて行われたこの主張は、「韓国の政府機関、学校などの教育機関、言論界、文化界のすべてに甚大な影響を与え、我々国民の一般的常識として根づく」までになった。しかしこれは、「明白な歴史の歪曲」なのである。
  201810月に、日韓関係を基礎から揺るがすいわゆる「徴用工判決」を韓国大法院が下し、訴えられた日本企業に韓国人一人当たり1億ウォンを払うように命じたが、これも「明白な歴史の歪曲」に基づくデタラメだと、イ・ウヨンは言う。

日本の国民を国家の必要とする労働に強制的に動員するための「国民徴用令」は、昭和14年7月に制定・施行された。しかしこれは朝鮮半島には適用されず、適用されたのは昭和19年9月からである。イ・ウヨンは「徴用」された朝鮮人は、10万人以下と推定する。
  日本国内では青年の多くが出征し、労働力不足が深刻だった。「徴用」以前、朝鮮人労働力を日本国内に移すために、朝鮮半島では昭和14年9月から「募集」、17年2月から「官斡旋」という方法がとられた。「官斡旋」とは、朝鮮総督府が行政組織を利用して朝鮮人の日本への渡航を支援した制度だが、「募集」も「官斡旋」も本人の意思を前提とする制度である点は変わりがなかった。「日本に渡った朝鮮人の多くは、自発的にお金を儲けるために日本に行きました」と、イ・ウヨンは書く。
  労働の内容はどうだったのか。朝鮮人たちは炭坑の坑内労働のような過酷な労働に就かされ、日常的に殴打、集団リンチ、監禁の行われる環境で、日本人の半分ほどの賃金で労働を強いられ、賃金もわずかな小遣いだけ渡され、残りを強制的に貯金させられたというのが、「強制連行」説の核心部分である。
  イ・ウヨンの研究によれば、殴る、蹴るなどの前近代的労務管理がまったくなかったわけではないが、「それは日本人に対しても同じことでした」。「生活は非常に自由」なもので、一晩中花札をして夜を明かしたり、酒を飲んで次の日に仕事が出来なかったり、朝鮮人女性のいる「特別慰安所」に行って月給をみな使い果たす人もいたほど、自由に過ごしていたと言う。
  強制貯蓄は確かにあったが、それは日本の労働者も同じであり、二年の契約期間が終わると利子とともに引き出し、朝鮮の家族に送金することができた。賃金は基本的に成果給で、日本人よりも賃金が高い場合も多く、低い場合の大部分は、朝鮮人たちが作業の経験がなく生産量が少なかったからだったと、イ・ウヨンはある炭坑の賃金台帳を基に、賃金の「民族差別」論を批判する。そして炭坑で働く朝鮮人の賃金水準が、昭和15年のソウルの男子紡績工の5.2倍、男子銀行員の2.4倍にあたるなど、驚くほど高額だったことを指摘している。

▼戦前の朝鮮で日本が行ったと学校で教えている「土地の収奪」や「米の収奪」、朝鮮人の「強制動員」あるいは「強制連行」は、歴史の事実に反しているという李栄薫らの主張を紹介してきた。彼らの著書を読んだ印象では、その主張は信頼できるものだと思う。書物の評価は、関連書籍のいくつかに目を通してツボを押さえる力があれば、まず誤らないものだ。
 たとえば今回、「強制連行」を最初に「告発」した朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』(1965年)を、パラパラと数か所拾い読みしたが、筆者の評価はきわめて否定的だった。肝心の「強制連行」という言葉が、どれほど正確に事実を記述しているかという目で読むと、「日帝」を非難するムードをかもす以上のものでないことが、見えてしまうのだ。
 「朝鮮人労務者の重要産業への連行が決定された」、「朝鮮人の集団連行が各業者に認可された」、「1939年の連行は石炭山、金属山、土建業などに許可され、9月中旬から10月下旬にかけて事業主の代理人が南朝鮮の七道の地域に出張し、割当人員の狩りたてにつとめた」などの記述が、いくつも見られる。しかし朴慶植の使う「連行」の意味が明瞭で正確だとは、お世辞にも言えない。キーとなる概念がこのていたらくでは、書物全体の信用性に疑問符が付くのはやむを得ないだろう。
  また、本の初めに写真16葉が掲げられているが、そのうちのいくつかは「関東大震災の時の虐殺された朝鮮人の屍体」とか、「5.30間島事件 朝鮮人虐殺の惨状」などという、「強制連行の記録」と何の関係もない写真である。「○○炭坑に連行された朝鮮人労働者」というキャプションの付いた写真も2枚あるが、50150人ほどが前列の者は椅子に腰かけ、後列の者は立ち、その後ろは台の上に立つ、結婚式の写真などによく見られるただの集合記念写真にすぎない。
  要するにこれは、「日本帝国主義」への強烈な憎悪の念だけは明瞭だが、冷静に過去に向き合い、正確に資料を読み解き記述する力を持たない人間が、告発の一念に駆り立てられて精力的に資料を集め、自分の思いに沿ってまとめあげた、とでも評すべき書物なのである。
 イ・ウヨンは、朴慶植は朝鮮総連系の朝鮮大学校の教員で、当時(1965年)日本と韓国の間で進められていた国交正常化交渉を阻止する目的で、これを書いたのだと言う。日韓の「国交が正常化すると、北朝鮮が包囲される」からである。
  国交正常化交渉を阻止することはできず、日韓基本条約は結ばれた。しかし朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』は韓国の歴史学者などに受け入れられ、日韓現代史理解のスタンダードとなり、韓国民の一般的常識となったということだから、著者の思いは十分果たされたというべきかもしれない。
  問題は、韓国社会である。歴史の叙述として大いに問題のある書物が、なぜ歴史学者など知識人に受け入れられ、社会の一般的常識として定着してしまうのか。その原因は「反日種族主義」にある、というのが著者たちの主張なのだが、この問題は次回に考えることにする。

▼『反日種族主義』は、これまで採りあげてきた以外に、陸軍特別志願兵や請求権協定の問題、独島(竹島)の歴史、慰安婦問題、「親日派清算」という韓国社会の問題等について論じている。ページ数にして8割以上が残っているのだが、その一つひとつのテーマに触れるのは割愛し、著者たちの総括的な考え方を紹介することにしたい。 

 《日本は旧韓国政府の主権を奪い、植民地として支配しました。一国の主権を文字通り「強奪」としたと言えるでしょう。日帝はまさにこの点において批判され、責任を免れることはできないと思います。しかし、教科書は、個人の財産権まで蹂躙し、朝鮮人が持っていた土地や食糧を手当たり次第に「収奪」したかのように記述していますが、それは事実ではありません。当時の実生活では、日本人が朝鮮人を差別することは数えられないほどたくさんあったでしょうが、民族間の差別を制度として公式化してはいませんでした。当時の朝鮮経済は基本的に自由な取引の市場体制であり、民法などが施行され、朝鮮人、日本人の区別なく個人の財産権が保護されていました。もし「収奪」が日常化され「差別」が公式化されている体制だったとしたら、朝鮮人の反発で植民地統治自体が不可能だったでしょう。さらには、朝鮮を日本の一つの地方として永久に編入しようという植民地支配の目標にも反することになったでしょう。》(金洛年) 

 金洛年の講義を受講した学生たちは、自分たちが教科書で習ってきたことが事実でないと受け入れると、日帝をどのように批判したらよいのかわからなくなる、日帝の植民地支配を正当化してしまうのではないかと怖くなる、と感想を述べたという。
 《虚構を作り上げ日帝を批判することは、国内では通用してきたかもしれませんが、それで世界の人びとを説得できるでしょうか?日本人を含んだ世界の人々が納得できる常識と歴史的事実に基づいて日帝を批判できる能力も育てられない教育、これが我が国の民族主義の歴史教育がおちいっている陥穽であり、逆説だと言えます。》(金洛年)

(つづく)

▼編著者の李栄薫には『大韓民国の物語』という単独の著書があり、2009年に日本語に翻訳されている。内容は『反日種族主義』と同様、韓国の教科書が教えている「韓国現代史」の批判だが、著作の意図をより直截に語っている部分もあるので、以下、『大韓民国の物語』の記述を利用しながら問題に入っていこうと思う。

 李栄薫によれば、「大韓民国は間違って作られた国だ」という考え方が、韓国社会に広く存在するという。1948年の建国の際、日本の植民地からの独立を目指した運動家たちが建国の主体となることができず、日本と結託して私腹を肥やした親日勢力が、今度はアメリカと結託し、国をつくったというのである。だから民族が南北に分断されたのはアメリカと結んだ親日勢力のせいであり、今日までの政治の混乱や社会・経済の腐敗もすべてそのせいであり、今からでも遅くないから「過去史の清算」が必要だと主張するのである。
 《一つの国が間違って建てられたという主張が、国の外側からではなく国の内側から、それも名声ある学者たちによって、そしてあろうことには大統領をはじめとする政治指導者たちによって提起されていることは、他国では見られない、まことに奇怪な現象であると言えるでしょう。》(『大韓民国の物語』)
 盧武鉉政権時代、「日帝強占下親日反民族行為真相糾明に関する特別法」(2004年)がつくられ、大統領所属の糾明委員会が親日反民族行為者として1005人を選定し、民族問題研究所の『親日人名事典』は2009年に「親日」人物として4389人を発表したが、これらはこの奇怪な情熱によるものである。
  こういう考え方は、北朝鮮は「革命的な共産主義者と革命的な民衆とが連合した政権」であり、朝鮮戦争は「米帝と反民族・反革命勢力の支配下にある南朝鮮」を解放するために不可避的に起きた、というような「歴史認識」とつながっている。そして北朝鮮の歴史的正統性が主張され、民族統一が成就するまでは完全な市民社会も近代国家も成立しない、民族統一が至上命題だ、と主張されることになる。

▼「自分の国はまちがって建てられた」という考え方の基礎には、19世紀まで韓国で支配的だった性理学の影響がある、と李栄薫は考える。性理学は一種の原理主義的な哲学で、事物の因果をもっぱら根本的な一要因で説明しようとする。政治の混乱や社会・経済の腐敗は、出発点において親日派を清算できなかったことから来るというような主張は、経験的な事実によって説明も反証もできない、つまり原理主義的命題にほかならない。
  韓国において、もっとも自然に受け入れられている原理主義的命題は何か。それは「韓国人は五千年前から一つの民族だった」という「民族主義」だと李栄薫は言う。韓国人にとって「民族」は至上の存在であり、国家よりも上位にある。
 《現代の韓国において民族とは国家よりもさらに上位にあります。ですから事実上、国家を否定する物語が民族の名で行われているのですが、一般の韓国人はそれほどおかしいとは思っていません。それほど今日の一般の韓国人は大韓民国の国民である前に、朝鮮民族という集団の一員として存在しています。》(『大韓民国の物語』)
  しかし、民族主義は批判されなければならない、と李は言う。民族主義が政治的に悪用され、猛威を振るうとき、その力に対抗するのは極めて困難だからだ。その極端な実例として、北朝鮮の首領体制を李は挙げる。
 《そこには自由・人権・法治、私有財産・市場、自己責任といった文明の基礎的な要素は存在しません。ところが、韓国の民族主義はそのような首領体制に対する批判にはあまりにも消極的です。むしろ融和的な面まで見せています。》(『大韓民国の物語』)
  李栄薫は自由を擁護するために、いわゆる「進歩派」の政治理念や政治思想を、根底から敢然と批判する。

 「種族主義」という言葉は、李が「民族主義」に換えて新著で使用する言葉である。韓国の民族主義は、西洋で勃興した民族主義とは別のもので、そこには自由で独立的な個人という概念がないという考えから、よりシャーマニズムの世界と親和性のある「種族主義」の名称を使用することにしたようだ。
  《シャーマニズムの集団は、種族や部族です。種族は隣人を悪の種族と見なします。客観的議論が許容されない不変の敵対感情です。ここでは嘘が善として奨励されます。嘘は種族を結束させるトーテムの役割を果します。韓国人の精神文化は、大きく言ってこのようなシャーマニズムに緊縛されています。より正確に表現すると、反日種族主義と言えます。(中略)隣の日本を永遠の仇と捉える敵対感情です。ありとあらゆる嘘が作られ広がるのは、このような集団的心性に因るものです。》(『反日種族主義』)

▼『反日種族主義』の記述は、客観的に歴史の事実を究明する冷静な文章が大部分であるが、「進歩派」の政治勢力や韓国社会を告発する言葉は、いささか感情的である。プロローグは、「韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています」の文章で始まるし、「この国の国民が嘘を嘘とも思わず、この国の政治が嘘を政争の手段とするようになったのには、この国の嘘つきの学問に一番大きな責任があります」とも書く。
  韓国の読者が、この本を読んでどのような印象を持ち、どのように考えたのか、興味のあるところだが筆者は知らない。歴史の事実を検討した部分を冷静に読むなら、読者はその説得力に感じるところがあるだろうが、党派的な立場に立つ者からは、唾棄すべきものと一蹴されるに違いない。
  筆者の場合、韓国人向けに書かれた韓国人の著作が、どうしてこれほど違和感なく読めるのか、という驚きが第一印象だった。筆者は、「朝鮮日報」や「中央日報」の日本語版サイトをわりあい頻繁に覗き、主要な記事を読んでいるが、その記述の仕方に違和感を覚えることがある。韓国の新聞は「論説」に重きが置かれ、客観的な事実の伝達にとどまらず、記者の姿勢が反映された記事を読まされることが多いからである。
  一方、慰安婦問題については日本人であっても、韓国の「挺対協」に同調する学者や活動家の発言や論文には、理解できないものが圧倒的に多い。彼らは日本国家を糾弾するために、同時代全体への理解の中で問題を見ようとせず、局部をアンバランスに誇張し、「慰安婦が性奴隷であり慰安所がレイプ・センターであった」ことは、すでに世界の常識だと居丈高に声を高める。

『反日種族主義』は、全体の三分の一強を「慰安婦問題」に割いているが、事実を資料に基づいてその背景とともにていねいに説明し、納得のいくものだった。李栄薫は、『大韓民国の物語』では吉見義明の主張する「慰安婦=性奴隷」説を支持していたが、10年後の『反日種族主義』では批判する側に考えを変えた。
 《私は性奴隷説は、慰安婦制を成立させた歴史の複雑性や矛盾をあまりにも単純化するという誤謬を犯していると思います。問題の核心は、慰安婦たちに選択の自由が全くなかったのか、という点です。もしそうだったとすれば、まさに奴隷でした。慰安婦たちが慰安所やその周辺から気ままに離れることができなかったのは事実です。しかし、その程度の不自由は、慰安婦という職業の特性に付帯する制約として理解できます。それは、契約と規則遵守の問題でした。契約期間が満了したとき、または一定の条件が満たされたときにも、彼女たちは帰ることができなかったのでしょうか?》
  李はいくつもの史料や実例を引いて、そうではない、と述べ、慰安婦制度とは「軍によって編成された公娼制」だったと主張する。筆者もその考えに賛同する。

▼『反日種族主義』の書評はたくさん書かれているのかもしれないが、筆者が読んだのは一つだけである。毎日新聞の外信部長・澤田克己という人物が、127日の毎日新聞に載せた「ベストセラー『反日種族主義』に書かれていないこと」という一文である。内容的に問題があると思うので、ごく簡単にコメントして本稿を終りにしたい。
 澤田は、これは「文在寅政権によって圧迫される保守派からの反撃という政治的な性格の強い本だ」と述べる。そして『反日種族主義』の「主眼は進歩派攻撃にあるので、“自分たちの側”の事情には目をつぶっている」と、何かを隠しているかのようにほのめかす。
 “自分たちの側”の事情として澤田が挙げるのが、この本が反日色の強かった李承晩元大統領に触れていない点である。進歩派の「反日」は批判するのに、保守派の「反日」を批判しないのはおかしいというわけだが、これは批判する澤田の方がおかしい。
 『反日種族主義』は「反日」を単純に批判したのではなく、「反日」の形で顕れる韓国の「種族主義」を批判しているのだ。進歩派の歴史認識のウソやデタラメを、韓国人の思考法の根にさかのぼって抉りだし、批判しているのである。
  李栄薫は李承晩について、「目をつぶっている」わけではない。『大韓民国の物語』では1章を当てて李承晩を再評価し、李承晩を考えるためには、彼が生きた時代を正しく前提としなければならないと、現在の韓国での評価が不当であることを熱く語っている。
  澤田はまた、「資料の使い方でも首をひねらざるを得ない点が見られる」と言い、近年発見され、慰安婦の生活を知る一級史料として話題になったある朝鮮人男性の日記を取り上げる。(この日記を韓国の文化人類学者が編集したものが、『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』(2017年)という名称で日本語にも翻訳されている。)澤田は、「この日記に関する記述はとてもフェアとは言えない」と批判するが、この批判も大いに問題なのだ。
  しかし長くなるので、その検討は別の機会にしようと思う。

 


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