犯罪は世相を映す
                    【ブログ掲載:2019年11月29日】


▼犯罪が世相を映す、と感じることがある。
 犯罪と言うと一般的に、自分の身の丈を超える欲望を抑えきれずにラインを踏み越えてしまうイメージを持つが、そういうギラギラした前向きの欲望の感じられない事件が、令和元年の今年はいくつも起こったように思う。
 陽性の犯罪ではなく、陰性の犯罪。どのようなことをしてでも富を手に入れ、自分も豊かな生活をしたいというプラスの欲望に基づく犯罪ではなく、豊かな生活を諦めてしまった人間による犯罪。自分の人生を諦め、世の中を自分の破滅の道連れにしたいというマイナスの欲望が、そこには膨れ上がっているように見える。

 5月28日の朝、川崎市登戸駅の近くで発生した「通り魔事件」はその一例だろう。両手に柳葉包丁を持った男が走りながら、カリタス小学校行きのスクールバスを待っていた小学生や保護者に無言でつぎつぎと切りつけ、犯人もその場で自分の首を切り、自殺した。小学6年生の女子一人と39歳の男性一人が殺され、18人が重軽傷を負った。襲撃開始から自分の首を切るまで、わずか十数秒の間の出来事だったという。
 犯人は51歳の男で、高齢の伯父夫婦の家に同居していたが、伯父夫婦とも顔を合わせることなく、長期間「引きこもり」状態で暮らしていたらしい。幼少期に父母が離婚したため伯父夫婦に預けられ、中学卒業後は定職に就くこともなかったという。所有する品物の中には、スマホやインターネット接続のできる機器はなく、犯行と結びつくような書物やメモ書きも残っていなかった。TVや新聞の記者が犯人の顔写真を手に入れようと探しても、中学時代のものしか手に入らなかったという事実が、男の孤立状態を雄弁にものがたっている。 

 7月18日の午前10時ごろ、京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」で、放火事件が発生した。男がポリバケツに入れたガソリンを撒き、ライターで火をつけ、三階建ての建物の中で仕事をしていた社員36人が死亡、33人が重軽傷を負い、犯人も火傷で入院した。
 犯人は埼玉県出身の41歳の男だった。兄と妹がいたが、父親は妻と離婚し、男が21歳の時に自殺し、一家は離散した。男は、定時制高校に通いつつ県の非常勤職員として3年間勤務し、その後は職を転々とする。窃盗やコンビニ強盗で逮捕され、実刑判決で服役したあと2016年初めに出所した。
 住まいのアパートでは、男の部屋から出る騒音をめぐって隣人とトラブルを頻繁に起こしていたという。
 放火事件を起こした際、犯人が「パクりやがって」と口走っていたと報じられ、男とアニメ会社の関連が取りざたされた。しかし京都アニメーション側は、同姓同名の人物からの小説の応募があった事実は認めつつ、応募小説と自社の作品のあいだに類似点はない、と関連を否定した。

▼ふたつの事件には、いくつかの共通点と小さな違いがある。
 犯人が希薄な人間関係の中で暮らしていたこと、自分の親兄弟や妻子をもたなかったこと、経済的に貧しく、希望のない生活を送っていたことは、両者に共通している。そして二人が自分の無意味な生を終わらせようと思い立ち、自分の自殺の道連れに何のかかわりもない多くの人びとを巻き込んだことは、何よりの共通点である。
 違いとしては、登戸の通り魔犯は、伯父叔母夫婦との日常的接触を拒みながら、経済的には全面的に依存している完璧な「ひきこもり」だったのに対し、京都アニメの放火犯は、生活保護を受けていたとはいえ、生きていくために社会との最小限の接触はあった、ということだろうか。
  なぜこの二つの犯罪を取り上げたのかと言えば、柴五郎の伝記を読んでいて、彼の時代の人間関係の濃密さを印象深く感じたからである。ひとが親しい人間の人生に関わることは当然のことと心得、ひとびとが濃密に関わり合って生きていた時代、また、そのように助け合わなければ生きていけない過酷な時代が、われわれが手を伸ばせば触れることのできる近い過去にあった。

 柴五郎は五人兄弟の末弟で、戊辰戦争時は9歳である。新政府軍が会津城下に乱入する前日、母の機転で田舎の大叔父の家に遊びに行かされ、その隙に祖母や母、姉や妹は屋敷で自害した。その後、大叔父の下で育てられるが、百姓の子らと交わるうちにみるみる武士の子らしくなくなっていく姿を長兄が心配し、五郎を引き取る。

 やっと手に入れた青森県の給仕の仕事をやめ、東京に出てきた五郎は、さっそく食事と住むところに困る。わずかな伝手をたどって同郷の知り合いのあいだを彷徨い歩き、旧会津藩家老の山川浩の家で居候をしたり、野田豁通に紹介された政府高官の屋敷に「学僕」として住み込んだりという生活を続ける。
 こうした先の見えない五郎の生活に転機をもたらしたのは、野田が伝えた陸軍幼年学校受験の情報だった。幸いにもこの入学試験に合格したことが五郎の運命を大きく変えるのだが、家族の強い絆がつねに彼を支え、野田豁通や山川浩らに目をかけられることがなければ、幸運をつかむことはなかったであろう。陸軍幼年学校は指定された洋式の軍服を着て入学する決まりになっており、シャツや上着、ズボン、帽子、靴、手袋、靴下など一式をととのえてくれたのは、自身も経済的困窮のなかにあった山川浩だった。 

▼家族には、子供を産み育て、社会に適応できるように教育する機能や、生産と消費の単位としての経済的機能、病人や老人を扶養する福祉的機能、憩いと安らぎの場としての機能、などがあると言われる。しかし社会の変化とともに、家族経営の商店や農家は減少し、病人や高齢者の世話は病院や介護施設に外部化され、子供を産み育てるという最も重要な機能さえ、結婚しない男女の増加により心もとない状態になっている。
 社会学者は「家族」を、「夫婦・親子・兄弟など少数の近親者を主要な成員とし、成員相互の深い感情的かかわりで結ばれた、幸福(well-being)追求の集団である」(森岡清美)などと定義したりする。しかし、ひとりで暮らす未婚の男女や、肉親と別れて独り暮らす高齢者が増加する日本社会の現状は、家族の諸機能のみならず家族の形成、家族の存在自体があやうくなり、脅かされていると言うこともできるのではないか。
 上に挙げた令和元年の犯罪は、犯人が希薄な人間関係の中で暮らしていたことを大きな特徴としている。ひとは人間関係の基礎を、家族のなかで自然に学び身につけるものだが、不幸にして犯人たちは、人生の出発点で家族の機能不全からそれを身につけることができず、自分の生きることに意味を見出せなかった。
 若者たちは「家族」と聞くと、反射的にわずらわしいもの、個人の自由を束縛するものと感じ、身構える。その感じ方は間違ってはいない。「家族」はわずらわしく、うっとうしく、個人の自由を束縛するものであり、だからこそそれとの葛藤の中で個人は生きることを学び、生きていくための強さを身につける。それが家族の持つ教育機能の本質的部分なのである。
 犯人たちの生まれ育った家族は、彼らが生きることを学ぶ前に機能を停止しており、彼らを束縛することもなく、また支えてくれることもなかった。家族の外部の社会は彼らに冷たく、なんの関心も示してくれなかった。

現代の日本は、「人を傷つける」ことに極度に憶病な社会であり、「個人の自由」を理由に他人と関わることを避けようとする。「自分」に意味を与えてくれるのは、他の人間とのつながりなのだが、家族からも社会からも関心を持たれず、関わりを持たない彼らが、自分に価値を認めることはおよそ困難だった。
 現代日本の家族の機能の衰退の影響が、もっとも弱い部分に表れたのがこれらの犯罪だと筆者は考え、社会の衰弱に気持ちを暗くする。


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