政治社会のスナップショット3
 春は鬱陶しい?
               【ブログ掲載:2018年3月30日~4月6日】


▼春はうっとうしい季節である、と言うと、いささか奇をてらっているようだが、「花粉症」という言葉もない時代からの患者の一人としては、それが実感である。
 目がかゆい。鼻水が止まらない。くしゃみが頻発する。毎年2月から3月にかけて花粉症の長いトンネルに入り、悪戦苦闘し、トンネルをようやく抜け出る頃は春もたけなわ、あるいは春も終わりに近づいている。
 筆者の身体が花粉に対して激しいアレルギー反応を起こすようになったのは、身体が変化したのだろうか。それとも花粉が変わったのか。あるいは身体、花粉ともに変化したせいなのか。理由が分かったところで、症状が快方に向かうわけでもなさそうだが、不思議だという感じは強い。
 今年の春をうっとうしくしているものは、花粉だけではない。例のモリトモ学園問題に関する国会やマスメディアの相も変らぬやりとりは、新しい春に向かう人びとの気持ちを萎えさせる。

 

▼筆者は森友学園問題について、昨年このブログ(7/21)で採り上げた。その一部を再掲してみよう。 

 《森友学園が新設する小学校のために、財務省近畿財務局の保有する国有地が格安の値段で払い下げられたという問題が、2月に国会で追及された。昨年6月、大阪府豊中市の国有地が、周辺と比べて9割も安い値段で森友学園に売却されていたのである。
 2010年に豊中市は、隣接する土地9492㎡を近畿財務局から購入したが、その値段は142300万円だった。森友学園への土地8770㎡の売却金額は13400万円、それも10年の分割払いとされた。
 どうしてこのようなことが起こり得たのか。森友学園はこの土地について、2015年に近畿財務局との間で定期借地契約を結び、工事を始めた。その際、地下の廃材や汚染土を森友学園が除去し、国はその費用13千万円を負担した。
 昨年3月森友学園は、地下深くから新たなゴミが見つかったと近畿財務局に申し出た。そして、「国がゴミの撤去をしていたのでは、開校が遅れる」との理由で、森友学園はゴミの撤去費用を差し引いた金額で土地を購入し、撤去工事は自分ですることに決まった。近畿財務局がはじいたゴミの撤去費用は、8億1900万円。土地の鑑定価格からゴミの撤去費用を除いた金額が、上に挙げた13400万円だったのである。》
 《国会で答弁に立った財務省の理財局長は、森友学園との契約を「過去に例がない」と認めつつ、「適正な処分」であると主張し続けた。交渉記録は内規に従って廃棄したから残っていないと言い、関係者への聞き取り調査はしないと言い、法令違反はないと言う。追及した民進党の議員は、「ウルトラCの技を合法のなかで組み合わせて、芸術品ともいえるスキーム」をつくりだしたと評した。》

  要するに、財務省近畿財務局は「過去に例のない」異例の優遇措置を森友学園に対して行ったのだが、なぜそうしたのか、それがなぜ適切なのかについて、納得のいく説明が一言もないのである。

 

▼問題の出来事を時系列的に並べてみる。

  首相夫人・安倍昭恵と森友学園の理事長・籠池夫妻は、親しい関係にあった。安倍昭恵は森友学園が新しくつくる小学校の「名誉校長」に就任し、就任の記念講演では、「こちらの教育方針はたいへん主人も素晴らしいというふうに思っていて」と語った。

  財務省は首相夫人が「名誉校長」に就任した小学校の開校のために、国有財産である土地を利用できるように知恵を絞り、異例の優遇措置を施した結果、森友学園は土地を破格の値段で取得した。

  土地が破格の値段で払い下げられたことが朝日新聞報道(201729日)で暴露され、また園児たちが運動会で次のように宣誓する姿が、ネット動画に投稿され、知られるようになった。……大人の人たちは日本が他の国々に敗けぬよう、尖閣諸島、竹島、北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国、韓国が心改め、歴史教科書で嘘を教えないようお願いいたします。安倍首相ガンバレ、安倍首相ガンバレ、安保法制国会通過、良かったです。……

  国会で追及された安倍首相は、手のひらを返したように」籠池夫妻との親しい関係を否定し、「私や妻が(国有地払い下げに)関係していたら、国会議員も総理大臣もやめる」と答弁した。

  財務省理財局長(佐川宣寿)は国会での追及に、森友学園への国有地払い下げは「適正な処分」であると主張し続けた。交渉記録は内規に従って廃棄したから残っていないと言い、学園側に価格の提示や交渉はしていないと言い、法令違反はないと言い続けた。

  森友学園への国有地払い下げに関して財務省が公開した決裁文書は、書き替えられたものである疑いがある、と朝日新聞(2018年3月2日)が報じた。財務省は結局、報道を事実と認めざるを得ず、国税庁長官の職に就いていた佐川宣寿は、3月9日、辞任した。 

 以上のような事実は、きわめてわかりやすい問題の構図を示している。
 第一の、そして最大の問題は、財務省が森友学園に対して破格の優遇措置を講じたことだ。土地に埋まっていた「ゴミ」を理由に、もっともらしく払い下げ価格を減額しているが、この辺りが問題のキーポイントになるだろう。

 第二に、そうした過去の経緯を表に出すわけにはいかないと佐川局長が判断し、「交渉記録は廃棄したから残っていない」、「学園側と価格の提示や交渉はしていない」といった一連の虚偽答弁を行った。そして文書の公開要求を見越して、昨年の新聞報道のあとの2月下旬から3月にかけて、公文書の改竄を行った。だから「公文書改竄」はもちろん追求しなければならないが、国会が究明すべき本丸は、財務省がなぜ行政のスジを曲げて森友学園を優遇したのかという問題なのだ。

 元大蔵官僚で法政大学教授の大黒一正は、「公文書改竄という危険を冒すことは、やはりよほどの政治的な圧力でもない限りありえないことだ。『忖度』の領域をはるかに超えた行為と言える」と感想を述べている。そうかもしれない。しかし財務官僚が政治的損得計算のもとで破格の優遇措置を行い、それを隠し合理化するために、「公文書改竄」自体は財務省の役人が自主的に行った、ということも考えられるように思う。

  

▼この事件の「被害者」は誰だろうか。国民は、その財産を不当に安く売り払われただけでなく、官僚組織の劣化や国会の非力を延々と見せられ、うんざりさせられているのだから、もちろん被害者である。
 親しかったはずの安倍夫妻から手のひらを返す仕打ちを受け、口封じのために詐欺容疑で延々と拘束されている籠池夫妻も、被害者と言えるだろう。
 また、2016年6月に理財局長の職に就いた佐川宣寿は、前任者や前々任者の泥を一身にかぶって、マスメディアと国会の追求の場に立たされ、公文書改竄にまで手を染めなければならなかったのだから、被害者を名乗る資格があるかもしれない。
 そして安倍首相も、自分たち夫婦が籠池夫妻の「教育」に共鳴していた過去を忘れ、つまらない出来事をほじくり出して騒ぎ立てる「朝日新聞」に、憤懣と被害者意識を募らせていることだろう。麻生財務大臣は、この事件の紛れもない責任者であるにもかかわらず、恥ずかしげもなく被害者づらを続けている。

 こうして被害者意識の膨らむ日本列島の春は、うっとうしいものとならざるを得ない。

 

(つづく)

▼前回、いささか舌足らずで終ったので、補足しておきたい。

 財務省理財局の申し開きのできない「公文書改竄」という事実を前に、野党やマスメディアが証人喚問で決定的な「証言」を引き出したいと張り切る気持ちは、わからないわけではない。しかし、「首相や財務大臣から文書書き換えを指示されました」というような証言が飛び出してくるはずがないし、またそのような証言があれば、かえって嘘っぽいのではないかと、筆者は思う。
 首相や財務大臣は、一国会議員とはわけが違う。部下である官僚たちはトップの意を体して行動しているのであり、このような小さな問題で、一つ一つトップが指示しなければ思うように動かない組織では、しょうがないのである。
 「忖度」という言葉がこの事件に絡んで昨年流行したが、すべての組織において多かれ少なかれ忖度(他人の気持ちを推し量ること)が行われるのは当然であり、それが筋の悪いものなら上手に断ればよいし、活かせる面のある話なら、筋の通る形に修正して受け入れればよい。それができないようなら、どだい官僚は務まらない。

これまでに明らかになったいくつもの事実は、ただ一つの結論を示している。森友学園の籠池理事長夫妻と安倍首相夫人との親密な関係に財務省が過剰に配慮し、無理スジの理屈を付けて、破格の優遇措置を講じたという事実である。それは公になると説明に窮することだったから、財務省の官僚たちは原則公表の国有財産の売却金額をこの案件にかぎり公表せず、(そのためにかえって新聞記者の不審を招くことになり、)また交渉の経緯を書き込んだ文書を改竄したのである。
 それは「証言」された「事実」ではない。しかし、明らかになっているいくつもの「事実」から、合理的な推論を経て至るただひとつの帰納的結論である。人びとの心の中に形成されている帰納的結論を、あたかも存在しないかのように扱う政府と与党の態度こそ、人びとを苛立たせ、うっとうしい思いをさせているものの正体なのである。 

小田嶋隆という人が「佐川氏証人喚問視聴記」という文章を、「日経ビジネスオンライン」(3/30)に書いている。事態を的確に表現したなかなかの文章だと思うので、以下に一部を紹介する。

《尋問を通して明らかになった「事実」は、なるほどゼロだった。/しかしながら、あの日、国会を舞台に撮影された映像から視聴者が感じとった「心象」や、受けとめた「気分」や、呼び覚まされた「感情」の総量はバカにならない。われわれは、あのナマ動画から実に多大な「感想」を得ている。/そして、おそらく、これから先の政局を動かすのは、「事実」ではなく「感想」なのだ。(中略)/政局は、これからしばらく「何かが明らかになる」ことによってではなく、「なにひとつ明らかにならない」ことへの苛立ちや諦念がもたらす複雑な波及効果によって動くことになるだろう。》

証人喚問という場では明らかにならない「事実」も当然ある。しかし事態を動かすのは、「事実」だけではない。政治家たちは、国民の心の中に蓄積される「心象」や「気分」や「感想」を正しく怖れるべきである。―――

 

▼森友学園問題が発生した原因として、内閣人事局が2014年に発足して官僚たちの幹部人事が官邸に握られたことの弊害だ、という意見がある。それまでは各省庁でつくられた人事案が基本的に尊重されていたが、内閣人事局が発足して以来、各省の幹部はその存在を意識し、官邸の意思を過剰に「忖度」するようになったというのである。
 しかし内閣人事局をつくった意図には、「省益あって国益なし」と言われてきた日本の官僚制の宿痾を改め、政治のイニシアティブを確立するという考えがあったはずである。その目的は正しいというべきだろう。
 だが、人事によって官僚たちの忠誠心を確保しようという考え方は、目的実現のために正しい方策だったのだろうか。「官高政低」は、力量も適性もない政治家が大臣となり、短期間でくるくる変わることの結果なのであり、やはり実力・見識のある政治家が大臣のポストに就き、十分に腕を振るうという王道で、改善を考えるべき課題なのではないか。

もう一つ、原因として考えられるのは、安倍晋三という政治家のキャラクターだろう。そもそも問題の出発点は、毎朝朝礼で「教育勅語の朗唱」や「君が代の斉唱」を行うことを教育方針とする籠池夫妻の幼稚園を、安倍夫妻が「すばらしい」と評価し、安倍夫人が籠池が新しくつくる小学校の「名誉校長」になるほど、肩入れしていたことだった。
 政治家は誰でも支援者に広く門戸を開いているだろうが、安倍晋三の場合、イデオロギー的な賛同者、同調者に対して特別に甘いように見える。つまり彼は、異論や批判に対して旺盛な敵愾心を燃やす一方、自分に同調する仲間は厚遇し、その結果、怪しげな「愛国者」がまわりに集まることになる。籠池泰典もそのうちの一人である。安倍は問題の露見以来、「手のひらを返したように」籠池を非難するばかりで、その教育を自分が「すばらしい」と評価していたことへの弁明、あるいは反省の弁は何もない。
 「自分も妻も関与していない」と安倍首相は言う。しかし首相夫妻が教育方針を「すばらしい」と評価し、首相夫人が新しくつくられる小学校の「名誉校長」に就任し、籠池から学園と財務省との交渉経過の報告を受け、夫人の秘書役として付いていた経産省の女性職員が財務局に問い合わせのメールを送ったりしていたことが、なぜ「関与」していないといえるのか、筆者には理解できない 

筆者がもう一つ理解できないのは、麻生太郎が財務大臣の職を辞す意思を示していないことである。大きな事件・事故が発生・露見したような場合、組織のトップが辞任することはよく見られるが、それは責任の所在を明らかにするとともに、組織を再生するために必要な措置だと考えられているからである。昨年秋、神戸製鋼所や三菱マテリアルの子会社で書類や検査データの改竄問題が露見し、社長や会長が退任している。
 「公文書改竄」がほんとうに前代未聞の「由々しきこと」(麻生大臣言)であるなら、事態を収拾し組織を再生するためには、財務大臣の辞任が避けられないだろう。それは背任罪の告発に、検察庁がどのような結論を出すかという刑事問題とは別の問題として、組織に必要なことなのである。

 

▼話は変わるが、名古屋の市立中学校で今年の2月に文科省の前事務次官・前川喜平が講師に呼ばれ、中学生や保護者、地域住民を前に、「これからの日本をつくる皆さんへのエール」と題する講演を行った。講演は「総合的な学習」という授業の一環で、前川は、自分の幼少期の話や現在夜間中学校でボランティアを行っている体験などを話したという。
 ところが文科省は名古屋市教委に、講演の内容や前川を呼んだ狙いを問い合わせ、録音データの提供を求めた。電子メールを使った質問は2回にわたり、項目は約30、前川が天下り問題で辞職し、出会い系バーに出入りしていたことに触れ、「こうした背景がある同氏について、道徳教育が行われる学校の場に、どのような判断で依頼されたのか具体的かつ詳細に」回答を求めるものだった。(「朝日新聞」3/17
 文科省の行動の発端は自民党の複数の議員からの問い合わせであり、文科省は市教委への質問を事前に自民党議員に見せ、一部を修正していたことまで報じられた。
 これだけであったなら、森友問題に輪をかけて暗い気持ちになる話なのだが、校長や市教委の対応に救われた。
 校長は、3年前に前川氏の講演を聞いて感銘を受けたので、今回の講演を依頼した。「(生徒を)とても勇気づけてくれる方だ」と、記者会見で語った。
 また市教委(指導室長)は、天下りや出会い系バーについて、「講演を依頼する障害になると考えませんでした」、「今回は道徳の授業ではありません」と返答し、録音の提供は、前川氏の許可を得ていないからと、断ったという。
 権力者に対し、自分の頭で考え、考えをきちんと表明できる骨のある人びとがいるという事実は、そのニュースを聞いた人を明るい気分にするようだ。
  なにかというと「誤解を招いた」、「迷惑をかけた」、「説明に丁寧さを欠いた」といった、陳腐な言葉で「謝罪」するうっとうしい風潮が広がる中で、気持ちの晴れるニュースだった。

 

(終わり)

 

ARCHIVESに戻る