この世界の片隅で

                     【ブログ掲載:2017年1月6日】


▼昨年はいくつかの日本映画が話題になった年だった。
 「シン・ゴジラ」は、「新世紀エヴァンゲリオン」の監督・庵野秀明が総監督として撮ったゴジラ映画だが、綿密な調査の上に描かれたリアルな映像が評判になり、多くの観客を動員した。また、大災害に見舞われた日本の危機管理体制の脆弱さを鋭く描き出しているということで、政治家や霞が関の官僚の間でも話題になり、さまざまな「シン・ゴジラ」論が雑誌やネット上で語られた。
 「君の名は。」は、新海誠という監督が撮ったアニメ映画だが、緻密な風景描写が評判になった。男女の高校生の心が入れ替わる話だというから、筆者のような年上の世代は大林宣彦の「転校生」をすぐ連想するのだが、それにとどまらない新鮮なものがあるのだろう。現在も大ヒット中だという。
 「この世界の片隅で」(監督:片渕須直)は、こうの史代の同名の漫画を動画にした作品である。筆者は原作の漫画についても原作者のこうの史代についても、まるで知識がなかったが、前評判がなかなか高かったので、先日新宿に出たついでにこの映画を見た。歳末の誰しも忙しい時期のはずだが、館内はほぼ満席だった。

▼「この世界の片隅で」の主人公は、浦野すずという大正の末年あるいは昭和の初めに広島の海辺の村で生まれた女性である。小柄で、のんびりしていて、(あるいはどこか抜けたところがあり)、絵を描くことが大好きな少女として育ち、やがて昭和19年の初めに呉の北條家に嫁入りする。夫の北條周作は海軍の軍法会議に書記として勤める穏やかな男で、すずを好いていた。
 家には他に周作の両親と、夫が病死したため娘を連れて実家に戻ってきた性格のきつい義姉がいた。すずは懸命によく働き、時にはへまもしながら、少しずつ婚家での暮らしに慣れていく。
 映画は、戦前・戦中の庶民の日常生活を淡々と描く。配給や闇市、公定価格、千人針、空襲警報、伝単(敵機の落とすビラ)、代用食といった言葉が生活の端々に顔を出す。 

 歳の暮のある日、すずの幼な馴染みで今は海軍の水兵になっている水原哲が、「入湯上陸」で会いに来る。「入湯上陸」とは、帰港した軍艦の乗組員が「ゆっくり風呂につかる」名目で許された外泊である。北條家で歓待を受け、すずとも気の置けない会話を交わし、つかの間の平穏な時間を満喫する哲。「死に遅れるいうんは焦れるものですのう」とつぶやく哲を、周作は納屋の二階に泊め、すずに行火(あんか)を持っていくように言う。「………ほいで折角じゃしゆっくり話でもしたらええ………もう会えんかも知れんけえのう………」。
 二人で行火を入れた布団に脚を入れ、話をするうちに、哲はすずを抱きしめる。すずは、ずっとこういう日を待ちよった気がする、とつぶやくが、しかし思いを振りきるように、ごめん、ほんまにごめん、と言って哲の手を拒む。
 あの人が好きなんじゃの?と哲。うなづくすずを見ながら哲は言う。「あーあー普通じゃのう。当たり前のことで怒って、当たり前のことで謝りよる。すず、ほんまにお前は普通の人じゃ………」。哲は、夜の明ける前に出立した。

 

▼昭和20年、呉はいくども空襲に見舞われる。6月の空襲の残した爆弾で、すずと手をつないでいた義姉の娘は一緒に吹き飛ばされ、娘は死に、すずは右手を失った。
 月になると、呉では連日のように空襲警報が鳴り響いた。すずの妹が広島から見舞いに来、広島は空襲もないから戻ってきたらいい、と言う。来月の6日はお祭りだから、早う帰っておいで、と言い残して妹は帰って行った。
 8月6日の朝、呉の人びとは不思議な閃光とそれに続く地響きに驚き、広島の上空に巨大な雲を目にする。
 8月15日正午、すずはラジオの前で、家族や近所の主婦と一緒に「重大放送」を聞く。雑音で聞き取りにくい放送が終わった後、つまりこれは、負けたということか………と互いに確認しあい、広島と長崎に新型爆弾も落とされたし、まあかなわんわ………と言い交す人びとの間で、すずは叫ぶ。
 「なんで? そんなん覚悟のうえじゃないんかね? 最後の一人まで戦うんじゃなかったかね? 今ここに、5人もおるのに! まだ左手も両足も残っとるのに! うちはこんなん納得できん!!」

 映画は戦後の広島で、すずと周作が孤児となった少女に出逢い、呉の自宅に連れ帰ったところで終わる。

 

▼映画を見終わって、動画や漫画がこういう内容を描くようになったのか、という静かな驚きがあった。冒険でも恋愛でもなく、戦いでも友情でもない、つまり劇的要素からおよそ遠い庶民の日々の暮らしを丹念に描くことで、歴史を語る。
 もちろん時代は戦時であり、空襲に逃げまどい、原爆の巨大な破壊に打ちのめされた人びとに、平坦な日常があったはずがない。その日常は同時に非日常であり、日常を語ることがすなわち劇的であるということも、間違いではないだろう。しかし原作者のこうの史代も動画の監督・片渕須直も、庶民の日々の暮らしの非日常的な面ではなく、変わりようのない日常的な面に執着しつづけ、それを忠実に再現することに最大限の力をふるった。 
 もし作品を劇映画として、人間が演じたらどうなっていただろうか、と考えた。どのように巧みに演じたとしても、ずいぶんと手触りのちがうものに仕上がっただろうし、この動画のもつ淡々とした味わいと感動を出すのは、難しかっただろうと思う。
 二時間を超える映画が終わったあと、クラウドファンディングによって映画製作を支援した人たちの名前が、タイトルクレジットに映し出された。長いタイトルクレジットが終わるまで、誰も席を立とうとしなかった。



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