おクジラさま

             【ブログ掲載:2017年10月27日~11月24日】


「おクジラさま ふたつの正義の物語」(監督:佐々木芽生)という映画を観た。地味な記録映画だが、日本の僻地の出来事が世界の「いま」に通じる問題であることを、考えさせる映画だった。

 和歌山県太地(たいじ)町は、紀伊半島の南端・潮ノ岬にほど近い漁村である。交通の便は非常に悪く、水も少なく、そのためコメも野菜もほとんどとれない。たまたま前の海がクジラの通り道にあたるため、昔からクジラ漁で生計を立てて来たのである。
 クジラは80以上の種類があるといわれるが、太地町で捕獲するのは小型の7種類である。そのうち体長4メートル以下のクジラは、イルカと呼ばれている。町では小型クジラを「追い込み漁」で捕獲し、一部は食肉用とし、一部は水族館の展示飼育用として売っている。
 2000年代中頃、海外の反捕鯨の活動家たちが出没するようになると、静かな町は一転して騒がしくなった。やがて反捕鯨ドキュメンタリー映画が撮影され、2009年に「ザ・コーブ(THE COVE)」として公開された。翌2010年、映画はアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞し、シーシェパードは活動家を太地町に常駐させるようになった。
 
 太地のクジラ漁を一方的に糾弾した「ザ・コーブ」について、ニューヨーク在住の佐々木芽生は違和感を持ち、もっと多様な意見や主張を取り込んだ映画を撮ろうと考えた。それは反捕鯨活動をする活動家や漁師たちだけでなく、多様な人びとの多様な意見に、公平にカメラを向けたものでなければならない。
 太地町の漁師たちは当然ながら、メディアの取材や撮影に関して強い警戒心を抱いていた。佐々木は自分の映画の意図を理解してもらえるように、何度も話し合いの場を持ってもらい、また不信感を懐かれないために、細心の注意を払った。シーシェパードの撮影も、すべて漁師たちの見ている前で行うように気を配った。わざと漁師たちの目の前で外国人活動家にマイクを向け、そのあと漁師のところに戻って漁師側の主張をカメラにおさめる、ということを繰り返した、という。

映画は、太地町の「くじら祭」の場面からはじまる。豊漁を祈願するとともに、クジラ供養の意味もふくむ「祭」は、町とクジラの深くて長い繋がりを示している。
 ある漁師の家族にカメラが向けられ、彼らの父親もそのまた父親も、クジラ漁で暮らしていたと紹介される。
 黒の「縁なし帽」をかぶり、黒いTシャツ姿のシーシェパードの活動家・スコット・ウエストが、双眼鏡で入り江を監視している。入り江ではクジラの追い込み漁が行われていた。
 活動家が、通り過ぎる漁師に、なぜクジラを殺すところを隠すのか?恥ずべき行為だと自覚しているからではないか?と非難する。マイクとカメラを向けられた漁師は、牛や豚を殺すところ、オープンですか?生き物を殺すところを隠して何が悪い。普通、そうやって人目にさらすものじゃないでしょ?と反論する。
 いくら払えばイルカを解放してくれるか、それを寄付金で集めるから、という活動家に対し、ある漁師は、自分たちで汗水たらして稼いだ金ならともかく、寄付で集める金なんて、と言い、自分たちの子や孫も漁で生きていかなければならないのだと、語る。
 漁師たちの思いは、太地町は400年間クジラと共に生きてきたのであり、お互いの文化に口を出すのはやめよう、というところにある。しかし彼らは直接活動家たちに抗議することは避け、黙って耐え、無視する方を選ぶ。「爆発」したら彼らの思うつぼだと、分かっているからだ。
 「日本世直し会」と書かれた街宣車が、たどたどしい英語で「話し合い」を呼びかけながら、町を走る。中平敦という名の体格の良いスキンヘッドの「右翼」は、意外に人懐っこい男で、たどたどしい英語の元はこれだ、と監督にパネルを見せてくれる。自分は英語がまったくできないので、知り合いに教えてもらったというパネルには、読み上げる「英文」がカタカナで書かれてあった。

この映画の一番の工夫ないし幸運は、ジェイ・アラバスターというジャーナリストを見つけて、中立的な役割で登場してもらったところにあるのだろう。ジェイは日本滞在十数年のキャリアがあり、日本語を自由に喋り、AP通信の記者として働いていた。
 太地町を取材するように指示され、取材をはじめるが、住民たちの警戒心と拒否反応に戸惑う。それは彼が他の日本の町で経験したことのなかったものだった。彼は自分が中立的な立場であることを示すために蛍光色の帽子をかぶって取材するが、やがてこの町の人びとをより深く知るために、フリーのジャーナリストとなって太地町に移り住み、少しずつ知人を増やしていく。
 しばらくして世直し会の中平の斡旋で、町長や漁協の代表者とシーシェパードのスコットたち活動家が、話し合いの場を公開で持つことになった。
 反捕鯨活動家たちの言い分は、クジラの捕獲は恥ずべき行為であり、残虐な殺戮はもちろん、水族館で展示することもイルカにみじめな奴隷生活を強いるもので、止めなければならない。クジラ漁は伝統だというが、世界の奴隷制度は廃止され、イギリスのキツネ狩りやスペインの闘牛も廃止されようとしているではないか、ということである。
 スコットの娘が、皆さんのためにシーシェパードができることがありますか?と聞いた。町長は、われわれのことはわれわれ自身が考えて実行していく。あなた方がここの住民になったなら話は別だが、と切り返した。
 
 ジェイが親しくなった漁師にパソコンの画面を見せながら、情報量の圧倒的な差を説明する場面がある。反捕鯨の活動家たちは「追い込み漁」の様子を写真や動画に撮り、ツイッターやフェイスブックで流す。するとフォロワーの反応がすぐに現れ、大量の捕鯨非難の書き込みが世界に広がることになる。それに対して、太地町側の情報発信はゼロ。ホームページは1年に一度更新されるだけだ………
 映画はそのあと、「イルカやクジラが生きている姿を見たことがないということは、かえって動物に対する興味を失わせる」という太地町のくじらの博物館館長のことばや、捕鯨に批判的な日本女性ふたりの主張を、ジェイが聞き役になる形でカメラに収める。

 映画は最後に、関係者のその後の消息を画面に文字で伝えて終る。
 ジェイ・アラバスターは故郷のアリゾナに帰り、教師をしながら大学のジャーナリズムの博士課程で学んでいる。
 世直し会の中平敦は、現在建設業を営んでいる。
 シーシェパードのスコット・ウエストと娘は、団体から離れた。―――

(つづく)

この映画についての筆者の感想を率直に言うと、テーマはなかなか刺激的でいろいろ考えさせるのだが、映画自体は起伏に乏しくもの足りない、というものだった。その一番の原因は、「反捕鯨派」の納得できる主張が、聞こえてこないというところにあるようだった。

 「捕鯨派」の主張も明瞭に述べられているわけではないが、その考え方は説明されなくても分かる。クジラを殺すな、クジラを救え、と非難されるが、われわれは殺生を好んでいるわけではない。数百年のあいだ、生活の必要からクジラを食用にし、骨を髪留めや櫛や三味線のバチなどに加工して利用してきた。それは牛や豚や羊を殺し、食用にしたり、皮革を身にまとったり、履物にしたりするのとなんら変わらない。
 殺生はできるならしないにこしたことはないが、しかし人間が生きていくためには一般に穀物だけでなく、魚や肉を食物とせざるをえないのだ。
 生き物の命を断つ行為は「罪」深くないのかと、さらに問われるならば、多くの日本人は、「罪」深いことかもしれないと答えるだろう。だが、人間はそもそも「罪」深い存在なのであり、山の幸、海の幸に感謝しながら生きていくべきだし、そのような形でしか存在できないのだ、と彼らは呟くだろう。

 「捕鯨派」という言葉を使ったが、「捕鯨」についての日本人一般の受け止め方は、上のようなものだと筆者は理解している。「捕鯨」についてそのように考えている人びとの思考を揺さぶり、なるほどと思わせる「反捕鯨派」の主張が、映画の中で少しも聞かれなかったこと、つまり「ふたつの正義の物語」という副題が付けていながら、少しも「もうひとつの正義」が論理の形で説得的に現われないことが、問題なのだ。
 もちろん画面の中で、シーシェパードの活動家は彼らの主張を叫んでいる。「水族館でイルカを飼い、芸をさせることは、イルカにみじめな奴隷生活を強いることであり、やめるべきだ」。「イルカは知能の高い生き物であり、食用に殺戮することは恥ずべき行為だ」。
 彼らに向けて日本人の多くが懐いている疑問や批判をぶつけ、その回答の非論理性や説得力の無さに対してさらに疑問を提示する、という作業を積み重ねることで、映画はもう少し緊張感のあるものになったように思う。

映画は終わりの方で、捕鯨に批判的な日本人の女性を二人登場させる。ひとりはイルカ問題に関わる活動家だという年配の女性で、「クジラを資源として使うことにまったく反対しているわけではないが、どの種がどの程度どこにいるのか、本当に持続的に利用できるのか、という情報が明らかでないのが問題だ」と語る。彼女の元には以前、無言電話や「死ね」「売国奴」という強迫メッセージが届いたという。
 もうひとりの若いジャーナリストは、「日本人は7割以上が捕鯨に賛成するが、一人当たり年間30グラムしかクジラ肉を食べていない。多くの日本人が捕鯨に賛成する理由は、白人に、イルカは可愛いから殺すなと言われることへの反発からだ。もし海外からの圧力がなくなれば、日本人はクジラを食べることを忘れてしまうのではないか」と言う。
 ジェイ・アラバスターがインタビューする中での発言だが、日本の中の「反捕鯨派」の主張は、この程度のものなのだろうか。

女性活動家の語ったことは、一般的な環境保護の考え方であり、「反捕鯨派」の主張との間には溝がある。ジェフが彼女に、イルカの飼育や展示にも反対する「反捕鯨派」の主張について、意見を突っ込んで聴いてみれば面白かっただろうと思う。

 若い女性ジャーナリストの発言は、滑稽な誤りをいくつも含んでいる。が、そのことを指摘する前に、筆者の個人的な体験を振り返ってみたい。
 昭和30年代のはじめ、貧しく、誇りとなるものも乏しかった敗戦国日本で、捕鯨産業は大きな役割を果たしていた。日本の捕鯨は水揚高世界一をデンマークと競っていると、筆者は小学生向けの年鑑で読んだ記憶がある。学校給食で出されるクジラ肉の「竜田揚げ」は、小学生に人気があった。クジラのベーコンは給食では出なかったが、わが家の食卓にはよく出され、筆者は大好きだった。「ベーコン」という言葉で思い浮かべる食物は、豚肉ではなくクジラだった。
 昭和40年代前半、新宿西口に「鯨カツ」を出す店があり、筆者はときどき立ち寄った。しかし次第に豚や牛の肉が安価になる一方、クジラ肉は入手が難しくなったらしく、「鯨カツ」の店はいつしか消え、クジラのベーコンも見かけなくなった。現在、まれにクジラ肉やクジラのベーコンを見る機会があるとしても、おそろしく高価である。

 女性ジャーナリストの発言に話を戻すと、「イルカは可愛いから殺すなと言われることへの反発」が、日本人の中に大きいことは確かである。しかし反発心から感情的に、「多くの日本人が捕鯨に賛成」しているわけではない。どう考えても理屈が通らないことを、無理やり押し付けようとしていると感じるから、「反捕鯨」運動に反発しているのだ。「一人当たり年間30グラムしかクジラ肉を食べていない」のも、自然な選好の結果とは言い難い。捕鯨を制限し、人為的に鯨肉を高価にし、入手を困難にしている影響が大きい。
 「もし海外からの圧力がなくなれば、日本人はクジラを食べることを忘れてしまうのではないか」―――長期的に日本人の嗜好がいかなる傾向をたどるのか、それを現在の不自然な制限の下での鯨肉消費量から論じることは、誰にもできない。
 要するに、佐々木芽生監督が、日本国内から「反捕鯨」の主張を聞きたいと思っても、この程度の声しか拾うことができなかった、ということなのだろう。

思い立って、そもそもの出発点である「THE COVE」を観ようと、近くのTSUTAYAからDVDを借りてきた。監督はルイ・シホヨス。問題はあるが、なかなか良くできた記録映画だった。

 リック・オバリーという男がいる。若いころアメリカでイルカの調教師をしていて、TVの人気番組「わんぱくフリッパー」に登場するフリッパー役のイルカを調教した男である。
 リックはやがて、イルカという知能の高い、人間と意思を通わすことのできる生き物を、殺したり檻に閉じ込めて飼育したりすることが過ちだと気づき、イルカの解放運動を始める。そうした彼が狙いを付けたのが、日本の太地町だった。
 イルカの芸は世界の水族館で人気を博しているが、そこにイルカを供給しているのが日本の太地町である。太地町がイルカの捕獲をやめれば、世界の水族館からイルカを解放することができる。そのためには、太地町や日本政府に対して「外圧」をかけることが有効だ。―――
 そう考えたリック・オバリーとシーシェパードが、どのような関係にあったのかは分からない。シーシェパードは2003年にメンバーを太地町に送り込み、ネットを切ってイルカを「解放」し、逮捕された。
 監督のルイ・シホヨスには、リック・オバリーが太地町に行くことを勧めたようである。はじめにリックが、マスクで顔を隠しながら車を走らせ、同乗する監督のシホヨスに太地町を説明する場面がある。自分たちは日常的に後を付けられていること、ここは「大きな秘密を持つ小さな町」だと、リックは言う。
 そして車を止め、或る入り江を指して、あそこはイルカたちの悪夢だ、と言った。「立ち入り禁止になっていて、ナイフを持った漁師がうろついている。漁師は言っていた、ここで起きていることが世界に知られたら、一巻の終わりだ、とね」。
 題名の「THE COVE」(「入り江」という意味)は、そこを指している。

(つづく)

筆者は「THE COVE」を、「なかなか良くできた記録映画だった」と書いたが、これは適切な表現ではなかったかもしれない。なぜならこの映画は、「捕鯨」に関する人びとの対立問題について、広く深く掘り下げて記録しようとした映画ではないからだ。「捕鯨」の問題をひとつのドラマに仕立てあげ、視聴者を「捕鯨反対」の方向に強力に誘導するという意味で良くできた映画、成功したプロパガンダ映画なのである。

 「THE COVE」の工夫は、映画を貫く太いタテ糸を用意したことである。「入り江」の「秘密」を世界に知らせるために、監督とスタッフは入念に準備を進め、警察や住民の動きを調べあげ、その眼を盗んである深夜、盗撮を決行する。そうして撮影に成功するまでの苦心や努力の「物語」が、映画のタテ糸である。
 シホヨス監督は撮影を成功させるために、「オーシャンズ・イレブン」のようなチームを作ろうと考える。冒険家や特殊撮影のカメラマン、フリー・ダイビング(素潜り)の達人、イルカの保護活動をしているサーファーなど、いろいろな分野のスペシャリストが集まった。彼らは太地町と協議し、「立ち入り禁止」を守るように厳しく言われるが、立ち入り禁止地点を示した地図は、逆に彼らのガイドマップとなった。
 彼らは観光に出かけ、寺の石庭であるヒントを得る。岩の中にカメラを隠し、漁師たちの行動を盗撮することを思いつき、カメラを仕掛けたハリボテの岩を発注する。―――

 この物語のタテ糸が進行する途中、クジラやイルカに関するさまざまなデータや、なぜ捕鯨禁止が正当で時代の流れであるかを主張する映像が、いくつも挿入される。これが映画のヨコ糸であり、捕鯨反対の行動の正しさを「証明」するとともに、深夜の盗撮を決行する時間を先に延ばし、視聴者の盗撮行への期待を高める。リック・オバリーが語るイルカの話は、中でも重要なものとして挿入される。イルカには自己認識能力があり、鏡の中の自分を認識できること。そのように知能の高い生き物だから、檻の中で飼育されるとストレスで胃潰瘍になり、エサ場には胃薬が欠かせないということ……
 イルカは1頭15万ドルで売り買いされ、食肉として殺される場合は600ドルであるという。日本では23千頭のイルカが殺され、IWC(国際捕鯨委員会)は1986年に商業捕鯨を禁止したが、小型クジラであるイルカは保護されていないこと、日本はIWCの決議を覆そうと、近年、金の力にもの言わせているが成功していないこと、イルカの肉には水銀が高濃度で含まれているのに、日本政府は報道管制を敷いて事実をもみ消していること、等々。そうした雑多なエピソードや主張の合い間に、海を自由に泳ぐ野生のイルカの群れの映像が挿入される。

 ついに盗撮決行の夜となった。撮影チームのメンバーは、それぞれアメリカ大使館の電話番号のメモを靴下の中に入れ、出発した。「人生で一番怖かった夜だった」と、男の声が入る。メンバーは立ち入りを禁止された丘を登り、三方を崖で囲まれた入り江を見おろせる高台に着き、機器をセットする。白黒を反転させた映像と赤外線カメラで撮った映像、そして現場で収録された会話や独り言が、緊迫感を盛り上げる。
 映像は最後にカラーに戻り、入り江に張られた網の外に出られないイルカが、次々にモリで突かれ殺される場面が解説なしで続き、真っ赤に染まった海面が映され、終わる。

THE COVE」は、単純で分かりやすい映画である。それは異なる文化のあいだの対立という複雑で難しい問題を、「不正義」を阻止するために行動する勇気ある人びとのドラマに仕立てたことが、理由の一つである。もう一つは、捕鯨問題に関するさまざまな要素を、「捕鯨反対」の主張に沿って強引に整理した、その迷いの無さであろうか。

 「捕鯨反対」に反対の人たち、つまり太地町の漁師や住民、日本政府、あるいはもっと広範な、「捕鯨反対」に違和感を持つ人びとは、どのように描かれているのか。
 この映画の中で、太地町の漁師や住民の思いや主張が取り上げられた場面は、ほとんどない。また町長を除き、漁師も住民も顔にモザイクが掛けられている。それは彼らのプライバシーの権利に配慮したというよりも、彼らが当事者であるにもかかわらず無視された、ということを意味している。
 IWC総会に出席した日本政府代表が、商業捕鯨が規制されてから時間が経ち、クジラの頭数は十分回復した、と発言する場面がある。そしていくつもの国が賛同する意見を表明する。
 しかしカメラはそのあと会場を離れ、IWCの元委員という男が、これらの国は金のために身を売ったのだ、と語る姿を映し出す。賛成意見を述べた国には日本から多額の援助が行われ、水産保冷施設などが造られた。だがそうした施設はもう今は使われていない――。(ひと気のない施設の前庭で、一羽のニワトリが草をついばんでいる光景が映される。)
 また、別のIWC元委員は、日本が捕鯨を続けることに固執するのは、経済的理由でも政治的理由でもない。西洋から支持されるのはもう沢山だ、という見当違いの国家のプライドから来ている、といったことを、カメラの前で喋る。
 つまり日本政府の主張を取り上げても、それは「反捕鯨派」の主張を引き出し、引き立てる役回りとして利用するためなのだ。

「クジラを食べることは日本の文化だ」という主張には、リック・オバリーが、「それは嘘だ。日本人の大半が知らないのに、それを文化と呼べるだろうか」と反論する場面が入れられる。「日本人の大半が知らないのに」というのはヘンだな?と思って見ていると、東京の街角でリックが通行人に、「2万3千頭のイルカが殺されていることを知っているか」と訊き、「知らない」という回答を得る場面が続き、それが「日本文化ではない」ことの「証明」であるらしい。
 「THE COVE」の監督が、異なる文化の対立と共存という複雑で今日的な問題に、まるで関心を持っていないことは確かである。

太地町の漁師や住民にとって、事態がいかに理不尽なものであるか、想像するに余りある。
 平穏に暮らしていた町に、ある日外国人が入ってきて、「イルカの殺戮をやめろ」、「イルカの捕獲は恥ずべき行為だ」と叫ぶのだ。そして漁師や住民にカメラを向け、一方的な主張を世界に向けてバラ撒き、住民の側はそれを止めさせることができない。納得できない一方的な主張に晒される屈辱の体験は、暴力によって不合理を強制される体験と、そう遠いものではないだろう。
 一方的な主張に晒された太地町の漁師たちは、高慢な外国人に向かって、「職業差別のヘイトスピーチをやめろ」と、言い返す権利を持つことになる。君たちは自分の国で、「牛や豚の殺戮を止めろ」、「牛や豚の殺戮は恥ずべき行為だ」と叫ぶことができるのか、と反論する権利を持つことになる、と筆者は映画を観ながら思った。
 イルカは知能の高い生き物で、牛や豚とは違うと高慢な外国人が言うなら、「君たちは『優生思想』のもとに何が行われたか、歴史を学習するべきだ」と、漁師たちは反論する権利を持つ。彼らはその時どう答えるのだろうか。

 しかし、映画を観ながら筆者は、まいったな、という感じも懐いた。それは、フリー・ダイビングの女性が海中で泳いでいると、イルカが寄ってきて、一緒に泳いだ時の体験を語った場面である。「イルカは愛情と接触を求めて、自分に近づいてきた。かれらは一緒にいたかったのだ。イルカと自分は本当に通じ合っていると感じた」と彼女は語る。野生のイルカが何頭も青い海を自由に泳ぎまわり、フリー・ダイビングの女性と戯れている映像に、その声がかぶさる。
 イルカと人間が水中で戯れている美しい映像は、言葉を超えていた。いかに論理的に、クジラを食べることと牛や豚や羊を食べることの違いがないことを論証したとしても、一片の美しい映像にはそれを容易に無化してしまう力がある。
 映画の最後に、女性が同僚の男に肩を抱かれ、岸辺に立って、イルカの「殺戮」の行われている入り江の方角を眺めている場面がある。血を流した1頭のイルカが「殺戮」から逃れようと、網を飛び越えて逃げてくる。しかしやがて力尽きて沈み、姿が見えなくなる。彼女はその光景を、目に涙を浮かべて眺めている。
 この間、映像に言葉はない。無言の映像の持つ雄弁を、監督は十分に活用している。

 クジラをめぐる複雑で深刻な対立を、どう捉え、どうするべきなのか、「THE COVE」に批判の目を向ける映画をもう1本観たので、それを紹介しながら考えを整理したいと思う。

(つづく)

 

Behind“The COVE”――捕鯨問題の謎に迫る――」という映画を、やはりTSUTAYAからDVDを借りてきて観た。監督は八木景子。八木は、国際司法裁判所が2014年に、日本の「調査捕鯨」は捕鯨条約に違反する、という判決を出したのをきっかけに捕鯨問題を調べ始め、この映画を撮ることになったという。
 映画は、太地町にやってきた反捕鯨の活動家たちや太地町の住民の姿を映しながら、人びとへのインタビューを繋ぎあわせたものである。「THE COVE」に出てきたリック・オバリーやシーシェパードも登場するが、「THE COVE」で無視されたり、取り上げられなかった人びとの発言を、多く収めているのが特徴と言える。
 IWC(国際捕鯨委員会)で捕鯨国の立場を主張する日本政府代表(森下丈二)や元代表たち、南氷洋でクジラを追っていた元捕鯨士、太地町くじらの博物館元館長、オスロ大学の生態学教授、アメリカで「Whale Wars」という超人気番組を撮っていたカメラマンで、現在和歌山大学の特任教授をしている男、太地町の漁師や住民たち、等々。インタビューが起伏なく淡々と続く画面は、映画としての魅力に乏しいが、証言を聴いて教えられるところは少なくなかった。IWC(国際捕鯨委員会)はもともと捕鯨を永続的に続けるための組織なんですよ、と語る元日本政府代表の言葉は、「捕鯨問題」の歴史について自分が何も知らないことを筆者に教えた。「おクジラさま」も「THE COVE」も、クジラをめぐる法的枠組みの問題については、ほとんど触れていない。

アメリカでもヨーロッパでも、20世紀初めまで、盛んにクジラを捕獲していた。クジラを捕獲する目的は主としてその油にあり(油は機械類の潤滑油として貴重だった)、油を採ったあとの肉や皮は廃棄され、食用にはあまり利用されていなかったらしい。佐々木芽生が映画と同じ題名の、『おクジラさま』(2017年)という本を書いているが、それによるとクジラの捕獲量は重さや頭数ではなく、クジラから採れる油の量で計算されたという。単位は石油と同様「バレル」が使われ、「クジラは生き物というより、石油や石炭と同じ産業資源という感覚だった」と、佐々木は言う。
 そうした捕鯨大国アメリカが、どのように反省したのか詳らかではないが、1946年に国際捕鯨取締条約がアメリカ主導で締結された。1948年にその執行機関として設立されたのが国際捕鯨委員会(IWC)であり、少なくなったクジラ資源を管理し、末長く利用しながら捕鯨産業の発展を図ることが組織の目的だった。
 1951年にIWCに日本が加盟する。

 欧米では1970年前後から環境保護運動が活発になり、環境保護のシンボルにクジラが位置づけられると、捕鯨反対の考え方が急速に世界に広がった。
 1970年に生物学者ロジャー・ペインがザトウクジラの声の録音に成功し、「ザトウクジラの歌」というレコードにしたところ、異例の大ヒットとなる。
 1972年にストックホルムで開かれた「国連人間環境会議」で、商業捕鯨の停止(モラトリアム)が議題に上がり、IWCで各国政府がモラトリアムに合意するよう勧告することが決まった。
 同年、アメリカでは、クジラをはじめ一切の海洋哺乳類の捕獲と利用を禁ずる「海洋哺乳類保護法」が成立。
 1982年、IWCで、シロナガスクジラ、ザトウクジラなど、大型クジラ13種類を商業目的で捕獲することを禁じる「商業捕鯨停止(モラトリアム)」を決める。決定は、8年後に資源の状況を評価して、クジラの捕獲枠を決めようというものだったが、捕鯨再開の見通しは立っていない。

 

IWCの元アメリカ政府代表だったウイリアム・アーロンという男は、佐々木芽生に次のように語ったという。
 《アメリカでは動物保護団体が世論を背景に巨大化し、政府に大きな影響力を持つようになってしまった。今、クジラなど海洋生物を利用するなんて、口にすることさえできません。政治家たちは、その一言で何百万人という支持者を失うのです。クジラが環境保護のシンボルとなったことで、捕鯨に反対するだけで、環境のことを考えている人物という評価が得られます。クジラの保護を訴えることは、今や単なる金儲けや票集めの手段となってしまったのです。》(『おクジラさま』2017年)
 70年代の初め、ひとにぎりの若者たちの活動として始まった「グリーンピースGreen Peace」は、今ではアムステルダムに国際本部を構え、世界55カ所以上の国と地域に事務所があり、3000万人以上の会員を持ち、2015年の寄付総額は423億円という巨大組織となった。
 「Behind“The COVE”」のなかで、シーシェパードの代表・ポール・ワトソンが、「捕鯨反対」は金になるから幾つもの団体が声を上げるが、メキシコでウミガメが殺されるのを阻止しに行っても、金にならないと皆が知っている、とカメラに向かって言う場面があった。この率直すぎる発言に驚くのは、「環境保護団体」という言葉にピュアなイメージを勝手に投影している、ナイーブな人間だけなのだろう。

IWCの加盟国は現在88か国で、そのうち捕鯨支持が日本など39か国、反捕鯨がアメリカなど49か国に二分されている。単なる決議は単純多数決だが、法的拘束力のある議決は4分の3の賛成が必要と決められているため、IWCは何も決められない状態が続いている。
 捕鯨支持国は、資源豊富な種類のクジラについて、持続的に、国際的規制の下に利用したいと求めている。それに対し反捕鯨国は、クジラは特別な動物なので、いかなる場合でも保護すべきであり、捕鯨に反対だと主張する。
 捕鯨支持国は、反捕鯨国が自国の水域内や自国民に対し、その主張どおりにすることを否定しているわけではなく、ただ捕鯨国が資源豊富な種類のクジラについて利用することを、認めて欲しいと求めている。それに対して反捕鯨国は、捕鯨国の主張は受け入れず、自分たちの主張をすべての国が受け入れることを、強く一方的に求めている。そこには相互の考え方を尊重し、妥協を受け容れるという態度は見られない。
〔以上は、2016年にIWC議長に選ばれた森下丈二への毎日新聞のインタビュー記事(2016/11/24)と、10年前に水産庁参事官だった森下が書いた文章「どうして日本はここまで捕鯨問題にこだわるのか?」(2007/12/20)に拠る。〕
 
 2010年、反捕鯨の急先鋒であるオーストラリアとニュージーランドが国際司法裁判所に、日本の「調査捕鯨」は科学的研究が目的とは認められないと、即時停止を求めて提訴した。2014年に判決が出され、日本の「調査捕鯨」は大枠としては条約8条1項で認められた科学的調査と言えるが、調査計画や実施方法は妥当でないと指摘し、即時停止を命じた。日本は新しい調査計画を委員会に提出し、調査捕鯨船が翌年また南氷洋に向けて出港した。
 2015年、WAZA(世界動物園水族館協会)がJAZA(日本動物園水族館協会)に、太地町からイルカを入手しないように通告した。太地の追い込み漁は残酷であり、残酷で手段を択ばない方法で動物を捕獲することを禁じるWAZAの倫理規定に違反する、というのがその理由だった。JAZAはWAZAに対し、追い込み漁は残酷な手法ではないと主張し、どの部分が残酷なのかと問い合わせたが回答はなかった。
 JAZAの会員である152の動物園と水族館は投票を行い、WAZAに残留するために、追い込み漁で捕獲されたイルカを入手しないことを決めた。

 反捕鯨勢力は、自分たちの信念を通そうと、あの手この手を使って仕掛けてくる。その攻撃の標的となり、悪意と非難を集中的に浴びているのが日本の僻地の小さな町、太地町なのである。

(つづく)

 

反捕鯨運動が大きく展開するきっかけとなった1972年の「国連人間環境会議」だが、なぜここで商業捕鯨の停止(モラトリアム)が議題に上がったのか。「Behind“The COVE”」は、アメリカが日本をスケープゴートに仕立てたのだと、主張している。
 当時アメリカは、ベトナム戦争での枯葉剤の投下など、環境破壊や生態系破壊を行っていると非難されており、大統領再選を目指すニクソンは非難をかわす必要があった。そこでベトナム戦争から世界の目をそらすために、キッシンジャーは「国連人間環境会議」の事務局長と謀り、事務局長は議題を事前に参加各国に諮るという手続きを破り、職権で「クジラ」を議題としたのだという。そうして商業捕鯨の10年間の停止という勧告が、採択された。―――
 この話を筆者は別の場所でも聞いたことがあるから、結構知られた本当の話なのかもしれない。しかし半世紀近い過去のエピソードが示すものは、ひとつのきっかけに過ぎない。当時の関係者の思惑が何であれ、大衆の感情に点火し燃え広がった「クジラ愛」は、今では統御不能な巨大なモンスターになってしまっている。
 「アメリカ人は宗教のようにクジラを崇拝している」、「日本の捕鯨への反感は、日本人が想像もつかないほど広く根深く世界に浸透している」、と佐々木芽生は『おクジラさま』で書いているが、クジラは「特別な生き物」と思い込んだ人びとの感情を解きほぐすことは、不可能に近いだろう。それでもなお日本が捕鯨国としての主張をしていくためには、優れた戦略が必要である。

国際会議の議論で有効な方法は、自国の利益を国際的な共同の利益として提示することだ、というようなことを高坂正堯がどこかで書いていた。誰もが認めるような共通の土俵を提案しながら、それに沿って自分の主張を展開すること、と言い換えても良いだろう。これは議論を生産的なものにする、もっとも有効な方法でもある。長くIWCに関わってきた森下丈二によれば、捕鯨支持国は捕鯨問題を「生物資源の持続的利用」という原則に立って論じ、主張しているという。クジラを資源として保護しつつ持続的に利用するという考えは、IWCの本来の設立目的であり、クジラ問題を議論する共通の土俵としておそらく唯一のものである。日本がなんらかの目先の利益に釣られて、この戦略的ポジションを手放すことがあれば、大きな禍根を残すことになるだろう。

 もうひとつ、捕鯨問題の戦略で考えなければならないのは、圧倒的な情報格差の問題である。佐々木芽生にジェイ・アラバスターは、次のような話をしたという。
 捕鯨問題を報道する記者は、連日締め切りに追われている。公平な取材をしなくてはと考え、太地町に連絡を取ってもロクな情報を得られない。一方、シーシェパードの側のウェブサイトは英語で発信され、情報満載。コンタクトを取れば、写真もビデオも自由にお使いくださいと、プレスキットを渡される。
 ただでさえ海外メディアから支持されていない捕鯨問題で、情報内容と対応スピードで圧倒的な差があるのだから、国際世論が一方的な主張で盛り上がるのも、不思議ではない。「常に素早い対応が求められるのに、日本にはその認識が足りない。太地のイルカ問題のコアにあるのは、それではないか」とジェイは言った。
 
 「THE COVE」がアカデミー賞を受賞した翌日、太地町の町長は、「映画は科学的根拠にもとづかない虚偽の事項を事実であるかのように表現しており遺憾」という声明を発表した。この声明は「THE COVE」のアカデミー賞受賞のニュースとともに、英訳されて欧米のメディアで一斉に配信された。しかし日本からの反論らしきものでアメリカまで届いたのは、町長のコメントだけであり、日本政府からも日本の知識人からも、抗議の声は上がらなかった。
 太地町は非力ながら、懸命に頑張っているのだ。日本が国際社会に向けて、主張すべきことを精力的に主張していかなければ、問題はますます「捕鯨」にとって不利な方向に向かうだろう。筆者に特別の情報戦略のアイデアがあるわけではないが、「生物資源の持続的利用」でまとまる捕鯨支持の39か国がさらにまとまりを強め、データを蓄え、情報と主張を共同で強力に発信する仕組みを整備するのも、一案ではなかろうかと思う。

日本の捕鯨については、世界の反捕鯨勢力から反発があるだけでなく、国内にも異論があることは、映画「おクジラさま」で触れられていた。だが国内の異論は、正面から「反捕鯨」の正当性を主張するというよりも、「捕鯨擁護」の主張の足元をすくうような発言に終始するような印象がある。捕鯨を続けると世界から孤立するとか、捕鯨が日本のGNPのどれほどの部分を占めるのかとか、要するに「反捕鯨」が世界の世論の大勢ならば、それに異を立てて叩かれるのは損だから、やめた方がよい、といった情けない話が、ひそひそと語られるのだ。
 そうかと思うと、「反捕鯨」のニュースに反発する人びとの感情を、「ナショナリズム」に結び付けて批判する発言も、ときどき耳にする。森達也というドキュメンタリー映画監督?は、映画「おクジラさま」のパンフレットに、次のような文章を寄せている。
 《(前略)なぜ日本人の多くは捕鯨に賛成するのかと彼(ジェイ)に質問されて、女性ジャーナリストは「外国人にクジラは可愛いから殺すなって言われるから(ムキになって)自分は食べないけど、捕鯨に賛成するのよ」と答える。ある意味でこの問題の本質だ。/日本におけるクジラ・イルカ漁の問題は、尖閣や拉致問題と同様にナショナリズムの問題になっている。だからこそ政治は硬直する。収支が合わないと民間企業がとっくに手を引いた南氷洋捕鯨に固執する。そしてこのとき、クジラやイルカの肉が本当に必要なのかとか消費されているのかとか文化なのかとかの議論は意味を持たない。(後略)》。

 クジラやイルカを特別扱いするキミたちの趣味や信仰を、押し付けないでほしいという声と、日中間の領土争いの問題と、拉致の非道を非難する声を、森は一括して「ナショナリズム」に結びつけ、そうすることで何かしら批評したかのような顔をする。なぜ「ナショナリズム」を、森は忌避するのか。
 彼は、「ナショナリズム」は政治を硬直させ、政治による問題解決を難しくするから、というような理由を賢しら顔で述べる。だが奇妙なことに、「クジラやイルカは特別な生き物」だと主張する反捕鯨勢力のいっそう硬直した姿勢については、なにひとつ問題にしようとしない。
 筆者の考えでは、政治が大衆を統御できず、大衆の感情が政治を引き回す時代の一つの象徴が、クジラやイルカなのである。大衆の感情が正義の観念と結びつくとき、政治はその暴走を止めることが極めて困難になる。
 「ナショナリズム」は少なくとも日本の場合、過去の反省に基づく抑制が効いている。現在の日本人は、同胞のノーベル賞受賞のニュースに沸きたち、サッカーのワールドカップで歓声を上げて日本チームを応援するが、その感情が「唯我独尊」や「排外主義」に流れることには、十分自制的である。

しかし正義に憑かれた大衆の、主張や行動を抑制するものはなにもない。このことこそ「この問題の本質」ではないかと、筆者は考える。

捕鯨をめぐる問題については、一神教の文化と八百万の神の文化の対立だという意見がある。そういう側面がないわけではないだろうし、二つの主張の絶望的な隔たりを前に、そう言いたくなる気持ちが分からないわけではないが、既成の大きな対立の枠組みを持ち出して納得しようとするのは、あまり生産的とはいえない。
 また、グローバリズムとローカリズムのあいだの対立、などという意見も聞かれる。たしかに日本の僻地・太地町が世界の「反捕鯨」運動の標的になっているという構図だけを取り上げれば、そのような説明が当てはまるようにも見える。
 しかし言葉の本来の意味にこだわるなら、グローバリズムとは資本の論理による世界の合理化であり、ローカリズムとは人間の暮らしに根ざしたそれへの抵抗であろう。「反捕鯨」運動は、資本の運動とも世界の合理化とも関係ない。それは独善的で非寛容な正義の観念が猛威を振るう現象であり、これからの世界で増殖する危険性が高いと筆者は考えている。
 「おクジラさま」は、日本の僻地の出来事が世界の「いま」に通じる問題であることを考えさせる映画だと、筆者はこのブログの初めに書いたが、そのとき頭にあったのは、この独善的な正義が増殖することへの嫌悪感だった。

(おわり)


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