ペンタゴン・ペーパーズ

              【ブログ掲載:2018年5月18日~5月25日】



▼「ペンタゴン・ペーパーズ」(監督:スチーブン・スピルバーグ)という映画を観た。
 原題は「THE POST」、つまり「THE WASHINGTON POST」の社主・キャサリン・グラハムと同紙の編集長だったベン・ブラッドリーが、「アメリカ国防総省の秘密報告書」の掲載をめぐってニクソン政権の圧力をはねのけ、「報道の自由」を勝ち取った実話の映画化である。邦題の「ペンタゴン・ペーパーズ」は、もちろん「アメリカ国防総省の秘密報告書」を指している。
 「秘密報告書」は、ニューヨーク・タイムスがまずスクープし、19716月にその要約と分析を紙面に連載した。アメリカ政府はただちにニューヨークの連邦地裁に記事掲載の差し止めを請求し、「一時中止の仮処分命令」が出され、連載は3回(6/136/15)で中断された。
 しかしワシントン・ポストは「秘密報告書」を独自に入手し、618日に要約と分析の記事を載せてニューヨーク・タイムスに続いた。政府はこれに対しても圧力を掛け、記事掲載の差し止めをワシントンDCの連邦地裁に請求したが、この請求は認められなかった。

30日に連邦最高裁の判決が出された。「秘密報告書」を新聞に公開することは、「国家の安全に脅威を与え、国益に反する」として掲載禁止を要求する政府と、その内容を公開し、「国民の知る権利」に応えることこそ国益に合致すると主張する新聞社の対決に対し、連邦最高裁は新聞社側に軍配を上げた。公表は公益のためであり、政府の監視は報道の自由に基づく責務であり、新聞掲載の禁止は「違憲の疑い」があるという理由だった。最高裁判事9人によるの評決の結果だった。 

 「秘密報告書」は、アメリカ政府のベトナム介入の過程を分析したもので、1968年にマクナマラ国防長官の命令で作成された。マクナマラはベトナム戦争の戦局に幻滅し、なぜアメリカはこれほど深くベトナムに介入したのか、徹底的に追及することを命じたのである。
  国防総省や国務省、ホワイトハウスから出向した文官と軍人合わせて36人が作業にあたり、分析記述を中心とする3千ページ、公式文書資料を内容とする4千ページからなる報告書が作成された。それはベトナム問題に関し、いつどのような報告がなされ、誰が何を考え、どのようにアメリカ政府の政策を決定してきたかを示す、重要な記録文書なのである。

 

▼アメリカは第二次大戦後の東南アジアにどうかかわるべきなのか、政府内でも意見の一致はなく、議論が続いていた。東南アジアが共産主義に奪われることは、アメリカの安全にとって重大事だという主張が一方にあり、朝鮮戦争の苦い経験などから介入に慎重な考え方を取る人びとが他方にあった。

 インドシナ戦争中、インドシナの旧支配者であるフランスは、アメリカに武器の提供や武力介入を要請したが、アメリカ政府は介入しなかった。ディエンビエンフーは陥落し、19547月にジュネーブで休戦協定がフランスと「ベトミン」のあいだで結ばれた。ベトナムは暫定的に北緯17度の軍事境界線で分割されるが、これは政治的、領土的な境界と解釈してはならず、19567月に国際委員会の監視の下、統一のための選挙を実施することが確認された。
 しかし「南」のゴ・ジンジェム大統領は、選挙を実施することを拒否した。

 アメリカ政府は、「ベトナム戦争」はハノイの侵略によって起こされたものだと説明し、アメリカのベトナム介入を正当化してきた。しかしアメリカの情報機関は、捕虜の尋問や捕獲文書の解読にもとづき、この戦争がゴ・ジンジェムの圧政的で腐敗した政権に対する反乱として始まったことを、報告していた。
 ベトナム戦争の起源について、「秘密報告書」は次のように述べている。北ベトナムは、1954年から58年までは「北」の国内開発に重点を置き、ベトナムの統一はジュネーブ協定に定められた選挙、あるいはゴ・ジンジェム政権の「自然崩壊」によって達成できる、と期待していたらしい。共産側はジュネーブ協定後に組織を「北」に引き揚げ、「南」に残した組織にも政治闘争以外は禁じていた。
 しかしゴ・ジンジェム政権の共産主義者一掃の摘発で苦境に追い込まれた組織の人びとが、「南」政府の悪政に苦しむ民衆に依拠して、5657年ごろ「反ジェム」の反乱を開始するようになった。北ベトナムの指導部は、1959年になってようやく増大する反乱の指導権を握ることを正式決定した。この決定以降、物資を補給するホーチミン・ルートが拓かれ、北に引き揚げていた幹部が再び南に送り込まれ、戦争拡大のテンポが急に速くなったのである。 

アメリカのベトナム戦争介入は、初めは「顧問団」の派遣の形をとっていたものが地上部隊の投入となり、駐留米軍の規模はみるみる拡大した。トンキン湾事件をきっかけに北爆も開始された。(19652月)
  しかし60年代後半、アメリカは戦争を終わらせるどころか、戦争の泥沼で進むことも退くことも困難な状況に陥っていた。681月、「ベトコン」のテト(旧正月)攻勢は、アメリカがベトナムで軍事的に勝利することの困難な現実を、アメリカの政府と世論に突き付けた。ジョンソン大統領は、軍部のさらなる増派の要求を満たすためには、予備役を動員しなければならないことを知り、米軍介入に限界を設け、北爆を部分停止し、自分は再選を求めず引退することを表明しなければならなかった。

 

▼映画に話を戻す。映画は、「報道の自由」を掲げる新聞社の国家権力との戦いがテーマであるが、また女性の社会進出が少なかった時代に、主人公がさまざまな軋轢を乗り越えて経営者として成長していく物語でもある。
 「ワシントン・ポスト」を夫の死後引き継いで社主となったキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は、編集主幹にスカウトしたベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)とともに、ニューヨーク・タイムスとの熾烈な特ダネ競争を闘い、政府の圧力と戦い、新聞社の経営幹部と戦う。
 ブラッドリーが主人公に、「あなたは社主だが、編集に口を出しすぎる」と文句を言う場面があるが、キャサリンとブラッドリーの間は、つねに意気投合しているという関係ではなかった。しかし二人は、「ワシントン・ポスト」を最高の新聞にしたいという思いを共有していた。

ダニエル・エルズバーグという軍事アナリストが、ベトナムに調査に出かけて戦局に疑問を持つ。彼は勤務先の「ランド研究所」から「秘密報告書」をコピーして持ち出し、ニューヨーク・タイムスに密かに手渡す。ワシントン・ポストも同様に「報告書」のコピーを入手したが、それを掲載するべきかどうか、経営陣は意見が割れる。主人公は、親しい友人のマクナマラに会いに行く。すでに国防長官の職を離れていたマクナマラは、こう忠告する。
 「自分はワシントンで10年働いた。ボビー(ロバート・ケネディ)やジョンソンもタフだが、ニクソンは悪質だ。前から新聞社をつぶしたがっている。掲載すれば、汚い手を使って君を破滅させる。大統領の権限を最大限に利用し、新聞社を叩き潰す方法を必ず見つける。君が助かるチャンスはない。」
 しかし主人公は、大切な友人のアドバイスを聞いた上で、掲載する決断をする。

映画のクライマックスは、連邦最高裁の判断をかたずをのんで見守るワシントン・ポストの編集部が、結果を伝えられ、喜びを爆発させる場面である。
 映画は最後にウォーターゲート事件の発生場面を映し出し、終る。

 

(つづく)

▼前回、映画「ペンタゴン・ペーパーズ」はウォーターゲート事件が起こる場面で終る、と書いた。

 ある夜、民主党全国委員会本部の入るウォーターゲートビルに、侵入者がいることに警備員が気づき、警察に通報、5人の侵入者が逮捕される場面である。19726月、つまり「アメリカ国防総省の秘密報告書」の紙面掲載を差し止めようとしたニクソン政権の主張を、連邦最高裁が退けた判決のちょうど1年後のことである。
 それは映画の結末にふさわしい終わり方ではない。より大きな次の事件の発生場面を映し出して終わるのは、連続ドラマの場合だけである。「ペンタゴン・ペーパーズ」は独立した作品であり、スピルバーグ監督はウォーターゲート事件をテーマに、次の作品を撮るつもりでいるわけではない。
 実は、ウォーターゲート事件をテーマにした映画は、既に存在している。事件の真相を追い求めるワシントン・ポストの二人の若い記者の行動を描いた映画、「大統領の陰謀」(監督:アラン・J・パクラ 1976年)がそれである。スピルバーグの描いたウォーターゲート事件発生の場面は、パクラの撮った「大統領の陰謀」の始まりの場面そのままなのである。
 だからウォーターゲート事件発生の場面で終ることで、「秘密報告書」の掲載問題はワシントン・ポストとニクソン政権の闘争の第一幕にすぎず、闘いはニクソンの失脚にいたる第二幕に続くことを、監督は表現しようとしたのだと読むことができるだろう。そしてスピルバーグはこの場面に、40年前のパクラの作品へのオマージュの意味を込めていたにちがいない。

 

▼映画「大統領の陰謀」について、すこし触れておこう。

 主人公はワシントン・ポストの若い記者、ロバート・ウッドワード(ロバート・レッドフォード)とカール・バーンスタイン(ダスティン・ホフマン)の二人である。ウッドワードは、ウォーターゲートビル侵入で捕まった5人が、真新しい連番の100ドル紙幣を持っていたこと、自前の弁護士が付いていることを不審に思い、調べ始める。侵入者が元CIAの人間だと判明し、政権内部の人間とのつながりも浮かんでくる。電話をかけまくり、調べた結果を原稿にまとめるが、編集長のベン・ブラッドリーは「もっと確かな情報をつかめ」と、原稿を没にする。

 ウッドワードは、以前から情報源としていた男と深夜時に駐車場で密かに会い、自分を信用して情報をもっと与えてほしいと頼む。
 「君は何を知っている?」
 「パズルの全体像が見えません」
 「金を追え。……君を正しい方向に導く。そのやり方は変えない……。」
 (後にこの謎の内部通報者は、「ディープスロート」の名前で知られるようになる。)

ウッドワードとバーンスタインは、やがて共和党の選挙資金が侵入犯の口座に振り込まれていたことをつかむ。しかしワシントン・ポスト内の編集会議では、ウォーターゲート事件を追いかけることに疑問の声が出る。情報源がはっきりしないし、ホワイトハウスは否定、ほかの社は無視している。民主党の大統領候補マクガバンは自滅しかかっているというのに、共和党がそんなことをやるだろうか。信じられない。…… 

ウッドワードとバーンスタインは共和党のニクソン再選委員会の名簿を手に入れ、しらみつぶしに訪問を始める。訪問を受けた多くは、戸口で彼らを拒否するが、中には困惑しながらも部屋に通す人間もいる。彼らはやがて、ミッチェル前司法長官が関係していることをつかみ、深夜電話をかける。ミッチェルは、そんなデタラメ記事を載せるのかと怒り、社主のグラハムのおっぱいを絞り上げてやる、覚悟してろよ、と罵った。

 ウッドワードとバーンスタインの取材は、ついに政権のナンバー・大統領首席補佐官のホールドマンの関与の可能性に行きつく。関係者の固い口をこじ開け、なんとか裏を取り、記事を新聞に載せるが、関係者は発言を翻し、政権から強い非難を浴びせられた。新聞社には抗議の電話が殺到した。
 ウッドワードは「ディープスロート」に連絡を取り、自分の書いた記事は間違いなのか、と必死で尋ねた。

 「自分で確かめろ」
 「ゲームはもうごめんです。ヒントではなく、全部を話してください。」

 「ディープスロート」はしばらく沈黙したのち、ホールドマンの仕業であり、金も何もかも彼が仕切った、と言った。盗聴や謀略、さまざまなスパイ行為が行われており、この国の情報機関はみな関与している、君たちに危険が迫っている、とも言った。

 ウッドワードとバーンスタインは、編集長のブラッドリーの家を深夜訪ねた。家の中は盗聴されている恐れがあるからと、ブラッドリーを外に連れ出し、それまでの二人の取材結果を洗いざらい報告した。報告を黙って聞いていたブラッドリーは、「疲れただろう。家に帰るがいい。風呂に入り、15分休んだらまた仕事だ。われわれが守るべきは憲法修正第1条『言論の自由』とこの国の未来だ。今度失敗したら許さんぞ!」と言った。 

 再選されたニクソンが宣誓式で、「……職務を誠実に行い、力を尽くして憲法を守ります……」と宣誓している様子を、編集部のTVが伝える横で、ウッドワードとバーンスタインがタイプを叩いて記事を書いている。

タイプライターが、ミッチェルやホールドマンをはじめ、ニクソン政権の幹部の辞任や逮捕、有罪判決の事実と日付を、次々に打ち出す。最後に、197486日録音テープによりニクソンの隠蔽工作が発覚、89日ニクソン辞任、ジェラルド・フォード第38代大統領に就任、の文字を打ち出して、映画は終わる。

 

▼「ペンタゴン・ペーパーズ」も「大統領の陰謀」も、ともにワシントン・ポストを舞台にした実話の映画である。「ペンタゴン・ペーパーズ」を撮ったS.スピルバーグは、この映画を「現代と共通点の多い作品」と語っている。政治的圧力に抗し、経済的リスクにも怯まず、報道機関の使命に賭けたキャサリン・グラハムとベン・ブラッドリーの姿に、現在のあるべきマスメディアの姿勢を見る、という意味であろう。
 トランプ政権が誕生して以来、トランプによる報道機関への侮蔑的な態度が続いている。事実の真偽や公正な議論よりも、自分の損得や勝ち負けを上位に置く彼の振る舞いに、スピルバーグは苦々しい思いと危機感をつよく懐いているのだろう。
 マスメディアと政権のあいだの摩擦や確執は、半世紀後の極東の島国においても変わりはない。ワシントン・ポストとニクソン政権のあいだの緊張関係を、朝日新聞と安倍晋三のあいだの関係に見立てても、そう間違いではないはずだ。朝日新聞の一連のスクープ、つまり異例の安さで国有地が森友学園に払い下げられていた事実や、財務省で決済文書が決済後に改竄されていた事実を突き止め、明らかにしたことは、報道機関としての責務を果たしたものとして高く評価される。 

 だがマスメディアを取り巻く環境は、半世紀前と大きく変わった面がある。「ネット世論」の存在である。ネットが普及する以前の「世論」は、マスメディアが関わって形成されるものであり、つまりプロによる事実の吟味と価値判断を通して形成されるのが一般だった。
 ところが「ネット世論」は素人が発言の機会を持ち、プロと同等の票を持つ世界である。ネット世界で積極的に声を上げる人間には、マスメディアに不信感を持ち、自分が仲間と共有している情報こそ本当の世界だと信じ込む者も少なくない。ごく少数であっても、偏執的で精力的な者の声は多数の声に聞こえる、という特質が「ネット空間」にはある。
  トランプは「ネット世論」の支持を支えに、築き上げられた言論世界の秩序を無視し、覆そうとする。言論秩序への新しい脅威に対し、どのように闘うべきなのか。アメリカでも日本でも問われているのは、マスメディアである以上に国民自身の能力なのだ。

 

(おわり)


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