シン・ゴジラ

                     【ブログ掲載:2017年6月9日】

 

昨年話題になった映画「シン・ゴジラ」が、DVD化されてTSUTAYAにあったので、借りてきて観た。昨年、公開されると評判を呼んで異例の長期公開となり、多くの論評がなされ、霞が関の官僚のあいだでも話題になったといわれる作品である。筆者も、なかなか面白いと思った。
 この映画をつくるにあたり、総監督で脚本も書いた庵野秀明の関心は、二つあったように見える。
 第一に、ゴジラによる東京の破壊の光景やゴジラと自衛隊の戦闘の特撮シーンを、できるだけリアルに表現することである。特殊撮影の技術について筆者は何も知らず、大した関心もないのだが、監督が綿密な現地調査と精巧な模型製作の上に、実写映画とコンピュータ・グラフィックの技術を組み合わせ、高い完成度の映像を創りあげたことは分かる。
 もうひとつは、緊急事態が訪れた時の日本政府の中枢や官僚機構の動きを取り上げ、その無力さを描き出すことである。カメラが会議につぐ会議を追いかけ、会議に参加している大臣や官僚たちの発言をリアルに描けば描くほど、その凡庸さや滑稽さが画面ににじみ出る。
 東日本大震災の原発事故の際にさらけ出された日本の政治中枢の右往左往や、「学識経験者」の無能さの記憶が、この映画をつくるにあたり、またとない素材となったにちがいない。


東京湾の底を通るアクアラインに亀裂が入り、流入した土砂に車数台が巻き込まれるという事故が発生する。総理大臣官邸で会議が持たれるが、事故の原因が分からない。
 会議の場を総理執務室に移し、「総理レク」が行われるが、新たな海底火山の活動か水蒸気爆発だろうという声が多い。内閣官房副長官(政務担当)の矢口蘭堂は、「巨大不明生物」の可能性もあるのではないかと発言するが、一笑に付される。会議後、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障担当)の赤坂秀樹は矢口に近寄り、「総理レクは初めに結論ありきの場だ。掻き回すのもいいかげんにしろ。お前を推した長官の立場も考えろ。」と忠告する。
 関係閣僚会議が開かれ、海底火山活動の線で結論をまとめようとしていた矢先、TVが東京湾の水上に現れた巨大な尻尾を映し出し、会議は中止となる。
 総理執務室に集められた閣僚や官僚たちが、次々に意見を述べる。
――
目下、庁内に、大学の研究者や学識経験者等からなる有識者会議を設置すべく、候補者リストを作成しております………
――
そんなことよりも、選択肢は、静観するか、巨大不明生物を捕獲するか、それとも駆除するか、湾外に追い出すかだ。
――
いっこくも早く駆除すべきだ。そうだろう、防衛省?………
――………
海自による東京湾内の活動は前例もなく、なんとも………
――
まあまあ、事を荒立てず、穏便に追い出せないのか?
――
各学会や環境保護団体が、貴重な新生物として捕獲してほしいと言ってきています………
 矢口が、速やかに巨大不明生物の情報を収集し、駆除、捕獲、排除と、各方法を検討してください、と発言すると、官僚たちはたがいに顔を見合わせ、「それ、どこの役所に言ったんですか?」と聞いた。

  総理大臣は一刻も早く国民に事態を説明し、安心させるべきだと進言され、TVで「水生生物が陸上に上がることはありえませんので、皆さまご安心を」と語りかけた。しかしそのとき東京都大田区呑川で、係留されているボート類を蹴散らすようにして、「巨大不明生物」が姿を現した。巨大な尻尾と短い手足を持ち、お祭りの山車を飾るハリボテのような顔をした爬虫類の姿だった。「巨大不明生物」はひとしきり街を破壊し、やがて海の中に姿を消した。


矢口蘭堂・内閣官房副長官は、「巨大不明生物緊急災害対策本部」を急遽つくりあげ、集めた若手の職員に向かって、省庁間の縦割り意識を排し、役職位の上下も考えるな、情報を共有しろ、と檄を飛ばす。次席の男が矢口の言葉を補足して、「この『対策本部』は、出世に無縁な霞が関の一匹狼、変わり者、はぐれ者、はみ出し者、オタク、やっかい者、学会の異端児などの集まりだ。さっそく仕事にかかってくれ」と叫んだ。
 「初歩的な疑問だが」と、集められた一人が呟いた。「あの巨大不明生物のエネルギー源は何だろう?」「たしかに基礎代謝だけでもかなりのエネルギーが必要だし………」「まさか、核分裂………?」「いや、それはありえない」―――

 米国が大統領特使を派遣し、非公式会談を申し込んできた。米国特使は上院議員の娘で、カヨコ・アン・パタースンと名乗り、日本人の祖母を持ち、日本語を流暢に喋る若い女性だった。彼女のもたらした情報は、次のようなものである。
 60年前、各国の放射性物質は無秩序に海中に投棄されていたが、奇跡的に太古から生きながらえていた生物が生き残るために、放射線に耐性のある生物に急速に変化した。この生物の存在に気づいた米国は、コードネームをGODZILLAと付け、ひそかに行方を追っていた。
 矢口は、ゴジラは米国にとって研究対象か、それとも駆逐対象か、と聞いた。パタースン特使は鼻で笑い、それは大統領が決めること、と言い、あなたの国は誰が決めるの?と聞き返した。


海中に消える前よりずっと巨大に成長したゴジラが、相模湾に姿を現し、鎌倉に上陸した。自衛隊の対戦車ヘリが銃を撃ち、ミサイルを放ち、全弾命中させるが効果はなかった。戦車隊が多摩川でくい止めようと一斉砲火を浴びせるが、やはり効果はない。
 米国の空軍機が地中貫通型爆弾で攻撃すると、ゴジラの身体は縦に割けたように見えた。しかしゴジラの体内から外に向けて紫色の光線が放射され、光線に照射された空軍機は撃ち落とされ、周囲のビル群は一瞬のうちに焼き尽くされた。総理大臣や官房長官は避難のため官邸からヘリで飛び立ち、立川広域防災基地に向かったが、ゴジラの紫色の光線に照射され、ヘリは炎に包まれた。
 臨時首相となった農水大臣のもとに、「巨大不明生物を対象とする多国籍軍結成」を国連安保理が決議した、という報告が届いた。ペンタゴンはゴジラに対して熱核兵器を使用する検討を進めており、米国は国連の名のもとに、東京で実際にそれを使うことになるだろう。自分は360万人の国民を全国に疎開させ、核兵器の使用を受け入れるしかないのか―――、臨時首相の悩みは深かった。

 矢口の率いる対策本部はゴジラの組成物質の解読に成功し、ついに血液凝固剤を経口投与してゴジラを凍結させる方法を考え出した。問題は、かなりの量となる血液凝固剤を製造・調達する時間を持てるかどうかであり、矢口はさまざまな伝手を使って、多国籍軍の攻撃開始を遅らせるよう働きかけた。
 矢口たちの懸命の努力は実を結び、多国籍軍の攻撃の始まる直前に、自衛隊の血液凝固剤投与の準備は整った。自衛隊は大きな犠牲を出しながらも、ついにゴジラの凍結に成功した。―――


平時の正統組織が緊急時に役立たずの無力をさらけ出し、はみ出し者たちの臨時混成チームが成果を上げる、というドラマ・パターンは、ドラマの好む一類型である。「シン・ゴジラ」の骨格もこのパターンによるが、この映画の斬新なところは、通常のドラマが筋書きに膨らみをもたらすために導入する登場人物の私的エピソードを、すべて切り捨てたところにあるようだ。
 主人公・矢口蘭堂は、国の危機に全力で立ち向かう若手政治家の設定だが、映画のなかではそういう役割を表示する「記号」に過ぎない。副主人公・赤坂秀樹も、政治的判断に優れた頭脳明晰な政治家を表す「記号」であり、同じく副主人公のカヨコ・アン・パタースンも、米国の存在感とゴジラ情報を映画にもたらす「記号」である。
 「記号」に血を通わせ、生きた人物とするために、通常のドラマではそれなりの人物描写を行う。しかしこの映画では、登場人物の人物描写でストーリーを膨らませるようなことはせず、ひたすら筋書きを追い続ける。
 俳優たちは、セリフを猛スピードで喋るように監督から命じられたということだが、映画のスピード感は単に早口のセリフだけが生み出したのではなく、この「人間」をそぎ落とした映画作りによるところが大きいようだ、と思った。
 コンピュータ・ゲーム的な感覚の映画、と言えようか。



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