主戦場
             【ブログ掲載:2019年12月6日~12月20日】

 

▼先日、「主戦場」という映画を観た。ミキ・デザキという日系アメリカ人が撮った慰安婦問題に関するドキュメンタリー映画である。
 ミキ・デザキは30代半ばの男で、2007年に「外国人英語等教育補助員」として来日し、山梨県と沖縄県で中学・高校の教育に5年間たずさわり、同時にYouTuberとして映像作品を数多く制作していた。その後タイで仏教僧になる修行をし、2015年に再来日し、上智大学大学院のグローバル・スタディーズ研究科修士課程を修了した。
  彼は、この映画をつくるのに約3年かかったと語っているから、上智大学の大学院に在籍していた期間は、この作品を制作する期間でもあった。クラウドファンディングで資金を集め、監督、脚本、撮影、編集、ナレーションのすべてを、ミキ・デザキが一人でこなしている。
 この映画は日本では、作品として内容が論じられる前に、「出演者」とのトラブルで有名になった。映画の中に多くの慰安婦問題の研究者や運動家が登場し、カメラの前で日本を糾弾したり、逆に日本を擁護し、糾弾する運動を批判する主張を述べたりしている。このうち糾弾を批判する人びとが、自分は学術研究を目的に取材申し込みがあったから協力したのに、商業映画として上映され、「歴史修正主義者」などのレッテルを貼られたとして、上映差し止めと損害賠償請求の訴訟を起こしたのである。
 上映を予定していた今年の「KAWASAKIしんゆり映画祭」では、上映差し止めを求める訴訟が起きているところから、「会場の安全面を危惧して」上映を中止した。しかし上映を求める多くの声が寄せられ、再度方針を転換し、映画祭の最終日に特別上映された。

 

▼映画は、ミキ・デザキ監督の、「慰安婦問題」とは何か、何が問題とされ、どこで主張が対立しているのか知りたい、という問題意識によって構成されている。「慰安婦問題」に関して日本を糾弾する側、逆に糾弾する運動を批判する側双方の主張を、カメラの前で語らせ、論点ごとに整理して見せるのだ。
 日本を糾弾する側の陳述者は、吉見義明(歴史学者)、戸塚悦朗(弁護士)、渡辺美奈(「女たちの戦争と平和資料館」)、林博史(歴史学者)、中野晃一(政治学者)や、韓国の活動家たち、糾弾する運動を批判する側の陳述者は、テキサス親父ことトニー・マラーノ、そのマネージャー・藤木俊一、杉田水脈(衆院議員)、藤岡信勝(教育学者)、ケント・ギルバート(カリフォルニア州弁護士)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、山本優美子(「なでしこアクション」)などである。
 「慰安婦20万人」、「強制連行」、「性奴隷」など「慰安婦問題」の大きな対立点について、両派の陳述者が主張を述べ、デザキ監督は両者に距離を置く第三者としてそれらの映像を編集し、対立の状況を浮き上がらせていく。

 筆者にとって新しい知見は一つもなかったが、映画自体は興味深く観た。監督は自分の意見は抑え、一応公平に両派の言い分を並べているが、それでも糾弾する側にシンパシーを感じていることは見てとれる。それは彼が、自分の素朴な疑問を解こうと関係者を訪ねて回り、対立する双方の主張を聞き、調べた結果として提示されているので、静かな説得力がある。
 藤岡信勝やケント・ギルバートなど糾弾する運動を批判する側の陳述者が、自分たちの意図とは逆の効果に慌て、上映差し止めに走った判断は正しいのである。今後この映画は、公平な第三者から見た「慰安婦問題」として、広く参照されることになるだろう。
 予断を持たずに問題の探求に向かったはずの映画が、なぜ日本を糾弾する側に有利な、運動を批判する側に不利な印象を与えるものになったのだろうか。
 「糾弾派の主張が正しいからだ」というのが、一つの解答であろう。だが筆者はそうは考えない。

 

▼なぜ糾弾派の主張の方に説得力を感じる映画となったのか。
 第一に、登場人物たちの語り方であり、映り方である。

 サンフランシスコ市での慰安婦像設置をめぐる公聴会?の映像が取り上げられ、像の設置を推進する韓国系団体と、反対する在米日系団体が激しく対立したときの様子が映し出された。韓国系団体はチマ・チョゴリを着た元慰安婦を登場させ、苦難の体験を語らせた。在米日系団体の発言者は、この元慰安婦の発言が変遷してきたことを資料をもって証明しようと、活字になった彼女の過去の発言をプロジェクターで示し、証言は信用できないと批判した。
 「自分の体験」をとつとつと語る元慰安婦のお婆さんと、いささか過剰な抑揚と身振りで老女の証言を否定する設置反対派の男女では、勝負ははじめから明らかであろう。市議会は慰安婦像設置に異議を唱える日系団体の主張を認めず、映像を観る観客も、その結論に納得したことだろう。
 アメリカで最初に慰安婦の少女像を設置したグレンデール市の市長がカメラの前で、戦争の悲劇を二度と起こさぬための平和の像として、設置することは意義があるという趣旨のことを述べていたが、その穏やかな語り口とともに観客に受け入れやすい発言だったように思う。
 韓国の日本大使館前に設置された少女像を囲んで開かれる、集会の様子も映し出されていた。女子学生、女高生といった若い女性の参加が多く、彼女たちが「慰安婦問題」について思いを語る。
  他方、日本の「慰安婦問題」批判派のデモとして映し出されるのは、「ヘイト」団体や迷彩色の戦闘服を着た屈強な男たちの団体で、大きな日の丸や旭日旗を掲げ、拡声器の大音量が威圧的に響く。
  筆者は、デザキ監督がある効果をねらって意図的に画面を選択したとは考えない。両派の集会やデモの実態が、映画の映し出したものからそう遠くないであろうことは想像がつく。若い女性たちの主張と迷彩色の戦闘服の男たちの主張が対立する場合、その内容以前に観客のシンパシーが若い女性たちの方に向かうことは、考えなくともわかることだ。 

第二に、「女性の人権を守る」という錦の御旗の威力である。

韓国の「挺対協」は運動を有利に進めるために、日本を外から圧迫することにこれまで多くの力を注いできた。しかし初めのうちは国連に問題を持って行っても、過去の問題である「慰安婦」への関心は低かった。そこで運動家たちは2004年に「ストップ女性への暴力」というキャンペーンをスタートさせ、紛争下の女性に対する暴力の中に「慰安婦」問題を入れることに成功する。アメリカ下院での決議(2007年)や、それに続くオランダ、カナダ、EUの各議会で採択された決議により、「20万人の少女が強制的に連行され、性奴隷にされた」という理解が、世界に広まった。
  デザキ監督の映画は、その世界に広まった「理解」に安易に乗るのではなく、「本当だろうか」というところからスタートしているのだが、「女性の人権」の旗を掲げる側が映画の中でも戦いを有利に進められることは争えない。「慰安婦問題」を批判する側は、慰安婦制度や慰安婦が存在したことを認めつつ、「女性の人権」も尊重するという、困難な位置からの戦いを強いられるからである。
 すっきりとしたわかりやすは、映像表現ではことのほか大切である。

 

(つづく)

▼この映画が糾弾派に有利に作用する第三の事情は、糾弾批判派が同時に南京事件否定派であり、靖国参拝派であり、つまりいわゆる「歴史修正主義者」であることを、デザキ監督が映画の中で言及しているからである。
 このことは、藤岡信勝や櫻井よしこの発言に接してきた筆者を含む一般の日本人には、すこしも目新しい情報ではないだろう。だが「慰安婦問題」を、遠くの日本と韓国の話として聞いていた欧米の人々には、ひとつながりの「歴史修正主義」の問題として示されることで、問題はにわかに“わかりやすく”なる。戦前・戦中の日本のありかたを反省せず、“誇りある日本”をとり戻そうという運動を進める「歴史修正主義者」たちが、「慰安婦問題」でも暗躍していると理解することで、問題の対立状況が鮮明に見えてきたと彼らは感じるのだ。
 デザキ監督自身も、そういう体験をしたのだろう。彼はこの点では両派から距離を置くのではなく、はっきりと修正主義批判の姿勢で映像をまとめている。靖国参拝をアーリントン墓地の参拝を例にして擁護する主張に対し、二つの点で違うと主張する学者(中野晃一)を登場させる。第一に、靖国神社が神道の宗教施設であるのに対し、アーリントン墓地はどの宗派にも属さない、戦没者を悼むための施設である。第二に靖国神社はA級戦犯を祭っているのだから、そこへの参拝はアーリントン墓地の参拝とは意味が違う……。

 また日本の「歴史修正主義」を推し進め、政界にも大きな影響力を持つ団体として「日本会議」を紹介し、その動きの中心にいる?人物として加瀬英明を登場させる。加瀬はインタビューアーから慰安婦問題を告発する吉見義明の著書について質問されると、誰それ?と怪訝な顔をし、自分は他人の書いたものは読まないとはぐらかし、朝鮮人や中国人は経済競争で日本にかなわないので、慰安婦問題などを取り上げ騒ぐのだと言ったような、聞く者を唖然とさせる話をカメラの前で真顔でする。
 映画に登場する慰安婦問題の糾弾派も糾弾批判派も、その発言は一応「事実」をめぐる主張なのだが、加瀬英明のそれはどこから見ても、モーロクした年寄りのたわごと以上のものではない。それは雄弁に、日本の「歴史修正主義者」と「日本会議」の知的・道徳的水準をもの語り、彼らが影響力を持つと言われる日本の政界の知的・道徳的水準をもの語っている……。 

 しかし筆者はあえて言うが、映画に登場する「糾弾批判派」が、同時に南京事件否定派であり、靖国参拝派であり、「歴史修正主義者」であったとしても、だから慰安婦問題で彼らと対立する「糾弾派」の主張が正しいということにはならない。デザキ監督は「糾弾派」と「糾弾批判派」の主張を画面でぶつけることで、対立点を通して「真実」が見えてくると考えたようだが、その理解には誤りがあると筆者は考える。

 

▼この映画が触れていないことがある。「女性のためのアジア平和国民基金」の事業のことであり、日本政府の慰安婦問題への対応についてである。
 日本政府は「河野談話」で「お詫びと反省」を表明したあとの対応として、韓国の元慰安婦に対し国民的な償いを行うための資金を民間から募金することや、元慰安婦の医療や福祉などを政府の資金で支援すること、事業を行う際には国としての率直な反省とお詫びの気持ちを表明することなどを決め、1995年に官房長官が発表した。韓国の外務部はこれを受け、どのような対応をするかは日本が自主的に決めることだとした上で、「これまでの当事者の要求がある程度反映された誠意ある措置であると評価している」との声明を出した。

 「アジア女性基金」は財団法人として95年に発足し、国民の募金は1年足らずの間に4億円を超えた。「基金」はこの募金を元に「償い金」を元慰安婦に贈り、また政府資金で元慰安婦の医療や福祉を支援する事業を、97年から開始した。「償い金」には、次のような「首相の手紙」が付けられた。

 《………いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを申し上げます。
 我々は、過去の重みからも未来の責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、お詫びと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳にかかわる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。………》

 

▼しかし「慰安婦問題」は解決に向かうどころか、逆にいっそう深い泥沼にはまり込むことになる。その原因は韓国の「支援団体」やマスメディアが、「アジア女性基金」の事業を認めず妨害したからである。

 96年8月に「アジア女性基金」の委員が韓国に赴き、元慰安婦十数名に会って「基金」の事業について説明した。12月に、説明を聞いたうちの7名の元慰安婦が「基金」の努力を認め、事業を受け入れると表明した。「アジア女性基金」は翌年1月、代表団がソウルで元慰安婦7名に首相の「お詫びの手紙」を手渡すとともに、韓国のマスメディアに「基金」の事業について説明した。
 韓国のマスメディアは、日本政府が「法的責任」を認めないことや、「償い金」が政府の資金ではなく募金で集められた金であることなどを挙げて、「基金」の事業を批判した。「挺対協」は元慰安婦7名の実名を表に出し、本人に電話をかけ、「基金」の金を受けとることは、自ら『売春婦』であったことを認める行為であると非難した。そして、その後に新たに「基金」事業の受け入れを表明した元慰安婦に対しては、関係者が家まで押しかけ、「日本の汚いカネ」を受け取らないよう迫った。
 韓国のマスメディアの批判や「挺対協」の妨害だけなら、あるいは「アジア女性基金」の事業は進んだかもしれない。だが肝心の韓国政府が支援団体などの反発に押され、態度を豹変させたことが、問題の解決を困難にした。韓国政府は「誠意ある措置」と評価していた口をきれいに拭い、「被害者達が納得できる措置をとってほしい」と言うようになった。―――

 

▼ここは日韓政府の過去の交渉経過を検証する場ではなく、映画「主戦場」について語る場である。しかし上に述べた「慰安婦問題」の過去の経緯を知ることで、見える景色はガラリと変わってくるはずだ。
  デザキ監督はおそらくこうした過去の経緯をよく知らないまま、活動的で目立つ一部の「糾弾批判派」たちのみを画面に登場させ、糾弾派の学者や運動家の主張と対決させた。しかしそこは、「慰安婦問題」の「主戦場」ではないのだ。「主戦場」は元慰安婦に宛てた「首相の手紙」で表明された日本政府の姿勢と、それをあくまでも認めまいとする韓国のマスメディアや「挺対協」、それを支援する日本の「糾弾派」の学者や運動家たちのあいだにあるのだと、筆者は考える。

 日本政府の姿勢は、「アジア女性基金」の20年後に行われた慰安婦問題をめぐる「日韓合意」(201512月)においても、基本的に変わりはない。「日韓合意」の第一項は、次のように書かれている。
 《慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。
 安倍首相は、日本国の首相として改めて、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。》

 「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している」と、日本政府が公式に幾度も表明している点に、注目すべきである。デザキ監督が採り上げた「糾弾批判派」たちの発言は、日本社会の一部の不満分子のそれでしかない。 

 映画「主戦場」からは少し離れることになるかもしれないが、筆者の考える「主戦場」に赴き、重要だと思われる点を一、二、検討してみようと思う。

 

(つづく)

▼前回の記述の訂正をしたい。映画「主戦場」の中で加瀬英明が、カメラに向かい、「朝鮮人や中国人は経済競争で日本にかなわないので、慰安婦問題などを取り上げ騒ぐのだ」と語ったと書いた部分である。
 メモを見るとこれは自民党議員・杉田水脈の発言であり、もう少し正確に書くと、「中国、韓国は科学技術で日本に勝てないので、日本を貶めることで、経済競争以外の場面で有利な位置を占めようとしている」というような発言だったと思う。
 加瀬の発言は、次のような趣旨のものだった。「アメリカは人種差別の国である。キング牧師などの運動は、日本の影響で起こった。その腹いせに彼らは慰安婦運動を支持するのだ」。
 映画から帰ってすぐに記憶をメモしたのだが、そのメモが見つからないままぼんやりした記憶に頼ってブログを書いたのが、間違いの原因だった。どちらの発言も、黙って肩をすくめて見せるしかないしろものだという印象の下で、発言者が入れ替わってしまったのだろう。
 加瀬英明の舌足らずな発言は聴く者を唖然とさせるが、本人の思考回路では、大東亜戦争はアジア解放、植民地解放の戦いであり、アメリカの公民権運動も人種差別撤廃という同じ流れの中に位置するものだ、といった手前勝手な理屈が組み立てられていたのかもしれない。
 それにしてもこうした発言が、彼(彼女)らの主張全体の信頼性を著しく損なっていることに、彼(彼女)らは気づいていないのだろうか。

 

▼さて、本来の主戦場に戻る。「慰安婦」の問題はつまるところ、慰安所の実態、慰安婦の生活の実態の問題なのだろうと思う。

「慰安婦問題」が韓国で告発された90年代初め、告発の重点は「20万人もの少女が日本の軍や政府の手で強制的に連行され、慰安婦にされた」というところにあった。しかしこの主張は、戦時総動員体制のもとで戦争末期に組織され、各地の工場に動員された「女子勤労挺身隊」と軍の慰安所で働いた「慰安婦」を、意図的に?混同した誤りであることが指摘された。
 また、慰安婦を集めたのは斡旋業者(いわゆる「女衒」)であり、彼らが娘に仕事を世話するといって親に金を渡し、娘を慰安所の業者に売り飛ばすといったケースは多く見られた。しかし日本の軍や政府が「強制的に連行」したという主張が誤りであることは、研究者の間でほぼ認められている。
  もっとも、首に縄付けて引っぱって行くだけが、「強制連行」なのではない、「良い仕事がある」と騙して連れて行くのも「広義」の「強制連行」だ、といった聞き苦しい議論は、今でもあるらしい。だが、「本人の意思に反して慰安婦にされた」女性たちが多数いた、と正確に表現すれば、否定する者はいないのではないか。 

慰安婦の「強制連行」の議論になると、すぐにインドネシアなど東南アジアの占領地での事例を持ち出し、このとおり「強制連行があったことは証明されている」と主張する者がいる。インドネシアでは、兵士たちがオランダ人女性を監禁したり、あるいは収容所で食事を与えず、慰安婦となるよう仕向けたりした事例が報告されているからだ。
 しかしこの問題は、日本が統治する朝鮮・台湾と軍事的な占領地とを、分けて考える必要がある。そして日本軍の制度を問題にするときに、兵士たちの「非行」や「逸脱」の事例を持ち出して、議論を混乱させることは避けるべきである。なぜなら日中戦争(支那事変)が拡大し、日本兵の強姦事件が多発したことが、軍が「慰安所」を開設するそもそもの動機だったからだ。
  慰安婦「20万人」説についても、映画の中では登場人物たちが兵士の人数と見比べながら、真面目な顔で「適正比率」や「推計値」を検討していたが、それが韓国の新聞記事の誤りから広がった根拠のないものであることが、明らかになっている。 

 要するに「慰安婦問題」の初めの告発理由は、全面的に訂正しなければならない状況になったのだが、それに代わるようにして糾弾の理由に挙げられたのが、慰安婦は「性奴隷」であり、日本は国家として「性奴隷」制度を運用していたという主張である。その主張の正否を知るには、慰安所や慰安婦の実態を見る必要がある。

 

▼慰安所の実態や慰安婦の生活実態を理解する上で必要な資料は、乏しくはあっても無いわけではない。慰安婦自身の体験談もあれば慰安所を管理する立場にあった軍人や慰安婦と接触のあった軍医が書き残したものもある。米軍がビルマで捕虜にした慰安婦への尋問調書や、日本の政府や陸軍の公文書もいくらかは残っている。兵士たちの証言記録にも、慰安所や慰安婦に関わる事実を採取できる部分はあるだろう。日本の遊郭経営の仕組みも、一つのビジネスモデルとして理解の参考になるかもしれない。 

 慰安所は軍が直営したわけではなく、軍の設置した施設に民間業者が入って営業する「公設民営」方式や、軍が民間の遊郭などを慰安所と指定する方式が一般的だった。
 民間業者は、前借り金で慰安婦たちを拘束した。契約期間は通常2年だったが、借金が完済されないまま延長されることが多かった。慰安婦たちの手取りは稼ぎの半分程度であり、その手取りも衣装代や食費などの名目で差し引かれたからだが、それでも故郷の家族へ仕送りする者がいたのは、慰安婦家業が高収入だったからだろう。
  軍医だった長沢健一は、著書『漢口慰安所』の中で次のような体験を書いている。通過部隊が慰安所に殺到し、過重労働で性器をはらした女性が続出したので休業を命じたところ、喜ばれるどころか、盆と正月が一度に来たような稼ぎのチャンスなのに、と彼女たちから抗議されたという。(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』から引用。)
 慰安所の営業時間や階級ごとの利用時間、将校、下士官、兵士別の料金など、営業については現地部隊が内務規定で定めていた。慰安婦は月3回「検黴」を受けること、利用者(兵士)は必ず衛生サックを着用すること、営業主は「誠意をもって明朗なる営業を営む」ことなど、細かく規定されていた。 

 朴裕河は朝鮮人慰安婦たちの証言を読み、慰安婦の労働は場所によって異なり、兵員2万人に慰安婦50人という悲惨な場所もあったが、閑な部隊では慰安婦は部隊の一員のように扱われることもあったと書いている(『帝国の慰安婦』)。
  兵隊たちは慰安婦を大事にし、慰安婦の方もそれに応え、休日には洗濯をしたり、機関銃の手入れをする兵士の側で頬杖をついてそれを眺めたり、繕い物をしたりした。
 《……戦争で強姦の対象となった〈敵の女〉と慰安婦は、軍との関係で根本的に異なる存在だった。家族と離れて戦場に出かけている軍人を「女房」のように身体的、精神的に「慰安」し、士気を高める役割。それこそが慰安婦に期待された役割だったのである。》(『帝国の慰安婦』)

 「挺対協」が編集した『証言集』の中で、ある元慰安婦は次のように証言しているという。
 「戦闘を前に恐いと言って泣く軍人もいた。そういう時わたしは、必ず生きて帰ってと慰めたりもした。そして本当に生きて帰ると、嬉しくなって喜んだ。そういう人たちの中には、なじみになる人も多かった。」
 別の元慰安婦は言う。
 「……自分の奥さんのことを思って(私たちのような)外の女とは関係しようとしないんだ。ある人は何もしないで帰るの。それでも頻繁に来るの。癒され、遊び、お酒を飲みながら話そうとして来るわけ。肉体関係を持たない人はたくさんいたよ。」(『帝国の慰安婦』)。
 また、慰安婦たちは、運動会を楽しんだ記憶や兵士と一緒に馬や車に乗って遊んだ体験を思い出し、楽しく幸せな思い出として語っている。朴裕河は、そういう時間が、戦力を維持するための国家の策略だったとしても、彼女たちには地獄としての慰安所生活を耐えさせる喜びの時間であったことは確かであり、それを無視したり非難したりする権利は誰にもない、と書く。
 《慰安婦問題が「女性の人権」の問題ならなおさら、そのような感情や思いや体験はありのままに受け止められるべきだ。》(『帝国の慰安婦』)。

 

▼慰安婦は「性奴隷」であり、慰安所は強姦、輪姦やり放題の「レイプ・センター」だ、などという歪められた理解が、残念ながら世界に広がっているようだ。それは歴史的事実を究明する問題である以上に、国際世論をどう味方につけるかという極めて現代的な国際政治の問題になってしまっている。
  世界に広がり、現に広められつつある歪んだ理解、無理解に対し、この映画に出てくる「糾弾批判派」のようなスタンスで対抗するのは、難しいように思う。現に、先入観なしに映画制作に臨んだミキ・デザキ監督は、双方の言い分を聞きながら、「糾弾派」の言い分に賛意を示すようになる。
 しかし一般の日本人のこの問題に関する理解と姿勢は、「糾弾批判派」のようなものではなく、日本政府の表明してきたそれではないかと、筆者は思う。
 問題のそもそもの難しさや「女性の人権」という錦の御旗、問題爆発から30年という時間の経過を考慮すれば、日本政府がとってきた姿勢と施策をていねいに説明し、国民の理解と支持を徹底することが、この問題への最良の方策だと考える。

 (おわり)


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