旅の余白から
【ブログ掲載: 2012年5月19日~6月23日】
2012年(平成24年)の4月8日(日)から5月1日(火)まで、妻と二人で地中海沿岸を旅行した。訪れたのはイタリア南部、ギリシア、トルコだが、その旅行の記録はすでに、「桃色土伊希の旅の記録」としてアップロードしてある。
その旅行の記録とは別に、旅行が終わった時点で頭に浮かんだこと、考えたことなどを自由に書いてブログに載せた。以下の文章がそれである。
1.
▼旅行の楽しみのひとつは食事だが、ヨーロッパ旅行の場合、食事はある種の心配の種でもある。
2年前にスペインを旅行した時も、行く前は食事の時間と量が心配の種だった。
まず食事時間の問題。スペイン人は一日に5回食事をとるという。
まず朝食を簡単に済ませ、11時ごろ軽いものを腹に入れ(オンセonceと呼ばれる日本のおやつ)、2時ごろからたっぷりと時間をかけた昼食とシエスタ。夕方、メリエンダ(merienda)と呼ばれる軽いものを食べる時間があり、夕食は夜の9時ないし10時ごろ。レストランもこれに合わせ、午後1時ごろ開いた店を4時ごろいったん閉め、夜開くのは7時半ないし8時ごろである。
とても彼らの時間に合わせるわけにはいかないと考えた末、われわれが採ったのは昼食を2時ごろレストランで十分に取り、夕食はホテルの部屋で簡単に済ますという戦術だった。
以前イタリアを旅行した時は、レストランでの夕食は原則として席の予約を入れる必要があり、これが面倒だったのだが、スペインの昼食は予約の必要もなく、その点でも気が楽だった。
食事の量が多すぎて困るのではないかという心配は、注文するものにより調節することが可能だった。どの昼食も一応各人二皿ずつ注文したが、妻が食欲がなければスープとトルティージャ(オムレツ)で済ませ、食欲があればサラダに本格的肉料理を頼む、というように柔軟に料理を選んだ。
これらの戦術はなかなかうまく行き、食事で苦労することも無理することもなく済んだ。
▼今回の旅行先のギリシアとトルコでは、妻の体調が悪くないかぎり昼食も夕食も外でとった。
それは何よりも、食事の時間も量も客が自由に選べることによる。
ギリシアでもトルコでも、レストランは昼から(あるいは朝8時ごろから)深夜まで開いており、何時に入ろうと怪訝な顔をされることもなく、歓迎された。
料理も好きなものを3皿、4皿注文すると、黙っていても取り皿をふたりの前に置き、自由に取って食べられるようにしてくれる。気取らず、気楽に食事を楽しめるように、客の舌足らずな注文を上手に補いながら、笑顔で客の気分を盛り立てる。それはその地の料理を初めて体験する者にとって、何よりのもてなしと言ってよいだろう。
▼トルコのレストランでただ一つ困ったのは、アルコール類を出さない店が結構あったことだ。
キョフテ(肉団子)やケバブ(焼肉)の専門店やロカンタ(大衆食堂)ではなく、レストランの看板を掲げている店であっても、ビールやワインを注文すると、ない、という返事の所が少なくなかった。
飲み物は何があるのかと聞くと、アイラン、コカコーラ、という答え。事情を知らないままイスタンブルで最初に入った店では、アイラン(飲むヨーグルト)をストローで吸いながらキョフテを食べることになった。
それ以降、店に入るときは、アルコールを出すかどうか聞くことが、必須の手続きとなった。
どの店でもアルコールを置いた方が、商売になるはずである。ということはトルコ政府が何らかの理由で、アルコールを置ける店を制限しているにちがいない。宗教的な理由だろうか。
筆者の知人で九〇年代に仕事でイスタンブルに行き、5年ほど住んだ男にこの話をしたところ、自分がいたころはそんなことはなかった、トルコはイスラム圏のなかで、例外的にアルコールをどこでも飲める国だったはずだ、と首をかしげた。
近年トルコでは「イスラム主義」を掲げる政治勢力が力を伸ばし、ケマル・アタチュルクが敷いた世俗主義的な国の方針との間にきしみが出ていると、伝えられている。国民の意識の中で、イスラム教のウエートが次第に増している、ということなのかもしれない。
2.
▼今回の旅行計画の中で、ギリシアの旅程は多少気がかりな面があった。
財政破綻に直面し、EUからの支援と引き換えに超緊縮財政を受け入れたギリシア政府に対し、国民は強く反発し、ストライキが頻発していると報じられていたからである。
ギリシアにある日本大使館では、現地のマスコミ情報を整理して「治安情報」のサイトを開設している。2月末には地下鉄の車両内に簡易爆弾が仕掛けられ、警察の爆弾処理班が出動する騒ぎがあったとか、3月上旬には弁護士協会の48時間ストや薬局の48時間閉店が予定されている、といった情報が載っていた。
4月に入ると、シンタグマ広場で77歳の男が拳銃自殺するという事件が発生し、それに関連して緊縮財政政策に対する抗議集会が、Facebookで参加を呼び掛けられている、という情報が載った。また、シリア人団体の集会とデモがあり、全ギリシア闘争同盟はドイツ大使館前で抗議集会を計画し、テッサロニキではごみ収集車がストライキ、ピレウス港では港湾労働者が24時間スト、などという情報もあった。
そこまで読んだ段階でわれわれは旅行に出発したのだが、もしも船やバス、鉄道がストライキに突入したら、アテネに到着することも難しいかもしれない。たとえアテネに着いたとしても、下手をすると、アクロポリスの丘も国立考古学博物館も職員のストライキで入れません、ということにならないとも限らない………。
▼われわれは4月14日に船でイタリアのバーリからギリシアのパトラに渡り、ナフプリオンで1泊、バスでアテネに移動して4泊し、サントリーニ島に渡って2泊した。
結論から言うと、旅行前の気がかりは全くの杞憂だった。
ギリシア国会前のシンタグマ広場には多くの市民や観光客が腰を下ろし、お喋りしたりしていたが、集会やデモ行進には一度もお目にかからなかった。選挙のためのポスターも連呼する宣伝カーの姿もなく、広場の真ん中の階段の下では犬がゆうゆうと惰眠をむさぼっていた。
アクロポリスの丘に行くと、たくさんの観光客で賑わっていたが、パルテノン神殿はそのふもとのディオニソス劇場やアドリアノスの図書館などとともに、その日は「入場無料」だった。訪れたのは16日(月曜日)でギリシア正教の復活祭の翌日であったが、財政破綻国家から「施し」を受けたようで、少し複雑な気分になった。
公共施設の維持のために金をかけられず、街は荒れはてているのか、倒産した店舗や企業の廃屋がいたるところに見られるのか、と注意しながら街を歩いた。
たしかに崩れ落ちそうな廃屋はいくつか見かけたし、そういう場所は必ずといってよいほど「落書き」で汚され、荒廃した雰囲気を醸し出していた。
しかしそういう場所はごく一部だった。新しく整備されたアテネの地下鉄は素晴らしくきれいで機能的だったし、地方都市ナフプリオンの街並みは美しく、復活祭の休暇を楽しむギリシア人たちでホテルはどこも満室だった。サントリーニ島は国際的な観光リゾートとして、バカンス・シーズン前から多くの外国人観光客で賑わっていた。
もちろん厳しい緊縮財政や経済の不振、5割を超える若者の失業率など、一介の観光客には見えない問題と国民の不満は、きわめて大きいのだろう。また厳しい緊縮財政と経済の不振が長く続けば、人々の暮らしと街の景観は確実に打撃を受ける。
▼こういう話をどこかで読んだことがある。
ギリシアで医者にかかった日本人が支払いを終えてから、領収証をいただけますか、と聞いた。すると医者は、領収証を出してもいいけど、二割増しになるよ、と答えたという。
領収証を発行する手数料のことではない。付加価値税のことである。
医者は、領収証など発行すれば、きちんと付加価値税を税務署に納めなければならないではないか、と言ったのである。
ギリシアでは課税を逃れる経済取引が全体の4割ないし5割にのぼる、とまことしやかに伝えられている。
だから国家の窮状は、必ずしも国民の窮状ではない、ということなのかもしれない。
【無防備な姿勢で堂々と横たわっている犬の姿は、ギリシアだけでなくイタリアでもトルコでも見かけた。いずれも東京でいえば国会議事堂前や銀座通り、浅草仲見世といった人通りの多い場所である。】
3.
▼「トイレに紙を流してはいけない」と言われたときは、とまどった。ギリシアのサントリーニ島のホテルでの話である。
私よりも先に妻が話を理解し、東南アジアでもそうだった、と言った。彼女が旅行に出かけたベトナム、カンボジア、それに台湾、韓国でも、つねに添乗員にそう言われたという。
個室の中には女性用トイレによくある円筒形の汚物入れが置いてあり、そこに紙を捨てるのが常識なのだそうだ。
下水管の口径や下水処理場の能力などが関係するのだろう。アテネやイスタンブルのホテルでは、ホテル側からそのような話はなかったが、円筒形の汚物入れが置いてあったので自主的に協力した。慣れてしまえばさほどの負担ではない。
▼ところで、トルコのトイレはもともと、水を使って用を済ますように造られている。水を使う地域はインドをはじめ、世界にかなり広く広がっているようだが、それを採用し進化させた日本のウォッシュレットは、きわめて優れた発明と言えよう。
ウォッシュレットは世界でどれほど普及しているのだろうか。
また、日本へ来る観光客のガイドブックを私は覗いたことがないが、ウォッシュレットの説明はどれほど行われているのだろうか。
【トルコ式便器。日本の「金隠し」にあたる部分がないので、前後がわかりにくい。右手前に水道の蛇口と水をためる小桶が見えるので、これを左手で扱えるようにこちらを向いてしゃがみこむのが正しいらしい。】
▼日本人の発明といえば、いまや世界的に普及しているものがある。西欧のどこの空港の土産物店に行っても扱っているもの、どこの町に行ってもおもちゃ屋や本屋で手に入れることができるもの、それはキティちゃんとSUDOKUである。
キティちゃんは㈱サンリオの創りだした白い子ネコのキャラクターである。ディック・ブルーナの「うさこちゃん」に似ていないでもないが、それはともかく、キティは日本の若い女性や子どもたちのあいだでは、誰もが知っている存在らしい。
1974年生まれだというからすでに40歳近い老猫なのだが、その縫ぐるみ人形は「カワイサ」を体現し、ウオルト・ディズニーの生み出したキャラクター群と売り場を二分しているように見えた。
もうひとつのSUDOKU(すうどく)は、説明が必要かもしれない。
将棋盤のように9行9列全部で81個のマス目がある。これはまた3行3列ずつ全部で9個のブロックに区切られている。(一つのブロックは9個のマス目をもつ。)マス目にはすでにいくつか数字が入っている。
空いているマス目に1から9までの任意の数字を入れ、各行・各列・各ブロックがそれぞれダブることなく1から9までの数字を持つように完成させる―――これがSUDOKUというゲームである。
ルールはいたってシンプルで呑み込みやすい。クロスワード・パズルのように言語による国境の壁もなく、計算力も不要。筆者が旅行先で本屋やキオスクを覗くと、どこでもSUDOKUの問題集が置いてあった。
日本人の発明、と書いたが、本当は違うらしい。アメリカでこのゲームを見つけた男が日本に紹介する時に「数字は独身に限る」(各行・各列・各ブロックの数字のなかに、同じものがあってはいけないという意味なのだろう)、略して「数独」と「命名」したのだそうだ。これが近年英国に輸出されて大ブームとなり、SUDOKUという名前であっという間に世界に拡がったということらしい。
細かいルーツの詮索はともかくとして、日本で育てられた「数独」というゲームが、SUDOKUとして西欧の市民権を得て拡がっているのを目にすることは、気持ちを明るくする体験だった。
4.
▼イタリアのバーリからギリシアのパトラへ行くフェリーボートの中で、不思議な光景を目にした。
いかにもギリシア人らしい堂々たる体躯の男がホールの椅子に腰かけ、TVに顔を向けたまま大きな声で喋っている。TVを見ながらのひとりごとではない。両手でジェスチャーをしながら誰かとしきりに喋っているようなのだが、その相手はどこにもいない。
しばらく見ていて判ったことは、男がテレビ・スタジオで使われるような小さなマイクを襟元に着け、それで電話をしているらしいということだった。ケータイ電話をオンにしながら耳にイアホンを入れ、マイク機能を取り出して襟元に着ければ、電話機を手に持たずに通話ができる。そういう簡便な装置が、販売されているらしい。
その後ギリシアやトルコの街なかで、歩きながら電話機を持たずに電話で話す男たちを、何人も見かけた。
日本でもそういう装置は使われているのだろうか。私はその辺の事情にまるで暗いのだが、仮に販売されているとしても、普及することはないのではないか。
【パトラ港に着いたフェリーボートSUPERFAST号。下船して間もなく曇天から雨が降り出した。】
▼西欧を旅行していて気づくことのひとつは、彼らがよく喋ることである。
日常的に家族どうし、知人どうし、もの惜しみなく喋るのはもちろんだが、街角に立つ警官も商店の店員も役所の窓口職員も、同僚とお喋りに余念がない光景はよく見かけるところだ。彼らにとって喋ることは「生理的な自然」であり、「勤務中は、私語を慎め」と言っても、不当な指示と受けとられる怖れは十分にある。
彼らはまた街なかや乗り物の中で、見知らぬ者どおし自然に声を掛け合う。示された小さな行為に「ありがとう」と微笑み、「どういたしまして」と軽く微笑み返す。それは定型化された挨拶行為にすぎないのだが、ときには気の利いたジョークになったり、一歩進んだ会話に発展したりする。
一方、日本人は一般にそれほどお喋り好きではない。喋らずにすむなら喋らない方が生理的にも人間関係の上でも楽だと、そちらを選択する人間が多いのではないか。
街なかでは見知らぬ他人と関わりを持つことを恐れるかのように、視線を合わせることを避け、言葉を発することを避ける。
彼らにとってケータイ電話さえ他人とお喋りする道具であるよりは、メールを交わしインターネットの情報を見る道具である。お喋りするための道具が、メールを送ることで直接声を交わすことを避けるための道具へ「進化」した日本の特殊事情は、まじめな文化論的考察に値するだろう。
▼西欧の人間がよく喋るのに対して、日本人はなぜ喋ることを厭い、できれば避けようとするのか。いろいろもっともらしい理屈を考えることはできようが、いずれも想像や思いつきの域を出ないから、そのことには立ち入らない。
しかし社会の近代化とともに、日本人もお喋りになってきたのは確からしい。社会の近代化は人間の行動半径を広げ、見知らぬ他人とのかかわりを嫌でも生み出すからだ。
三百年前新井白石は、むかしの人は無用の口をきかず、言うべきこともできるだけ少ない言葉で語るようにした、と書いている。(『折りたく柴の記』)
七十年前柳田國男は次のように書いた。
《現今は言語の効用がやや不当と思われる程度にまで、重視せられている時代である。言葉さえあれば、人生のすべての用は足るという過信は行き渡り、人は一般に口達者になった。もとは百語と続けた話を、一生涯せずに終わった人間が、総国民の九割以上もいて、今日いうところの無口とはまるで程度を異にしていた。それに比べると当世は全部がおしゃべりといってもよいのである。》(『涕泣史談』)
むかしに比べれば当世の日本人は皆よく喋るというのだが、それでも彼らは話すことを厭う気持ちを、心の内に持ち続けている、ということなのか。
▼自分で他人に声をかけることを厭う日本人は、代わりに自分以外のものに声をかけさせようとする。
電車の中や駅のホームで流される膨大なアナウンスは、外国ではまずお目にかかれぬ代物であり、その多くは情報としての意味を持たない。デパートでエレベータに乗れば、次は何階で何売り場があるかを懇切に説明してくれるし、エスカレータに乗れば、「小さなお子様」がベルトに手を挟まぬように手を引け、と注意する放送が流れる。あらゆる場所に言葉があふれているのだが、ただひとつ生身の人間だけは言葉を発することを避けたいと願っている。
生身の人間どうしはよく喋るが、アナウンスの言葉はほとんど聞かれない西欧の静かな社会と、生身の人間どうしは喋ることを避けたがるが、アナウンスの言葉がいたるところにあふれている日本の騒々しい社会と、その際立った対照性を前にすると言葉を失う。
5.
▼5月1日の朝、成田空港に到着した。途端に、自分が日本の社会に戻ってきたという事実を、思い知らされることになった。
空港施設内を歩き、入国審査官の前に並んだ。横手から女性の係官が現れ、列に向かって「入国審査にはパスポートのみをご用意ください」と何度も叫んだ。
意味がよく判らなかった。乗客は皆、言葉の不自由な異国の空港で入国・出国の手続きを経てきたのであり、かれらに向かって入国審査にパスポートが必要だということを、わざわざ叫んで回る必要がどこにあるのだろうか。
それとも、航空券の類は見せる必要がない、と言いたかったのか?そんなことは入国審査官が窓口で、それは不要だと一言(日本語で)言えば済むことだろう………。
入国審査を終え、預けた荷物の引き取りに向かった。飛行機から降ろされたスーツケース類がやがて現れ、回転寿司のようにベルトに乗って回りだす。空港の係員らしい男が1人回転するベルトの横に付き、荷物がベルトからはみ出して落ちたりしないように、置き方を整えていた。
リムジンバスで調布まで帰ることにして、椅子に座って時間をつぶした。近くに国内線の「手荷物・搭乗手続き」のカウンターがあり、見るともなく見ていると、ここでも搭乗手続きをする女子職員以外に男の職員が一人張り付き、乗客の荷物を受け取ってはカウンター横のベルトコンベアに乗せていた。
▼外国では乗客がなすべきとされる範囲に、日本では航空会社や空港運営会社の職員、入国審査官等が踏み込んで世話をやいている。世話をやくことが「親切」な「おもてなし」だと見なされているらしい。
日本のサービス業の労働生産性は外国に比べて低いといわれるが、たしかに無用な人手のかけ方を見せられると、納得がいく。それとも、労働生産性を犠牲にしても多くの人手をかけることに、何らかの意義を見出しているのだろうか。
ワーク・シェアリングとは違う。たしかに雇用機会を創りだしてはいるが、それは職員一人あたりの労働時間を短縮することによってではなく、不要な仕事(外国では不要とみなされている仕事)を創りだすことによって生み出したものだ。
リムジンバスが到着した。バスの運転手以外に若い職員が二人付き、乗客の切符を点検したりスーツケースを受け取って車体の格納庫に押し込んだりし、切符を買った客がすべて乗車しているかどうかを入念にチェックした。そして時間になると、発車するバスに向かってそろって丁寧にお辞儀をした。
バスの中では、サクラサクラの琴の演奏がテープで流れ、続いて目的地への到着時刻が道路混雑で遅れる場合があること、ケータイ電話の使用は「他のお客様の迷惑になるので」ご遠慮願いたいこと、シートベルトの着用が法律で義務付けられていることなど、の説明が流れた。長いアナウンスが終わり、ホッとする間もなく、次に英語でのアナウンス、それから中国語、韓国語が続いた。
▼ここ数年、「ガラパゴス化」という言葉が、日本のケータイ電話について言われる。海外市場をノキアやサムスンに席巻されながら、日本国内市場で独自に「進化」した状況を揶揄したものだ。
しかし「ガラパゴス化」は日本のケータイ電話の独壇場ではない。日本の「サービス」や日本人の「親切」は、立派に「ガラパゴス化」している。
というよりも、ひとびとが自分で話をすることを避けたがり、相手の先回りをして世話をやくことを良しとする日本人の感性がまず基本にあり、それが「ガラパゴス化」したサービスやケータイ電話を生み出したのである。
▼それでは「世界標準」の仕事やサービスとはどのようなものだろうか。すぐに思い浮かぶのは、2年前のロンドン・ヒースロー空港での体験である。
ヒースロー空港には第1ターミナルから第5ターミナルまであり、(2年前はロンドン・オリンピックに向けて拡張工事中であり、第4ターミナルは閉鎖されていた)、飛行機を乗り換える乗客の多くは、ターミナルのあいだを移動しなければならなかった。
ヒースロー空港はとてつもなく広い。第5ターミナルから第1ターミナルに移るには、空港内の地下鉄やバスを乗り継いで30分ほどかかる。その間、一切の案内人もアナウンスもなく、ただ整然と整備された「Flight Connections」の案内サインにしたがって移動すると、自然に目的地に到着する仕組みになっている。私たちは案内サインにしたがって黙々と移動し、無事にリスボン行きのTAP(ポルトガル航空)に乗り換えることができた。
要するに施設の仕組みを利用者に、分かりやすく整然と明示することが「サービス」のポイントであり、多数の利用者に理解の徹底を求める場合、ナマの言葉で呼びかけるよりもサインで示すことが有効なのだ。ヒースロー空港はその基本を忠実に実行していたのだ。
もうひとつ「世界標準」という言葉で思い浮かぶのは、今回の旅行でアテネからイスタンブルへ移動した飛行機での体験である。
空港に到着した飛行機から、人の列はなかなか外へ動こうとしなかった。どうしたのかと見ていると、車椅子の老婦人をまず降ろすために、他の乗客の列を一時止めていたのだ。
機体の外にバスが止まっていた。その中にスチュワードの押す車椅子と老婦人もいた。付き添いもなく80歳を超えて(そのような年齢にみえた)1人で旅する老婦人に、乗客たちは温かいまなざしを向けた。彼女も笑顔でそれに応えた。
バスがターミナルの建物に着き、まず老婦人の車椅子を降ろした。まわりの乗客たちは微笑みながらその作業に協力し、それから何ごともなかったかのように次々と降りていった。
▼「世界標準」(グローバル・スタンダード)という言葉を使うと、それはアメリカン・スタンダードに過ぎないではないか、という反論が聞こえてきそうだ。
しかし上にあげた私の体験が、アメリカン・スタンダードだともイギリスやトルコの独自のスタンダードだとも、私は思わない。
機能的、合理的に乗客を捌くことが求められる飛行場のシステムが、各国で似かよってくるのは当然であり、そこで独自のサービスを付加しようとすれば混乱の元となるだけだ。施設の管理者には整然とわかりやすくシステムを示すことが求められ、乗客にはシステムを正しく理解し、従うことが求められる。
一方、人と人の関係が問われる場面では、臆することなく声をかけあい、協力しあい、好意を分かち合うことが望ましい。
それが私の考える、というよりも、私の中に形づくられている「世界標準」である。
残念ながら日本の現状は、「世界標準」から見て特殊と判断せざるをえないのだが、それが意図してなされた選択なのかどうか、知りたい気がしないでもない。
終
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