4.イスタンブル


4月21日(土) 

 6時過ぎ起床。晴。カルデラの写真などを撮る。少し風がある。外に出てきたクリスタ女史に言うと、朝方はいつも風があるが、これなら今日のフライトに問題ない、と言う。

 朝食後、8時10分に女史に別れを告げ、使用人の男の子の案内で崖道を登る。女史の言う通り5分でタクシー乗り場に着く。すぐに小型バスが近づき、これも女史の説明通り25ユーロを払い、20分で飛行場に到着。50人乗りのプロペラ機に乗り、時間どおり9時35分に離陸した。

 エーゲ海はまことに多島海である。眼下の島影が一つ消えるとまた一つ現れ、つねに島影を見ながら飛行機は進む。10時20分、アテネ空港着。2日前に預けたスーツケースを取出し(26ユーロ)、イスタンブルへ行く用意は整った。

元の計画では、サントリーニ島からアテネに戻るのは1時過ぎの予定であり、空港で3時過ぎのトルコ航空便に乗り換えるつもりだった。ところが1時過ぎにアテネに戻る便が1時間近く遅くなるという時間変更が起き、安全を見込んで一便早めたのである。浮いた時間を久々の読書タイムに充てる。

 

トルコ航空の旅客機が高度を下げ、トルコの大地とイスタンブルの街がよく眺められた。街にはレンガ色の屋根の集合住宅が立ち並び、大地は緑豊かだった。白い岩肌に灌木がまだらに生えるギリシャの大地とは、ずいぶん印象が異なる。


イスタンブル空港には時間どおり4時35分に着いた。しかしパスポートチェックは長蛇の列なのに係員不在の窓口が多く、やっとそこを通ったが荷物受取のベルトの表示がなく、係員らしい男に聞いても分からいなど、つまらないことに1時間以上を浪費した。空港内の銀行の窓口でユーロのトラベラーズチェックをトルコ通貨に換えようとすると、トラベラーズチェックは扱わないと言う。しかたなく100ユーロ札をトルコリラに換える。

タクシーに乗る。若い運転手は私の差し出したホテルの住所を運転しながら読み、片手で機械に入力、時速100qで海沿いの国道を飛ばす。道路と海岸のあいだに細長い公園がつづき、チューリップが美しく咲いていた。家族連れや男女のカップルが夕方の陽光を浴びて散歩している。

テオドシウスの城壁をくぐったあたりから道路の混雑がひどくなり、車は互いに割り込もうとしのぎを削る。わがタクシーも身動き取れない中で、強引に左折するラインに割り込むことに成功。細い急坂を昇り降りしたのち、スルタンアフメット地区のホテルに到着。40分とかからなかった。君のドライブ・テクニックは素晴らしいと褒めて、タクシーのチップをはずむ。

キョフテ(肉団子)の看板を掲げた店で夕食。アルコール類は置いていないというので、代わりにアイラン(ヨーグルト)を飲む。

イスタンブルでは社会にイスラム色が強まったためか、アルコール類を出さないレストランが結構多かった。この日の体験に懲りて、それ以降、アルコールを出すことをまず確認してから店に入るようにした。

帰り道、ブルーモスクのライトアップが美しかった。9時半に就寝。

 

4月22日(日)

 

 6時半起床。朝、外気は肌寒い。屋上を改造したホテルの食堂で、海を眺めながらの朝食。カモメが飛んでいる。

宿泊したベルジェ・ホテルBerce Hotelは、マルマラ海に面する丘の急斜面に立っている。急斜面の前にも後ろにも同じような小さなホテルが立ち、下の階では前に立つ建物が視界の邪魔になって、海は見えない。しかし建物の上の階と屋上からは海が眺められ、各ホテルとも屋上に食堂をつくっている。

9時過ぎに地図を片手に外に出る。坂道をのぼり、チューリップや三色すみれが美しく咲く広い公園に出る。観光客がすでにおおぜい歩いている。公園のすぐ前にブルーモスク、遠くにアヤソフィアが見える。



ブルーモスク、正式名称スルタンアフメット1世ジャミイを見学。靴を脱いで建物の中に入る。絨緞を敷き詰めた内部は薄暗く、窓にはステンドグラスが嵌められている。小さな電球を多数、頭上の低い位置に吊り下げ、寺院内部の暗さを保ちつつ、人が行動に不自由しないだけの明るさも確保している。太い柱が林立する西欧のゴシック寺院に比べ、広い空間を確保している点が、トルコの寺院の特徴といえる。偶像崇拝を排したイスラム寺院では、壁や柱のアラベスク模様のタイル以外に装飾は見られない。



ブルーモスクを出て、近くの「地下宮殿」へ行く。ローマ時代に造られた地下の貯水場で、天井を支える太い柱が整然と立ち並ぶ光景が、宮殿のようにも見える。トルコの王様とお妃の衣装を観光客に着せて、写真を撮るサービスをしていたので、われわれも1枚撮ってもらう。

 

トプカプ宮殿の塀に沿って道を下り、エミノニュ桟橋に出る。ガラタ橋を渡る。橋の上では釣竿を水面に垂らしている男たちがおおぜいおり、エサを売っている男もいた。ガラタ塔の側で昼食。

食後、ガラタ塔に登る。陽が出て来たので、ようやく春らしい暖かな陽気になる。渡ってきた金角湾の向こうに、先ほど訪れたブルーモスクとアヤソフィア寺院がよく見えた。


イスティクラル通りはたいへんな人出だった。今日が日曜日であるためか、イスタンブルでいちばん賑やかな大通りは、路面電車(トラムヴァイ)を除いて乗り物を閉め出し、そこをたいへんな数の人が歩いていた。ちょうどサッカーの地元チームが勝利したところなのか、そろいのオレンジ色のTシャツを着たサポーターたちが、大騒ぎしていた。通りの両側の商店にも、人があふれている。トルコ経済の活気を感じた。



タクシム広場まで歩き、路面電車や渡し船の共通プリペイドカードを購入。路面電車に乗ってガラタ橋を渡り、ホテルに帰る。

 

4月23日(月)

 

 晴。朝食後、外出。今日はトルコの独立記念日だとガイドブックに書いてある。観光客でどこも混雑が予想されるので、宿のあるスルタンアフメット地区より西方向にある、それほどメジャーでない場所を何カ所か行くことにする。


まずグランバザールの脇の道を通り、スレイマニエ・ジャミイに行った。グランバザールは祝日は休みだとガイドブックにあったが、開いていた。帰りに寄ることにして、それでもいくつか店を冷やかしながら歩く。


スレイマニエ・ジャミイはオスマン帝国最盛時の16世紀に、スレイマン大帝が大建築家ミマール・シナンに造らせた寺院である。ブルーモスクと同様の堂々とした美しい造りだが、観光客ははるかに少なかった。

オスマン帝国のジャミイは、ふつうその周囲に隊商宿やバザール、公衆浴場(ハマム)、病院、神学校、救貧院などを配置している。隊商宿やバザール、ハマムなどの収益施設から上がる収入で、他の非収益的施設の運営を維持する仕組みだったという。スレイマニエ・ジャミイの周囲にもそれらの施設は残っているという話だったが、石の塀に囲まれているためよく分からなかった。



そこからヴァレンス水道橋まで歩く。ローマ時代の建設時には長さ1キロメートルあったといわれる二段アーチを連ねた橋で、橋の上を水が流れ、イスタンブル市内の住民の飲み水となった。イスタンブルでは簡便な水の運搬手段が普及する以前は、「水売り」で生計を立てる男たちがおおぜいいたほど、水は貴重だった。

アクサライ駅に出、路面電車に乗りトプカプ駅で乗り換え、エディルネカプ駅で降りる。「カプ」という地名はトルコ語の「門」を意味する。むかしマルマラ海から金角湾までの10qほどの間、外敵に備えたテオドシウスの城壁がめぐらされ、ところどころに門(カプ)が設けられていたことの名残りである。城壁は今でもかなり残っており、修復も進められている。

 

エディルネカプから歩いてカーリエ博物館に行く。ビザンチン時代の修道院がオスマン帝国時代にはジャミイとなり、モザイク画やフレスコ画は漆喰で塗りつぶされた。それが20世紀中ごろに発見され、修復された結果、精悍な青年のイエス像や聖母マリアの死を描いたモザイク画がよみがえった。



カーリエ博物館のずんぐりした建物が気に入り、何枚も写真に収めた。「古拙」という言葉がぴったりだと思った。

昼食時間をだいぶ回っていたが、周辺に適当な食堂が見当たらないので、戻って食事にすることにし、エディルネカプ駅の方に歩く。横断歩道を渡るとき、赤信号で停まっているワンボックスカーの運転手と目が合った。フロントガラスの右上にはトプカプと表示がある。瞬間的に、「これがドルムシュ(乗り合いタクシー)というやつだ」とひらめき、合図した。運転手はドアを開け、われわれは素早く乗り込んだ。8人ほどの座席に5人先客が座っていた。トプカプまで1トルコリラ。路面電車の半額だった。

グランバザール近くのレストランで遅い昼食。食後、グランバザール内を歩き、ホテルに戻る。


 

4月24日(火)

 

 晴。朝食後、路面電車でタクシム駅に行き、地下ケーブルカーに乗り換え、カバタシュに出た。そこから歩いてドルマ・バフーチェ宮殿へ行く。

ドルマ・バフーチェ宮殿は、ボスポラス海峡に面して19世紀半ばに立てられた西欧式の宮殿である。階段の手すりや壁・天井などに木材が比較的多く使われ、男子禁制のハレムを併設しているが、西欧式造りといって差し支えないだろう。大シャンデリアの吊り下げられた豪華絢爛たる儀式の間が中央にあり、今でも迎賓館として使われているらしい。

トルコ共和国の国父・ケマル・アタチュルクが官邸として使用し、亡くなった部屋もここにある。

ボスポラス海峡から船を着けることも可能なようで、海に面した門がある。白い門扉は鉄製の透かし彫りで、門のフレームを透して見る海峡の景色が絵のように美しい。




 

歩いてベシクタシュ埠頭へ出、フェリーボートでアジア側のカドキョイに渡る。昼食。いわしのフライを肴にビールを飲む。

昼食後、商店街を歩く。ブドウの葉を酢に漬けたものが売られていた。挽き肉やコメを中に包んで煮てつくるドルマス(ギリシア料理のドルマーデス)に使うものだ。カラスミとキャビアを売っていたので、土産に買う。


 

また船に乗り、ヨーロッパ側のエミノニュ埠頭に渡り、アヤソフィアへ行く。ビザンチン時代のギリシャ正教の総本山として建てられた建物は、その後オスマントルコの時代にはジャミイとなり、そして現在は博物館である。観光客が多かった。

 

4月25日(水)

 

 晴。朝、トプカプ宮殿へ行く。アヤソフィアの奥の海に面した一角に、宮殿はある。



宮殿とはいうものの、きらびやかに装飾された巨大な建物という、ヨーロッパ風の宮殿のイメージからははるかに遠い。


城壁のなかは緑の木々の多い庭で、さらに門をくぐって奥の中庭に入ると、低層の建物が周りを囲んでいる。王が政務を執り行った場所も後宮(ハレム)も、その中にある。

建物は高くても2階建てで、部屋の中には絨緞が敷き詰められ、窓辺には造りつけの長椅子のようにマットレスが置かれている。あきらかに床に座って生活する習慣の人々、つまり遊牧民族が造った「宮殿」なのである。


展望の良いバグダッド・キョシュキュ(あずまや)から金閣湾を眺める。旅行中もっとも暖かな、強い陽射しが満ちていた。雨にたたられ、寒い日の多かった旅行だが、これからはどうやら好天が続きそうだと感じ、嬉しかった。


観光客が多かったので、宝物館と後宮(ハレム)を駆け足で見て外に出た。

トラベラーズチェックを現金に換えようと、近くの商業地区・スィルケジに行く。銀行を見つけ、TCを現金化したいと申し入れるが、扱っていない、と断られる。どこで現金化できるか、と聞くと、HSBCバンクならやっているのではないか、と言う。

HSBCバンクをやっと見つけて中に入り、現金化できないかと聞くと、同じように首を振る。両替所に行けという。説明にしたがって両替所に向かう途中、シティバンクがあったので中に入る。ここでもやはり、TCは扱わないと答えるので、アメックスAmerican ExpressのTCを見せ、これは東京のシティバンクで購入したものだ、なぜ現金化できない、と声を荒げてみせた。

トルコのシティバンクの職員は少し恐縮した風情だったが、首を横に振り、両替所に行くのが良い、すぐ近くだと言う。できないことを強要しても始まらない。両替所はどこだと聞くと、われわれを玄関まで送り、あそこだ、と指さして教えてくれた。

両替所ドヴィズでは、女性職員が慣れた手つきですぐに現金化してくれた。4日前に空港の銀行で100ユーロ札を両替した時は、手数料を引かれて手取り223.38トルコリラだった。今日の両替所は100ユーロのTCで234.50トルコリラ。現金とTCの違いや相場の変動もいくらかあるのだろうが、5%ほど両替所の方が率が良い。

 

エミノニュ埠頭のそばの食堂で、今日も遅い昼食。そのあと老舗らしい菓子屋に入り、牛皮に似たトルコの甘い菓子を土産にたくさん買う。

ホテルに帰り、明朝のシャトルバスの手配を依頼。

 夕方、ホテルの近くを散歩。キュチュック・アヤソフィア・ジャミイという小さな寺院に入る。観光客はおらず、イスラム教徒4、5人が日常の礼拝をするのを見る。



 小さな食堂に入り、ココレチと呼ばれる羊の内臓を焼いたものをパンにはさん食べる。


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