座間事件
                     【ブログ掲載:2018年6月1日】

 

▼いわゆる「秋葉原事件」が起きたのは、10年前である。派遣社員だった青年が、秋葉原の日曜日の歩行者天国にトラックで突っ込み、そのあとダガーナイフを振るって、通行人を手当たり次第に殺傷した事件である。
 事件のあと、ネット上におびただしい書き込みがなされ、言論の世界でも大きな話題となった。犯人の青年は親しい友人を持たず、家族とも疎遠であり、先の見えない「派遣労働」に従事しながら、ネット上にかろうじて自分の居場所を確保しようとしていた。しかしネット上の居場所を荒らされたことが引きがねになり、救いのない自分の日常を終わらせるために、白昼の無差別殺人へと突き進んだのだった。事件自体の衝撃性もさることながら、孤独な派遣社員が追い詰められて自暴自棄の犯行に及んだという経緯が、個別の事件を超えて時代の一面を象徴するものとして受け止められ、人びとに奥深い衝撃を与えた。

 昨年10月に神奈川県座間市で発覚した若い男女9人の殺人事件のニュースも、衝撃的だった。事件自体の猟奇性とともに、若者たちのヒヨワさや家族を含めた人間関係の稀薄さと、ネット時代の社会の変質が照らし出され、筆者は暗い気持ちになった。

 

▼昨年10月末、座間市のアパートで若い女8人、男1人の遺体が発見された。失踪者を捜索していた捜査員が、アパートに住む白石某の部屋で、いくつもの大型のクーラーボックスに入れられた遺体を発見したのである。白石は殺人と遺体損壊の容疑で逮捕された。
 警視庁は被害者ごとに逮捕状を取り、再逮捕を繰り返して白石を取り調べている段階なので、不明な部分も多いが、報じられた事件の概要は次のようなものだった。
 白石某(27歳)は以前、新宿歌舞伎町にある職業紹介会社で、風俗店に女性を紹介する仕事をしていた。茨城県警に一度、職業安定法違反容疑で逮捕されたことがある。
 白石は昨年春ごろからツイッターで、「死にたい」とつぶやく女性たちと言葉を交わすようになった。彼のアカウント名は「首吊り士」で、自殺願望の女性たちに優しい言葉をかけ、自殺の方法についてアドバイスするなど、彼女たちの相談にのっていたらしい。
 8月下旬に座間市のアパートに入居すると、その直後から犯行を開始した。女性たちと連絡を取りあい、自分の部屋に呼び込んで酒や睡眠薬を飲ませ、ロフトから吊ったロープで殺害した、とされる。「本当に死のうと考えていた人はいなかった」と、白石は警察に話しているという。 

 不思議な事件である。犯人の白石の目的は、何だったのだろうか。被害者たちの金品を奪うことなのか?屍体愛好癖(ネクロフィリア)の持ち主だったのか?それとも人を殺すこと自体が快楽だったのか?
 白石は、アパートに入居した8月下旬から捕まるまでの約2か月と少しの間に、9人の殺害を行ったが、そこには小さな計画性とともに、不気味な無目的性がある。いつまでも続けられるはずのない行為を、いつまで繰り返すつもりだったのか。白石自身は自覚していなかったかもしれないが、それは自分の無意味な生に愛想を尽かし、自分の生を終わらせるために始めた行為だったようにも見える。
 それは、10年前の秋葉原でダガーナイフを振り回した青年と共通の、耐え難い日常を終わらせるための自殺と類似の行為だったように見える。

 

▼さらに不思議なのは、被害者の女性たちである。15歳から26歳までの娘たちが、なぜそれほど死ぬことを望み、ツイッターで言葉を交わしただけの、見ず知らずの男の家を訪ねる気になったのだろうか。
 白石が「首吊り士」の「アカウント名」でツイッターで呟いた言葉を、今でもネットで読むことができる。いくつか引用するなら、以下のようなものである。 

 ・首吊りの知識を広めたい 本当につらい方の力になりたい お気軽にDMへ連絡ください(9/15
 ・首吊りは苦しくない 苦しいのは気道を塞いでる緩衝材が合ってないから(9/15
 ・気道を塞いでしまうのはただの窒息死です 血流を止めることを意識しましょう なんとなく首吊りってこんな感じかな?の勢いでやるのではなく、血管の位置や、締まるイメージを意識すれば必ず安楽死できます(9/17
 ・自殺する前に友人、家族、SNSにこれから死にますや今までありがとうなど連絡を入れるのはNG それが原因で怪しまれて捜索願いが出たり、場所を特定される可能性があるからです 死ぬ前に最後に連絡したい人がいる方はまだ未練がある証拠なので、死ぬべきではないと思います(10/6
 ・練炭自殺は楽なんですか?とよく聞かれるのですが、ハッキリ言って苦しいです 睡眠薬で寝てる間に死ねるというイメージが強いようですが、実際は一酸化炭素中毒による激しい吐き気と頭痛で眠るどころではありません 脳に重大な障害が残る可能性も高いので未遂になったら取り返しがつきません(10/13
 ・学校でも職場でもいじめは絶えない 毎日のように通う場所、会う人間とうまくいかないと、精神的にどんどん追い込まれていく 世の中には、ニュースになっていないけど自殺未遂をしてしまって苦しい思いをしてる人がたくさんいると思います そんな人の力になりたいです(10/22

 白石の仕事は、具体的には歌舞伎町で女性に声をかけ、スカウトすることだったということだが、たしかに悩み迷う若い女性への言葉として、手慣れたものと言えるかもしれない。自分は安楽死の確実な方法を知っていると、自信たっぷりに明言する一方、若い女性の悩みや迷いにどこまでも優しく寄り添う姿勢を見せ、それなりに有効なメッセージとなっている。
 しかし白石の誘いがいかに巧みであったとしても、若い女性がこのつぶやきに警戒心を武装解除され、はるばる会いに出かけて行ったことへの疑問は、依然として残る。

 

▼「青春」と呼ばれる人生の一時期が、多くの人々にとって得意と失意の間を揺れ動く、揺れ幅の大きい難しい時期であることは確かだろう。それは急速に成長する若者の心身と、慣れ親しんだ環境や人間関係との間に生じる「軋み」の時期であり、若者が生きる意味の喪失に悩み、生への疑問や否定の思いに苦しむことは珍しいことではない。しかしそれはほとんどの場合、成長とともにいつしか消える。
 だから少女たちが、「自分をわかってほしい」という思いを強め、「死にたい」という気分に取り憑かれたとしても、そのこと自体は不思議でも異常なことでもないだろう。問題は、少女たちが自分の悩みや苦しみと戦う力のあまりの弱さであり、現実社会がネットの仮想空間よりもずっと稀薄な存在感しか持たないことである。
 彼女たちはおそらくこれまで、全力でぶつかっていかなければならないような、手ごたえのある生活を経験したことがなかったのではないか。そういう豊かな現実体験こそひとを大人に成長させるものなのだが、そのような体験はインターネットという新技術の進展が急速に環境を変えるなかで、いっそう困難になってきている。子どもたちは人工的で無害な空間で、常に親たちの監視のもと、「いい子」に振舞うことを強いられる。
 「死にたい」と「死にたくない」のあいだを揺れながら殺された女性たちの死は、愚かでつまらない死である。しかし若者が愚かなのは当たり前であり、彼ら彼女らを社会的に鍛えることができない現実社会こそ、まず問題にされなければならない。
 「個人の自立」をひたすら求めてきた近代日本の社会は、自由に飛躍する個人を一方に生み出したが、同時に共同性から切り離された不安で不幸な多数の個人を生み出した。事件が浮かび上がらせたのは、そういう現実社会の一面だったように思われる。


【追記(2020年12月24日)】
 白石隆浩に対する裁判は、今年の9月30日から東京地裁立川支部で行われた。検察官は白石を強盗や強制性交殺人、死体損壊・遺棄などの罪で起訴し、弁護人は、被害者の同意を得て行われた「承諾殺人」だったと主張した。
 公判中、白石は検察官の質問には積極的に答える一方、死刑を回避しようとしてなされる弁護人の質問は無視し続ける、という「異例の展開」を見せたと報じられた。
 12月15日に裁判官は、金を奪うことと性欲を満たすことが犯行の動機であり、被害者の「承諾」は認められないとして、求刑通り「死刑」の判決を言い渡した。判決のあと弁護人は控訴の手続きをとったが、白石はそれを望まず、「死刑」が確定した。
 新聞は白石という人間について、「虫も殺せない気の小さい子だった」(母親の供述調書)が、中学3年のころから不登校になり、高校卒業後はいくつかの職を経て風俗店に女性を派遣するスカウトの仕事に就いた。売春斡旋で逮捕され、保釈になったあと母親と別居中の父親のもとに身を寄せたが、折り合いが悪く、そこを出て犯行に至った、と書いている。


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