4月1日(木)晴 【セビーリャ】
朝の街を川のほうへ散歩する。開いているバルはない。イサベル2世橋のたもとの屋台で、カフェとチュロスの朝食をとる。一度ホテルに戻り、10時にカテドラルの見物に出かける。観光客がすでに列をつくっていた。

カテドラルの中を見た後、その一角にあるヒラルダの塔に登る。高さ100mの塔の上からの眺めは、視界を妨げる建物がないため、360度遠くまで見渡せるすばらしいものだった。この塔から見た100年前の市街地の風景が写真で残されているが、建物の数が増え、街が広がったことを除けば、それほど大きな変化はないといってよい。
すぐ近くのアルカサルへ行く。イスラム時代の城砦をレコンキスタのあとキリスト教徒の王が宮殿に改築したものだそうだが、建物細部を彩る繊細なアラベスク模様やオレンジや椰子の樹々で賑わう中庭など、基本的にイスラムの様式が色濃く残っている。中庭を歩き、回廊を巡り、庭園のほうへ移る。ヒラルダの塔が回廊から見える。
庭園をサンタクルス街のほうへ出、レストランで昼食。海産物を炊き込んだパエジャをとり、白ワインを一本空ける。昼食後、ホテルへ戻り、シエスタ。
街の中はセマナサンタ(聖週間)の祭りの真っ最中である。黒色の礼服を着た市民の姿があちこちに見られる。いたるところでとんがり頭巾と山車の行列に出くわし、人の波に巻き込まれる。街を走る市電も止まり、市庁舎の前から大聖堂へいたる大通りにはロープが張られ、お金を払って予約した見物客用の椅子が何百と並べられている。祭りは今夜から明朝・聖金曜日のマドゥルガーダ(夜明け前)にかけて最高潮に達するが、その行列を見物するためのものだ。
夕方ホテルを出、街を歩くとサルバドール教会の前に大きな人だかりが出来ていた。黒の礼服姿の市民や紫のトンガリ頭巾と紫のマントをまとった信徒たちがときどき出入りしている。テレビカメラも待機している。小一時間ほど待つうちに、やっと教会から信徒の一団と山車が出てきた。この教会の山車は、磔刑に処せられたイエスを弟子たちが十字架から降ろす場面を等身大の人形によって表現したものである。十字架にはしごをかけて二人の男が上り、白い布をロープのようにイエスの身体に巻きつけて降ろすのを、女たちが下で受け取ろうと白布を用意して待っている。妙にリアルな構図であった。
4月2日(金)晴 【セビーリャ】
午前3時半に起床。聖金曜日のマドゥルガーダ(夜明け前)の信徒団の行進を見ようと、少し厚着をして街に出る。街灯の灯った通りのそこここに、同じ方向に背中を丸めて歩く人の姿がある。どこかで同じような体験をした感覚が私の身体の中にある。夜明け前の寒さと眠さ、薄暗い街を同じ方向へ急ぐ人影。ああ、初詣と一緒だな、と納得する。
市庁舎前のヌエバ広場を通り、市庁舎の反対側に抜けようとすると、人ごみにぶつかり動けなくなった。警官が通行を規制し、通りを渡ることもできない。頭にタオルを巻いたずんぐりした体型の男たちがたむろしていた。山車の担ぎ手の交代要員である。
山車は日本のように車輪の付いた台車ではなく、神輿のように人の肩に担がれて運ばれる。山車の下は布に覆われて見えないが、一台の山車はおそらく20人前後の男たちよって担がれ、彼らは決められた区間を歩くと交代するのである。男たちは皆ずんぐりした体型で背丈も170センチほどに揃えられているようだった。
1時間ほど信徒団の行進を見てホテルへ戻り、ベッドへ潜りこむ。
朝食後、また街に出る。また信徒団の行進に出会う。今度の一団の衣装は深緑色の頭巾に白マント、山車は聖母マリアである。頭上に金色の天蓋が輝き、周囲を太い無数の白ろうそくと白い花束で飾られたマリア像は憂いに満ちた表情をしていた。信徒の中には裸足の者もいる。イエスの味わった肉体の苦痛を自分にも課すという意味の荒行なのだろう。
橋を渡り、銀行の前を行くと、入口は閉ざされ、月曜日から木曜日まで業務は午前中で終わる、という張り紙があった。金曜日である今日のことは何も言及がないが、当然休業、というわけか。近くにいた地元のおばちゃんらしい二人連れに聞くと、今日は休み、月曜日の8時半にならないと開かないわ、といった。
グアダルキビル川の対岸を歩く。こちらでも信徒団の行進に出会う。こちらの山車は、十字架を担がされたイエスが馬に乗った兵士に先導されている図であった。しばらく一団が行き過ぎるのを待っていると、どこからか澄んだ歌声(サエタ)が聞こえ、あたりが一瞬しんと静まり、そして拍手が起こった。
上流のサン・テルモ橋を渡り、バス・ターミナルへ行き、グラナダ行きのバスの切符を買う。市電が動いていないので歩いて戻る。土産に絵葉書を買う。何件も店をのぞいて見ると、同じ絵葉書が店によって値段が異なり、倍ほどの違いがあることもある。
カテドラル近くのレストランで昼食。カテドラルの周辺に並べられていた行進見物用の椅子はすでに片付けられていた。ホテルに帰り、近くのタブラオを予約してもらう。
夜9時半に、ブレザーにネクタイを締め、ホテルを出る。10時の開演には十分の余裕を見ていたのだが、またまた信徒団の行進と見物客の大群に出会い、行く手を阻まれる。行進の一行は丁度われわれが向おうとする方向にあり、広くもない路地を少し進んでは止まり進んでは止まりを繰り返す。群衆の間を強引に横切ろうとして呑み込まれ、身動きがつかない。あせりと諦めの苦笑が口端に浮かぶ。楽隊の吹く物悲しい音色が夜空に消えていく。
結局、タブラオ「エル・アレナル」に到着したのは11時近かった。遅れて到着したのはわれわれだけではなく、7、8人の男女が一緒に店に入った。皆の顔にほっとした安堵の笑みが浮かんでいた。舞台を囲む50人ほどの客席で、食事は済んでいるようだったが、ショーはまだ始まっていなかった。店では客の到着の遅れを織り込んだうえ、開演を遅らせていたのだ。舞台のすぐ横の席に案内される。注文を取りに来たカマレロにカバ(発泡酒)を一本頼む。
フラメンコは踊り手(バイラオーラ)と歌い手(カンタオール)とギター引き(ギタリスタ)が、互いの呼吸を合わせながら踊り、歌い、演奏する。その掛け合いの呼吸が面白い。メガネを掛けた一見インテリ風の風貌だが、丸々と肥えた若い歌い手が声を張り上げる。その声量は圧倒的で、汗のにじむ顔に好意をもった。
演目の進行とともに趣向を変え、踊り手も歌い手も少しずつ交替した。ひとつだけ聞きとれた歌の一節があった。………わたしが15歳の春、あの人は村を出て行き帰らなかった………。ヒターノ(ジプシー)の女の悲しい恋歌なのだろう。終演は12時を回っていた。
4月3日(土)晴 【セビーリャ】
旅行に出る前の予定では、今日は「丘の上の白い町」として有名なアルコス・デラ・フロンテーラに行くことを考えていた。アンダルシア特有の白壁の家々が並ぶ景色で有名な町である。セビーリャからバスで2時間、往復4時間の小旅行で、昨日バス・ターミナルに行ったとき、時刻表も手に入れていた。しかしコルドバからセビーリャへ来る途中、カルモナに立ち寄り、はるかな地平線を眺め、パラドールで食事も楽しんだ。今日は一日、のんびり身体を休めることにする。
シエルペス通りを北に歩いた。商店が建ち並ぶ賑やかな通りである。バルでコーヒーを飲み、ケーキ屋に立ち寄り、エル・コルテ・イングレスを覗いた。5月恒例の春の祭りに着るのだろうか、女性用の派手な衣装が飾ってあった。
美術館でムリージョの企画展を見、プラサ・デ・アルマスのショッピングセンターで食料品を買い込み、カテドラル近くまで戻り、昼食。午後はホテルで読書。

夜、サンタクルス街のバル「ラ・カルボネリア」へ出かける。ここで毎週土曜日に囲碁を打っている、とインターネットで読んだからである。途中、また信徒団の行進と見物客に行く手を阻まれ、またサンタクルス街の小路が曲がりくねっているため探し当てるのに苦労したが、どうにか8時過ぎに到着した。
入口は小さく奥は広く深いのがこちらの建物の標準だが、このバルも同様だった。奥の広間に若者たちが数人ずつかたまって、何か飲みながら静かにお喋りをしていた。が、囲碁を打っている者はいないし、石の音も聞こえない。
カマレロに聞くと、いつも土曜日に囲碁の集まりはあるようだが、今日はやっていませんね、との返事。どうやらセマナサンタのため、中止らしい。ビールを一杯呑んで帰る。
ライトアップしたカテドラルが美しかった。

4月4日(日)晴 【セビーリャ】
スペインの闘牛は春から秋にかけて各地で行われるが、セビーリャの闘牛はセマナサンタの最終日である今日から始まる。年間スケジュールを記したポスターが街のあちこちに張り出してある。興行は夕方から始まるが、10時からチケットが売り出されると聞いてマエストランサ闘牛場に行く。列が出来ていたので並ぶ。20分ほどして窓口にたどり着き、「Sol y Sombraの1階席、2枚」と注文すると、売り切れだという。全ての席が完売だと言い、並んでいたのは予約していた人だ、というようなことを窓口の男は言った。がっかりして出てくると子供を連れたダフ屋が寄ってきて、1枚100ユーロで買わないかという。腹が立ったので断る。
良い天気なので、気分直しに散歩する。今日はセマナサンタの最終日、復活祭の日だが、街の中で特別の催しはないようだ。カテドラルを覗くと日曜日のミサが終わるところだった。神父の説教が終わると参列者の一部は祝福を受けに前に進み、他の人々はぞろぞろ外に出てきた。昨夜まで続いた信徒団によって運び込まれた山車は、どこにも見られない。
カテドラルの近くの路地の一角に、回廊で囲まれた広い中庭を持つ建物があり、その回廊で骨董品のフリーマーケットが開かれていた。古いコインや書物、古絵葉書、ブローチやネックレス、古時計といったものを、思い思いに並べている。客の数も少なく、ときどき品物を手に取ってみるが、また静かに元に戻す。売り手も黙って買い手を見ている。商売というよりも同好の士が自慢の品物を持ち寄る品評会といった趣きで、不思議な空間だった。
建物から外に出て上を振り返ると、砦によくある凹凸のある壁が見えた。今は住居にすっかり囲まれ埋もれているが、昔は貴族の館か城砦として使われた建物の一部なのかもしれない。

救済病院で絵画を見、サンタクルス街のレストランで昼食。午後も街の中を散歩。ホテルで読書。
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