4月5日(月)曇 【セビーリャ➞グラナダ

 懐中のユーロが乏しくなってきたので、朝8時半の開店を待ってイザベル2世橋の近くの銀行BBVAでTCを現金化。(TC600ユーロに対して手数料が24.04ユーロだった。)それからホテルに戻り、チェックアウト。タクシーでバス・ターミナルに行き、グラナダ行きの番号の列に並ぶ。

 出発時間の少し前にバスはやってきたが、列の前の何人かが運転手に別のバスに乗るよう指示された。私がチケットを見せると、やはり運転手は別のバスを指差し、あちらだと言う。このバスだとチケットに書いてあるではないか、なぜ移るのだと聞くが、運転手は取り合わない。あちらのバスだ、の一点張りで、仕方なく指示されたバスの格納庫にスーツケースを入れ、乗り込んだ。バスは満杯で、十人ほどが中通路に立っていた。妻の席だけは何とか確保し、グラナダまでの3時間、立って行くことを覚悟する。
 しかしバスは発車しない。運転手が出て行き、戻り、先ほど私の乗車を拒否した運転手が入口に顔を出し、こちらの運転手と何か大声でしゃべっている。それから、立っている乗客に向って、自分のバスに来るように言った。立っていた乗客がぞろぞろ降りだしたので、私も降りた。バスの腹をたたいて格納庫を開けるようにジェスチャーをすると、窓際の乗客が運転手にすぐ伝えてくれた。
 移った先のバスもほぼ満員だったが、今度は坐ることができた。このドタバタ劇の理由は分からない。おそらく長距離バスを乗客を立たせたまま走らすことは、禁じられているのだろう。乗客を受け入れたバスの運転手も、乗客が幾人も立っているのを見て、これでは困ると言ったのではないか。結局、元のバスにもどったわけだが、私の貧しいスペイン語の力では、理由を問いただして返事を理解することは期待できない。釈然としないまま、窓外の景色を眺め、いつのまにか眠っていた。

 グラナダは少し肌寒かった。バス・ターミナルで降りると、街の向こうに雪をかぶった山なみが見えた。シエラネヴァダ山脈であろう。タクシーでホテル(Hotel Posada del Toro)に向かう。

 ホテルで一服後、街に出る。街の地図を買い、遅い昼食をアラブ料理屋でとる。タジン料理とクスクスを注文。
 グラナダの町にはイスラムの文化と匂いが色濃く残っていた。アラブ風の雑貨や土産物を売る店、ハーブや香辛料を売る店、アラブ・レストランなどが軒を連ねている。

 王室礼拝堂に入る。15世紀末にイスラムの王をアランブラ宮殿から追い、スペイン統一を果たしたレジェス・カトリコス(カトリック両王)、つまりイザベル女王とフェルナンド2世、そして王位を継いだ娘・狂女フアナとその夫の棺がここにある。隣のカテドラルをのぞくと、誰かが練習するパイプオルガンの音が流れていた。
 裏通りの小さな食料品屋で、夕食用にパンとワインと缶ビールを買う。さらにハムとトマトとアンチョビのペーストをレジの台にのせると、店の親父が私の顔を指差して、キッコマン!と叫び、ニヤッと笑った。私も笑い返し、何か気の利いたことをひとこと言って、彼の好意にこたえたいと思ったが、とっさに何も言えなかった。笑顔で彼に別れの挨拶をし、満ち足りた気分で店を後にした。
 店を出てから、今日はキッコマンはいらない、とでも言えば、話が弾んだかもしれないと残念に思ったが、あとの祭りだった。
 
 アランブラ・ブランドのビール。飲み口に銀紙がかぶせてある。


4月6日(火)晴 【グラナダ】

 ホテルの朝食を食べ、早速外に出る。ホテルのあるアラブ街から西北の方向に、折れ曲がった道を上る。じきに道の片側の視界が開けてグラナダの町が足元に広がり、さらに上ると見晴らしの良い小さな広場に出た。サン・ミゲル・バホ広場と確認し、地図上の位置と照らし合わせる。
   
   

 アルバイシン地区を上に上にとのぼり、サン・ニコラス広場に出た。そこをサン・ニコラス展望台(ミラドール)へ抜けると、眼の前に緑の谷を挟んでアランブラ宮殿が立っていた。レンガ色の城砦を兼ねた宮殿は灰青色の山並みを背景に横に広がり、その更に後ろに雪の残るシエラネバダがぼんやりと見える。しばらく口をつぐんで、この名高い名勝の光景を堪能する。


 展望台は時間が早いせいか、観光客の姿もまばらだった。若い男が宮殿に向ってペンで画を描いており、側に自分の作品を何枚か並べていた。あまり上手いとも思えなかったが、横長の線描画を一枚買う。
 サクロモンテの丘に向う。北の方向に少し坂を下り、また坂を上る。丘の斜面に黄色の菜の花が咲き、若草が萌えている。以前はヒターノ(ジプシー)が丘陵に横穴を掘り、住居としていた。今は住んではいないが、壁や天井に白く漆喰を塗った十数個の洞窟住居が残り、観光客に見せている。
   

 小型の路線バスに乗り、街に戻る。バスの運転手は女性だった。われわれが朝から登ってきた細い折れ曲がった坂道を、巧みな運転技術で下っていった。

 ホテルで1時間ほど休憩し、1時半にいよいよアランブラ宮殿に向う。
土産物屋の並ぶゴメレス坂を上り、石造りのザクロの門を入り、林の中の道を1kmばかり歩く。入口のチケット売り場でインターネット予約の記録を見せ、係員が画面で確認、中に入る。まずパラドールへ行き、中のレストランで昼食。
 昼食後、道を戻り、フェネラリーフェ(離宮)へ行く。庭園に入ると涼風が頬を撫でた。
   

 フェネラリーフェは豊かな緑に包まれているが、なかでも中庭は花壇と池が別天地を形成している。中庭の中央を細長い池が縦に走り、池の左右から噴水がいくつもアーチを描く。ここを訪れた昔の旅人は回廊を歩きながら、荒涼とした炎天のアンダルシアの風土の中に、花が咲き涼しげな水の戯れる奇蹟のような光景を見たであろう。
 回廊の突き当たりの窓から外を見る。午前中に登ったサクロモンテの丘の春景色が広がっていた。
 フェネラリーフェから引き返し、宮殿の突端のアルカサバに行き、塔に登った。街の中心・ヌエバ広場やグラナダの街が足元に見え、カテドラルもその向こうに見える。谷を挟んで、午前中に行ったサン・ニコラス展望台も見えた。こちらを眺めるたくさんの人で鈴なりだった。
   

 カルロス5世宮殿は不思議な感じの建物だった。建設は途中で放棄されたのだそうだが、円形の中庭の周りを囲む2層の建物が、空っぽのまま忘れられたように放置されている。観光客もここにはほとんどおらず、無視されている。
   
   

 5時半にナスル朝宮殿に入る。ナスル朝宮殿はアランブラ宮殿の見学の中心、イスラム装飾芸術の粋が集中している。中庭いっぱいに広がる池を囲むように立つコマレス宮を過ぎ、獅子のパティオで有名なライオン宮へ入る。パティオを取り巻く回廊には繊細なアラベスク模様を刻み込まれたアーチが並び、アーチを細い円柱が支える。イスラム美術の繊細、緻密、華麗にして静謐な精華を味わう。

 パティオに面する一つの部屋の天井が「持送り」で作られていることに気づいた。多種多様なアーチやドームを自在に駆使するイスラム建築が、わざと垢抜けない技術を使っていることに不思議な感じを持った。※

 夕暮れの坂道を下り、ホテルに帰った。

※【日本に帰ってから手持ちの建築史の書物を紐解くと、これは「数百の小さな持送りを組み合わせたスタラクタイトと呼ばれる天井」であり、その「見事な典型的な作例」だと説明があり、またスタラクタイトには「鍾乳洞のような装飾」と説明があった。】


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